9-34 涙は決して流さない
ダキア様は驚き、目を見開いてこちらを見つめておりますね。
悪魔が神に祈りを捧げ、赦しを乞うなど、経典のどこにも書かれていない話。
しかし、それは結局、“人”が記した書物ですからね。
“雲上人”の偏狭さ、傲岸さは、身を以て体験しております。
ゆえに確信して断言できます。
書に記された事が全てではない、と。
「すべては神の御心の内。ダキア様が人を襲うのもまた、自然の摂理の中での出来事ではないでしょうか。いえ、きっとそうなのでしょう」
「でも、その罪は問わないってのが、あなたの弁よね?」
「自然の成り行きなれば、罪を問う事はできません。ただ、あなたが立ち返るのを、神はジッと見守っていることでしょう」
「吐き気がするわね。誰かにずっと見つめられているなんて御免だわ」
ダキア様は悪態付いてはいますが、どうにも憑き物が取れたかのように表情が崩れてきています。
長年、たった一人で神に反逆してこられ、耐え忍んできたのですから、それが何の間違いでもないと指摘されて、安堵されたのかもしれません。
魔女の口車、自称・怪物にも通じるものですわね。
「それと……、ダキア様、もし私の言葉だけで不足でしたらば、司祭を御一人、紹介いたしましょうか?」
「生臭坊主に興味なんてないし、そんな輩のお説教なんて御免だわ」
「まあ、変人である事にはその通りなのですが、決して生臭と言う訳ではありませんわよ。確かな信仰心と見識をお持ちでありますし、ある意味で他の聖職者とは一線を画する存在ですわ」
「あなたがそう言うのなら、相当な変わり者なのでしょうね」
「ええ、そりゃあもう! あの方とのお付き合いは、腹を抱えて笑うか、頭を抱えて悩むかのどちらかですからね」
「なるほど。なら、機会があれば拝聴しましょう、その変人司祭の説法を」
妙な約束を取り付けましたが、ヴェルナー司祭様なら大丈夫でしょう。
天使の存在を本気で信じているのですから、目の前の悪魔が現れても怯えるどころか、果敢に挑みかかる事でしょうからね。
どんな対決が見られるのか、ある意味で楽しみですわ。
「では、今宵の語らいの最後と致しまして、詩を一つ吟じさせていただきます」
「あら。魔女が詩作を?」
「周りに詩作に入れ込んでいる者がおりましてね。その影響ですわ」
(仕事上の)恋人であるヴィニス様がいれば、きっと良き詩をダキア様に捧げられた事でしょう。
即興で作るのには、あの方以上の詩人はおりませんからね。
そして、私も詩を一つ。
目の前の少女に捧げましょう。
***
忘れ去られた竜の血を 背負う十字架染め上げる
朱に染まりし小さな手 誓う決意を胸にする
古城が建つは森の中 主は気高き吸血鬼
笑みで迎えるその口に 鋭い牙を見せ付ける
しかして心は温かく 臣の敬意がその証
神すら捨てたなれ果ての 行きつく先はこの屋敷
祈り届かぬこの場所で それでもなおも懺悔する
罪は罪とて知りつつも 足掻き続ける迷い道
父母より受け継ぎし 尊き心忘れずに
永遠を知りたるその眼 溢る優しさ携えて
手を差し伸べて救い上げ 温もりの手が包み込む
神に背いて闇の中 時の流れをせき止める
久遠の時を咲き誇る 輝け白きヒヤシンス
主人の心そのままに 無垢な魂色褪せぬ
空舞う竜は気高くも 地に這う者を背に乗せて
いざ向かいしは天上の国 父母の待つ楽園へ
夜に願いを 白銀の髪なびかせて
月に祈りを 白き手と手を重ねては
闇に願いを 真紅の眼輝かせ
神に祈りを 無垢な魂差し出して
父に幸あれ 気高き心そのままに
母に幸あれ やさしき心そのままに
皆に幸あれ 神の慈愛をそのままに
我に許しを 罪の証は背負い行く
神に幸あれ 我はただただ懺悔する
我は祈ろう 光受けたるその日まで
***
やれやれ、これではリミアに作らせた方がマシと言うものですわね。
柄にもなく詩作を即興で行うなど、らしくはありません。
などと自笑しておりますと、思わぬ光景が。
机を挟んで反対側、ダキア様の眼から涙が零れ落ちています。
拙い詩文ではありましたが、どうやら通じたご様子。
私はそっと立ち上がり、少女に歩み寄り、先程の食事で使わなかった手拭いを出しだしました。
「ダキア様、それこそがあなたが怪物などではなく、人間である証です。『悪魔は芸術を解さない』と申します。詩を聞き、感情が溢れてきたのであれば、それは悪魔性の否定。さあ、涙をお拭きください、心優しき“大公女”」
涙を流す怪物などはいはしません。
ダキア様、あなたは紛れもなく、父母に愛されし“人の子”ですわ。




