10-28 祈る手を開いて
そして、それは突然やって来ました。
「魔女殿! 久方ぶりであるな!」
いきなり部屋に入って来ましたのは、ゴスラー様でした。
相変わらずの澄んだ声で、特徴がはっきりと分かります。
例え、いつもの覆面を着けていようとも。
「あら、これはお久しぶり」
「定期の報告に来たぞ。それと、なぜか玄関先でジュリエッタが『これを被れ』と頭巾を差し出してきたが、なるほどなるほど」
ゴスラー様の視線はマリアンヌに注がれています。
まあ、修道院以外の場所で二人が会うのは初めてですし、意外だったのでしょう。
約束で、マリアンヌの前に出る時は、素性を隠す事になっております。
美形の貴公子、侯爵家の当主は、持っている特徴としては強すぎますからね。
ただただ純粋な愛情を以て女性を口説くため、顔を隠させていただいております。
しかし、そこは豪胆なゴスラー様。まさかの邂逅にも臆する事なくすぐに気分を変えて、マリアンヌの前に跪きました。
「おお~、愛しのマリアンヌ~♪ これは偶然に非ず~♪ 神と魔女のお導き~♪」
そして、急に歌い出す。
さすがは吟遊詩人、その美声を最大限に響かせてきますわね。
「あの、ゴスラーさん、なぜここに?」
マリアンヌも予想外の乱入者に、慌てていますね。
落ち着かない素振りをこれでもかと見せつけていますが、それが“気の迷い”か、はたまた“恋心”かによるものかは当人にしか分かりません。
(しかし、これは“脈あり”ですわね。どうやらしつこく通い詰めて、結果として興味を持ってしまったと)
何度も何度も足げく通う様は、さながら“お百度参り”。
一度や二度ではなく、十度や二十度でもなく、雨の日も風の灯もひたすら教会に足を運び、願の成就までただひたすらに神に祈りを捧げる。
もっとも、今回の場合は、一人の修道女目当てに、愛を捧げていたのですけどね。
「運命と言うものが人を突き動かすのであれば~♪ 私とあなたは運命の歯車の上にて、舞い踊るが定め~♪」
「ああ、もう! ゴスラーさん、いちいち歌わなくて結構ですから! 普通に喋ってください、普通に!」
「心得た! では、普通に喋ろう、愛しきマリアンヌ」
「そういうキザッたらしい台詞も結構です!」
喋れるようになっただけマシではありますが、やはり引いていますね。
まあ、素性の分からぬ謎の覆面男にひたすら愛を語られ続ければ、こういう態度にもなりましょう。
まして、マリアンヌは|恋愛初心者で心は少女のまま《・・・・・・・・・・・・・》なのですから。
「ねえ、ヌイヴェル、本当に何なのよ!? この人を私に差し向けたのはあなたでしょ!? 何が狙いなのよ!?」
「仲人」
「仲人!? 私とこの人の間を取り持って、添い遂げさせるって意味!?」
「それ以外の意味も理由もありませんわ」
まあ、本当は「借金の返済のための政略結婚なんです」とは言えませんね。
ゴスラー様の未覚醒の魔術を呼び起こす条件は“ひきこもり”。
放浪癖のゴスラー様にはまず不可能な案件。
その不可能を可能にするものこそ、結婚という名の牢獄なのですから。
「はっきり言って、訳が分からないわよ。こんな傷物で、財産も持っていない行き遅れを娶る意味ってなんなのですか!?」
「それは、あなたが美しいからだ」
おっと、ここでゴスラー様が攻めの姿勢に変わりました。
まあ、女性を口説いてきた数は、百や二百では利かないでしょうからね。
実に手慣れものです。
「マリアンヌ殿、正直に話そう。実は私には多額の借金がある。その返済について猶予を貰える代わりに、君との結婚を条件に出された」
「は? なら、お金目当てで私と結婚を!?」
「当初はそうだった」
「そうだったって……。では、今はどうなのです?」
「純粋に、君に惚れた。そのあまりに美しい“心”に」
そう言ってゴスラー様はマリアンヌの手を掴み、グッと引き寄せる。
片や覆面男、片や深い傷を負った醜女。
これほど“絵にならない男女の組み合わせ”というのもありませんね。
「か、からかっています!?」
「私は常に大真面目だよ。マリアンヌ殿、そなたは美しい」
「この顔を間近で見て、よくそんな台詞を吐けますね!」
「私は顔を見て喋ってはいない。心を感じて語り掛けているのだから」
ギュッと握られる手は、力がこめられるとマリアンヌの顔も一層赤くなる。
男に迫られるという初めての体験は、敬虔な修道女の心すら溶かす。
いやまあ、ゴスラー様の天性の“たらし”のせいかもしれませんが。
(まあ、頑張ってそのまま口説き落としてください。それこそが、侯爵家再興の道であり、マリアンヌ、あなたを住み心地の悪い修道院から。住み心地の良い結婚生活に引っ越す切っ掛けなのですから)
覆面の下は真顔でキラキラした目をしているであろうゴスラー様。
その雰囲気に呑まれつつあり、三十路の少女へと変わりつつあるマリアンヌ。
そして、その恋路を欲望全開で見守る魔女。
さあ、いよいよ終幕ですわよ。
いえ、むしろ人生的には開幕でしょうか。
マリアンヌはずっと閉じた世界に身を置いたのです。
ならば、これから先の人生は、“自由”に世間を闊歩すべきです。
昔からのお簗馴染みとして、その手助けがしたいというのは本音ですわよ。
だから遠慮なく、神への祈りなど棄てて、その覆面の貴公子に抱き付きなさい。
手と手を合わせて、神への祈りを捧げていては、自分の幸せを掴む事など出来はしませんからね♪




