9-33 母と娘 (8)
世界は本当に広く、そして、“狂っている”。
そもそも、何を以て“狂っている”と判断するのかもあやふや。
目の前の少女は怪物だと蔑まれていても、その心根は父と母よりそれぞれ受け継いだ魂を持っている。
気高く、それでいて優しい、真に尊ぶべき貴人のそれです。
「だからこそ、私は申し上げたのです。あなた様に感服しました、と。その矮躯にて神へ反逆し、神の手から零れ落ちた者まで拾い上げようとしているのですから」
「そんなたいそうな物じゃないわよ。神様とやらへの当てつけに、私が代わりに手を差し伸べているだけ」
「それでも救われた方がいるのです。それは“傲慢”でも“強欲”でもなく、己の手でなすべきを成す“謙虚”であり、心優しき“慈善”の精神の表れなのですから」
「謙虚? 慈善? あなたの口からは似つかわしくない台詞だし、そもそもあたしの態度にも合致しないわよ」
「いいえ。あなたは御自身を“小食”だと仰った。しかし、それは“我慢”しているのでしょう? 人間の血肉を食らう吸血鬼でありながら、他のものを食して飢えを誤魔化していますから」
「フンッ! 『そうあれかし』と教会の連中が述べたから、それに反する行動を旨としているだけよ! 怪物は人を襲い、その血肉を食らってこその怪物。そうじゃないって示しているだけ!」
「暴君として振る舞えるのに、そうしない。それはあなたが悪魔でもなんでもなく、父から気高き貴人の心得を、母から慈愛の精神を受け継いだ、女王と名乗るに相応しき貴婦人です」
これはダキア様との会話を通じて感じた、私の正直な感想です。
目の前の少女は悪魔や怪物に非ず。
姿形はそうであったとしても、心までは染まり切っていない。
耐える、我慢するを実行している者が、どうして暴君なのでしょうか。
優しく手を差し伸べ、救いなき者を導く事が、それを否定しています。
「……でも、私は人を殺して、その血肉を食らっているわ」
「私が牛や豚を糧としている事と、何が違うというのでしょうか? 命を奪う、という点では大差ありませんわ」
「魔女は“家畜”と“人間”を同列に扱うんだ」
「残念な事に、人間もまた“家畜”ですわよ。“雲上人”から見れば」
結局はそこに行きついてしまうのです。
人間は確かに、家畜よりも頭が良いのかもしれませんが、“支配されている”という立場においては、家畜と大差ありません。
かつての暗黒時代の魔女狩りも、反抗的な人間を“選別”して間引いたとも考えられますからね。
あるいは“反言霊”を病気と捉えれば、感染が広まる前に処分したとも言えますね。
(どのみち、“雲上人”からすれば、自分達の支配権を脅かすものは絶対に許さないという事。それは今も昔も変わらない。多少、対応が易しくなったというだけの差異でしかない)
求める者は世界の真実であり、魔女はその探究者。
求めるものは、支配からの解放、すなわち“自由”。
人が人であるための、自由なる意思。
「ダキア様、あなた様は人食いの化物であると同時に、人を食らう事を忌避されています。私を食べると脅しながら、どこか拒絶気味に述べられていたのがその証。卓を囲み、共に豆茶など飲まずに、血の滴る肉にかぶり付けるにもかかわらず」
「口に合わないからよ。甘いものの方が、あたしの好みだから」
「ほら、それですよ! 実に怪物らしくない。誰がなんと言おうとも、あなたは心までは怪物ではない。人間なのです!」
「……なら、人を殺して食らったあたしを、あなたはどうにも思わないの?」
「残念な事に、私は知っていますからね。“少食な怪物”よりも残酷な、“大食漢”をこの目でしかと見てますので」
なにしろ、“言霊”を用いて、たった一言で数百人を事も無げに殺してしまった大量殺戮者を、つい最近見てしまいました。
法王の発した一言で、数百人が入水自殺し、命を湖に吸わせていた。
あれこそ、本当の暴君の姿。
話し合う余地があったにもかかわらず、問答無用で死を与えた。
魔女レオーネが目障りだったというのもあるでしょうが、人一人を食べるのでさえ引き気味の怪物と、一言で数多の命を吸い上げる法王と、どちらがより暴君であるのか、考えるまでもありません。
(人類の歴史は、破壊と殺戮の歴史でもある。いったい今まで、どれほどの“大食漢”が現れ、命を食らっていった事か! それに比べれば、目の前の吸血鬼なんて、可愛らしいものですわ)
書物を読んでは過去に触れ、目で見て歩いては現実を目の当たりにする。
私からすれば、目の前の少女よりも、私の法王聖下の方が、余程化物に感じてしまいますわね。
「世界は悪意に満ちている。でも、善意もまた多く存在する。その体現者として、ダキア様、あなた様がこの世にあるのですから。父君と母君が遺されたあなたの体、あなたの魂、それは決して汚れてはいない。どちらもまた、純真無垢な乙女であり、やさしくも気高き貴人なのですから」
「……罪は、許された?」
「そうあれかしと神は述べ、そして、世界は生まれました。ゆえに、世界のすべては神の御心の内。神は人々に自由な意思を与えてくれました。その自由なる意思をもって、人は天使にも悪魔にもなれる。なれるのであれば、自由なる意思によって立ち返ることもできる」
「悪魔が、天使に……」
「そうです。意志の力によって、人は聖なる者にも、邪なる者にはなれるのです。それはダキア様も同じ事。あなたは悪魔だ怪物だと卑下なさっていましたが、そうではない事がすでに自身の行動によって示されています」
この屋敷は捨てられし者の安住の地。
人ならざる者になったとしても、心穏やかに過ごせる唯一の場所。
優しき暴君が造った楽園、それが吸血鬼の城なのですから。
「私も魔女として、神をぞんざいに扱っておりますが、それでも信仰そのものを喪失したわけではありません。神は慈愛に溢れる御方であり、正すべきは神を騙る不届き者の方ではありませんか?」
「神は慈悲深い……」
「ダキア様、いずれ犯した罪に向き合い、神に懺悔する日が来ましたらば、その時は私もまた本心から、神に祈りを捧げたいと思います。あなた様の傍らで、魔女としてではなく、一人の人間として」
悪魔が神に祈りを捧げる。
そんな話は教会の経典には一切かかれておりません。
悪魔は人々を誑かし、堕落させ、神の慈悲に背を向ける悪しき存在であると規定されておりますから。
しかし、神は人々に自由なる意思を与えた。
ならば、“集呪”が人の成れ果てであり、それがダキア様であるのならば、自由な意志によって立ち返ることもできるはず。
あとは目の前の少女の心次第。
誰かを救い上げたその手で、今度は自分自身に祈りなさい。
それでこそ、いかなる罪過を背負ってしまっても、娘を守り切ると誓った母君が本当に救われるのですから。




