9-27 母と娘 (2)
「自分の腹から生まれてきた者が、“怪物”に成り果てたら、そりゃ怖がるでしょうよ! あたしは“人間”として生を受けながら、“呪”によって怪物になったんだからね!」
世の不条理、それを一身に受けてこの世に生を受けた存在。
ダキア様はまさにそれ。
産まれてきた事自体が罪であり、“反逆者マティアス”の子供として生を受けたのが間違い。
(生まれながらにして罪を背負い、この世を彷徨い続けなければならない。そんな不条理を許しておいてよいのか? 答えは、“否”!)
そこに神の御意志はない。
歪めるのはいつも“人の意思”です。
慈悲深き福音も、それを発するのは“人の口”であり、時にそれは歪められてしまう。
「根源は神意である」
教会の経典の最初に書かれている言葉がこれ。
神の意志こそ、世界を形作る根源要素であり、唯一無二の真理にして、絶対の法則である。
神の言葉があるからこそ、世界は規定されます。
(では、神は『怪物を退治せよ』とでも言ったのでしょうか? その答えもまた“否”! 伝え聞く神話や伝説を脚色し、無駄な解釈を加えてきたのは“人”であって、“神”ではない。神は一言も発していない!)
神は決して答えない者、それが私の考え。
なにしろ、表向きは毎週の安息日に儀典へ赴くような篤き信徒のふりをした、格好だけの痴れ者ですからね。
神の存在を否定はしませんが、だからと言って熱心に信仰しているわけでもない。
言ってしまえば、“神は利用するもの”でしかありません。
教会に赴き、祈りをささげた方が、社会通念的には常識人に分類されるため、社会で暮らす分にはそれがやり易い。
たまにお布施で教会の修繕を行えば、勝手に名声が付いてくる。
神を出汁にして自己の立場を強化する。
根本的には、教会や信仰を装置として、世界を統治している“雲上人”と大差ありません。
(まあ、魔女狩りのような苛烈さは潜みましたが、根本的な部分は変わっていませんからね。結局は誰かが歪みを押し付けられ、日陰者になる)
その存在こそが、目の前にいるダキア様。
人々の抱く恐れが“呪”となり、それを生まれてからずっと浴び続けた結果、異形の存在に、“呪”の特異点とも言うべき“集呪”へと成り果てた。
愛を知らずに生き、人目を避けるように闇夜を住処とする呪われたお姫様にして、小さな暴君と化した吸血鬼。
それはとてもとても悲しい物語ですわね。
(でも、違う。おそらく、この少女の本質は……)
母親の話を切り出し、それで本質を探ろうと試みましたが、思った以上に深い。
受けた“傷”と、授かった“愛”が。
「怪物ゆえに、母親からも避けられてきた。それは本当の事でしょうか?」
「そうよ! 私は、母親から“乳”を貰ったことがないもの! 産まれてすぐに歯が、牙が生えている赤ん坊! 求めるのは、“乳”じゃなくて、“血”なの!」
「なるほど。それゆえに、母君はダキア様を抱かなかったと」
母親が赤子に母乳を上げる際には、抱きかかえるのが普通ですからね。
しかし、怪物となったダキア様は“乳”ではなく、“血”を求めた。
赤ん坊としては異端な存在でも、化物としてはむしろ“正統”。
人の血肉を食らう悪魔、怪物、まさにおとぎ話の通りですわね。
「侍女が持って来た“それ”は、ひどく不味かった。おそらくは、家畜やなんかの血を持ってきたのでしょうね。それでも、私に飲ませようと、果汁を絞り入れたり、あるいは腸詰めにしたりね」
「あ~、血のソーセージですか。癖はありますが、食べれなくもありませんね」
「それでも口に合わなかった事は、間違いないわ。神の教えに反しているから」
「神の教えに?」
「怪物が襲って食べるのは、“人の血肉”であって、“家畜の血肉”じゃないでしょ? 定められた摂理に外れたからこそ、“不味い”という不快を味わった」
「なるほど、そういう解釈ですか」
血を主食とするのも、何かと大変ですわね。
それにしても、侍女という事はあの魔女ユラハの事なのでしょうが、彼女が悪戦苦闘しながら試行錯誤を繰り返す様は、ある意味で微笑ましく感じますわね。
血を扱う、という意味においては、実に悍ましい魔女っぽさが出ています。
あるいは、本物の魔女になってしまったのも、ここらが影響しているのかもしれませんね。
(しかし、同時に気付いた。この子は単純な怪物じゃない。“神を肯定した化物”だわ!)
言葉の端々から漂う淡い信仰心。
畏れであり、あるいは憧れでもある、神への想い、憧憬。
逆らう事への“覚悟”と、“罰”をも受け入れるという決意。
ようやく、彼女の本質が見えてきました。
(ああ、そうだわ。ここの程、父親から、あるいは母親から、“愛されて”いた子はいない。そして、その想いは確実に受け継がれている)
いささか冷笑的な態度ではありますが、目の前の吸血鬼には、思っていた以上に熱い魂がある。
そして、当人はそれを“自覚していない”。
見えた、決まった。
あとはそれを気付かせてあげればいい。
なんと単純な事なのでしょうか?
やはり人の心こそ、人を最も狂わせるという事なのでしょうか。
本当に悲しいお話ですわね。




