9-32 母と娘 (7)
ダキア様の本質は“愛情”と“優しさ”。
姿は怪物であったとしても、その中身は気高き大公と優しき大公妃のそれぞれから“王侯の矜持”と“慈愛の精神”を受け継いだお姫様。
ただ、表現が不器用なだけ。
「ダキア様は言いました。目に付いた片端から手を差し伸べたと。神から、世界から見捨てられた者を次々と拾い上げたと。あなたは捨てられし者、人ならざる者、その全てを救い上げようとしている。その信念、その優しさ、神に、世界に背を向けようとも、それを成し遂げようとなされている。それがあるからこそ、あなたは怪物のままでいられるのです。牙を生やし、悪魔や怪物に身を置こうとも、その心は気高くも、神に、世界に、反逆する道を選ばれた」
「物は言い様ね。そんな大層なものじゃないわよ。日陰者が日陰者としても暮らせる場所を作っているだけ。神が捨てたから拾っただけ」
「それでも、この館に住まう者にとっては、安住の地を与えてくれた立派な主君なのです」
ここはまるでおとぎ話に出てくるような場所。
人のいない、そして、神もいない世界の最果て。
世界が見捨てたというのであれば、自分が拾ってやろうとした心優しき暴君の住処がここ。
ここの住人にとっては、ダキア様こそが神であり救世主。
誇るべき、そして、お仕えするべき主人なのですから。
「先程の侍女、イローナと申しましたか。彼女の所作を見ていれば分かります。一つ一つの動作がとても丁寧で洗練されており、王侯にお仕えする者として恥ずかしくない態度を心掛けておりました」
「ええ、そうね。イローナはよくやってくれているわ」
「それは主君たるダキア様への忠義があればこそです。下手な振る舞いをして、来客になじられては、主人の方へも泥を塗ることになるからです。他の方々は無論、相応しい態度で挨拶をされていました。犬頭人の庭師も、下男の大鬼も、それぞれの役目を全うしています。……あ、小鬼の門番だけは少々いただけませんでしたが」
「ん? あの二人が何かやった?」
「危うく食べられそうになりました」
「そう……。それはごめんなさいね。まったく、あの二人には罰として、食事抜きにしておくから」
哀れ、小鬼の門番二人組が、罰を受ける事になりました。
まあ、屋敷を訪問した客人をうっかり捕食しかけたのですから、当然と言えば当然の話です。
なあなあで済ませず、部下の不始末に対しては真摯に対応するのは、やはり血筋や教育の賜物でしょう。
私の眼には、申し訳なさそうにする可愛らしいお姫様にしか見えませんね。
これのどこが“怪物”だというのでしょうか。
「……あたしは塔から飛び降りて潰れた母に接し、初めて“死”と言うものに触れた。そして、命を吸った。命とは何か、それをおぼろげながらも理解した。だからこそ、その場から逃げた。母を殺めた事と、その場にとどまる事の危険性を理解したから」
「でしょうね。“雲上人”が“集呪”になりつつあったダキア様を見逃していたのも、マティアス陛下への交渉材料として生きていてほしかったのと、“集呪”への見識を深めるためであったのでしょうね。しかし、完全に覚醒したのであれば、それはもう処分対象。邪悪な存在を見逃す程、脅威に対して鈍感とは思えませんし」
「だから、あたしは必至で逃げた。何より、太陽が痛かったからね。日が傾いて間もなく夕暮れという時間だったにもかかわらず、弱ってきた陽光すら、私には痛すぎた。森に飛び込み、陽の光と、人の目を避けるように逃げた」
「神への反逆の代償、なのでしょうか」
「神はあたしの敵だわ。慈悲深い存在だって言うのなら、神を騙り、地上を支配する愚劣な“雲上人”をのさばらしておく理由なんてないもの」
神妙に語りつつも、やはり家族を苦境に追いやった“雲上人”への敵意は、一向に衰えませんね。
まあ、それはよく分かりますとも。
私も彼らの力を目の当たりにした身ですので、強者が支配権を行使するのは当然であると思いつつも、そのやり方には疑問を覚えるものですから。
ダキア様と状況は違いますが、私から“母”を奪ったのは連中なのは確定しておりますし、好意的になる理由はありまえせんわね。
ただ、表向きは従順に従っておりますが。
しかし、目の前には神への反逆を行う者が一人。
「イローナはさ、あたしが初めて手にした家臣だったわ。塔からどうにか逃げ延びて、どこをどう走って来たか忘れるほどに森を駆け抜け、そして、出会った。イローナわね、何人かの男に嬲られていたわ」
「誘拐、かどわかし、行きずりの犯行、ありがちですわね」
「ええ。イローナは代わる代わる男達に痛めつけられ、嬲られ、辱められ、気が付けば虫の息。男達は下品な笑い声を上げながら、ズタボロのイローナを打ち捨ててどこかへ行ってしまった。私は怖くて何もできなかった。木の陰からそれを見ているだけしかできなかった」
「まあ、いくら吸血鬼としての力に目覚めたと言っても、何をどう力を行使して良いか、理解していなければどうにもなりませんからね」
「そして、あたしは虫の息のイローナに近付いた。虚ろな目のまま、あたしに何かを訴えかけていた眼差し。ああ、あたしの役目はこうなのかと理解した。あたしはイローナの血を吸い、あたしというお城に住む最初の住人に、家族になった。それから彼女はずっとあたしの側にいる。人ならざる者として、私の従者として」
「……つまり、彼女もまた、元は“人間”であったと?」
「ええ。なんでか、森人になっちゃったけどね」
これはまた、新たな情報。
仮説として、“呪”が集約すると“集呪”となり、異形の存在に変化すると考えていました。
かつて出会った首無騎士ガンケンがそういう存在でしたし、目の前にいるダキア様もまた、同じような状態。
そして、今の話ですと、勝手に“呪”が集まって来たのではなく、意図的に異形に存在へと変化させたというではありませんか。
(これは興味深い。 “集呪”の憑代として、人間が入る事がある。……いえ、むしろ逆。人間を核として“呪”を集約させたものこそが“集呪”と呼ばれる存在。しかも、条件さえそろえば意図的に作り出せる!)
絶望、あるいは憤怒、そうした負の感情、“心の闇”と呼ぶに相応しいものが餌となって、“呪”が集約するきっかけとなる。
イローナは集団暴行を受けた上での“絶望”。
ダキア様は虐げられし者として、虐げる者への反逆を企図しての“憤怒”。
ガンケンやユラハは大公一家の末路を間近で見た事により、それを救う事が出来なかった事への“羞恥”。
(形こそ様々ですが、醸成された負の感情が“呪”を集め、異形の存在へと変化させる! これが世界の真理、幽世の法則ですか!)
これは思わぬ拾い物です。
幽世や“集呪”への考察が、世界や“雲上人”への認識に繋がると思っておりましたが、さらなる謎を呼ぶ。
“集呪”の正体は、“呪”の集まった人間であるのだとすれば、人間を支配して、同時にそのなれ果てである“集呪”を退治する“雲上人”とは何なのか?
一つ謎が解ければ、また別の謎が生じる。
魔女の探究とは、果てが無いものなのですね。
カトリーナお婆様の見識の深さが知れようと言うものです。
それこそ、世界の支配者相手に、たった一人で反逆し、成し遂げたのですから。




