11-37 大公の姉君 (8)
「私の母の事を知りませんか?」
私はレオーネにこう尋ねた。
レオーネの情報を信じるのであれば、私の父は先代の大公陛下だと言う。
では、母親は誰なのか、という疑問に行き当たります。
(そう。ここが本当にすっぽりと空白になってしまっている。もし、私が本当に大公陛下の御落胤であるならば、寵姫や愛妾が母となる。いやまあ、『天国の扉』の高級娼婦という線もある)
大公陛下の相手を勤めるのであれば、それ相応の地位がなくてはならない女性。
カトリーナお婆様の娘であるならば、先代大公がお相手であっても不思議ではないのですが、その情報が一切ない。
お婆様が嘘をついている可能性もあります。
私が本当に“孫”なのか、と。
「あああああ! うざったいなぁ、もう!」
レオーネの雄叫びで、思考の渦から正気に戻された私。
いきなり道化の覆面を脱ぎ、その下の素顔を晒して来ました。
何もない顔。頭髪も、鼻も、耳も、唇さえも、何もかもがない顔。
マリアンヌの顔で慣れているとは言え、人一倍酷い顔です。
そんな顔で、私にあらん限りの怒りをぶつけてきました。
「欲張りめ! 欲しがりめ! それだけ恵まれていながら、なお欲するか! 強欲なるカトリーナの後釜め!」
バンッと机を叩き、露骨すぎるほどの不機嫌さを見せ付けてきます。
どうやら彼女にとって“母”という言葉は、禁句のようですね。
「父親の事を教えてやって、それに加えて母親の事まで教えろってか!?」
「知ってたら、教えて欲しいですわね」
「知らねえよ! 知ってても教えねえよ! カトリーナから掠め取った情報でも、その点は完全に欠落していたからな! まるで最初からいなかったかのように、ぽっかり空いてんだよ!」
「やはりそうですか……」
誰に聞いても、私の母親については知らないですからね。
“天の嫁取り”で雲の上に嫁ぐ前の情報が、まるでかき消されたように存在しないのです。
それこそ、母と姉妹であるはずのオクタヴィア叔母様でさえも、言葉をはぐらかして答えようともしません。
(いえ。そもそもの話として、“いない”という可能性もある。もし、神話をなぞっていると言うのであれば、原初の人間アーダームやその二人の妻ハヴァとリリンは通常の生殖行為の結果、生まれ落ちた者ではないわ。経典の通りであるならば、アーダームは大地と神の精液が混ざり合う事で生まれ、そのアーダームの両腕から二人の妻が産まれた事になっている)
これをなぞっているのだとすれば、母が消された理由にもなる。
あくまで原初の父からひとりでに生まれた存在、というのが私とアウディオラ様という事になりますし、神話をそのままなぞっている事にもなります。
しかし、そうなると先代大公が“父役”を演じ、同時に“夫役”を演じる事にもなりますが、すでに死去されています。
おまけに、アウディオラ様までいなくなっている。
「……なるほど。それで“身代わり”という訳ですか」
「ハッ! ようやく気付いたか! そうだ。神話をなぞらえようとしても、もう役者が舞台から下りちまって、演目の続きが出来なくなっている。だが、それを仕組んだ者と、なんとしてでも続きをやろうとする者がいるんだよ!」
「それがあなたの顔というわけですか。通常の顔では【変身】にも限界がありますが、耳、鼻、唇、毛髪、全てを失っているのであれば、付け加える事でどんな顔にも変身できる」
「その通りだ。アウディオラが死んじまって、演目がいきなり中断された。だが、それをよしとしなかった前の法王が、実質飼い殺し状態であった俺に目を付け、顔を奪ったんだよ! いつでもアウディオラの“身代わり”を演じられるようにとな!」
レオーネから吐き出される怒りは、ますますその勢いを増してきています。
世の中を全てを呪い、破壊し尽くさんままの勢いで。
「だが、それも結局中断されちまった。演目を潰したのが現状維持派。神話の再現派が代役を立てて演目を再開させようとしたのに対し、上書き派が代役を立てずに成り行き任せの続行に動いたためだ」
「お婆様や『風来坊』が続行させた、と」
「ああ。カトリーナがアラアラート山の天宮に贈った遺言状で、“女性の雲上人”の本当の作り方が明らかになって、ヌイヴェル、お前の価値が跳ね上がったんだよ」
「私の価値……」
「ま、正確には、お前の子宮だがな! なにしろ、カトリーナが遺言状に示した“女性の雲上人”の本当の作り方に対して、それに合致する存在が現段階では、ヌイヴェル、お前しかいないんだよ! 新たに生み出そうとすれば、どれほどの時間が必要になるか分からんから、お前を欲しがる輩が増えたって事だ」
やはりそれも関係するのかと、私は納得しました。
お婆様の遺言状については、法王からも一言ありましたからね。
しかも、その中身が“女性の雲上人”の本当の作り方ときましたか。
もし、意図的に本来産み得ない“女性の雲上人”を意図して産み落とせるのであれば、山の上の情勢が変わってきますからね。
どの派閥に属そうとも、至上の価値があるという訳ですか。
おまけに、その条件に合致するのが私だけ。
「それで、その条件とは?」
「知るか! これについては、正真正銘の“禁則事項”で、質問どころか、情報を盗む事さえ出来なかった! “絶対に漏らさない”ように、カテリーナが手を打ってやがった!」
「なるほど。お婆様の魔術【絶対遵守】ですか。あれを使われていたらおしまいですね」
「ああ。完璧な意味での箝口令だ! あれさえあれば、神の口にすら戸口を建てれるからな! 情報をザルに垂れ流しているように見えて、一番肝心な部分だけは絶対に掴ませない! 本当にいい性格だよ、あいつは!」
「あるいは、それも見越して、わざと少しだけとは言え、心の内を見せたのかもしれませんね、お婆様は」
「今にして思えば、まさにそうだな。あいつはな、本物の魔女以上に魔女なんだよ! 笑顔を崩すことなく、神すら欺いてみせる。ある意味、自力で魔女王にまで上り詰めた、人類全体の特異点だ!」
レオーネの苛立ちたっぷりの意見ですが、それについては私も同じ思いです。
二十数年、一緒に暮らして来ましたが、未だに底が知れませんし、後から後からその実力、見識、いずれもずば抜けた存在であると思い知らされます。
(思うに、お婆様はこうなる事を予測して、秘密を知る関係者全員に、口止めの契約を結んでいたのでしょうね)
それこそ、丁度ここにいる我ら四名のように。
使い方次第では、本当に凶悪ですわね、お婆様の【絶対遵守】は!




