9-26 母と娘 (1)
「ダキア様、お母君の事は覚えてらっしゃいますか?」
これがダキア様の本質に迫るべく、私が投げかけた質問。
この反応次第で、目の前の少女の本質が見えてくる。
そう思えばこその質問です。
(ダキア様が真っ先に投げかけてきたのは、“父親”についての事。それだけこの少女にとって、父マティアスの事が大きく心を占めているという事でもあります。自らの手本とし、その評判も気にする。それだけ父親を大切に考えている)
ところが、“母親”の話が一向に出てこない。
今まで得た情報から、ダキア様は怪物になって塔から抜け出すまでは、幽閉先の塔こそが世界のすべて。
塔の中で生まれ、顔を合わせるのは父母と二人の近侍のみ。
あとはたまに現れる父を虐げる“敵”だけ。
そんな狭い世界の中の話だというのに、“父親”には言及すれど、“母親”に対しては何もなし。
父に固執し、逆に母へは無頓着と言いますか、まるで避けているような雰囲気。
(なれば、そこにこそ、本質、本心が潜んでいるはず)
感情任せに行動しても、少女の本質は真っすぐで真面目な性格。
それは父を手本とし、“正義”を成さんと固く戒めているからなのでしょう。
子は両親から血肉を受け取り、さらに魂の、志の有様をも伝授される。
それを成して、初めて“親”を名乗れるとさえ、私は思っております。
(まあ、そういう意味では、私は異端でしょうけどね。 生憎、私は父母から血肉は受け継いでも、心の有様までは伝授されませんでしたから)
なにしろ、二人の顔も名前も知らないのですから、受け継ぎようがありません。
しかし、カトリーナお婆様の薫陶を受けて成長し、今の私が形作られております。
そういう意味では、お婆様が私の親であり、手本であり、目標でもあります。
いずれはその高みへと至らんと欲するのも、お婆様への憧れと、ほんの僅かな嫉妬のなせる業でしょうかね。
(さて、そんな私と違い、ダキア様は両親との距離が近い。……いえ、近かったというべきでしょうか。すでに両親は過去の人。一人で百年もの月日を過ごしたのですから、これにどう答えるのか?)
一人と言っても、大きな屋敷に召使い多数という生活なので、厳密に一人と言う訳ではありませんが、主人と召使いという身分的格差がありますので、腹を割って話すなどと言う事はできない。
家族という対等な関係でない以上、素で話す事など不可能。
ゆえに、ここで私が揺さぶる。
素で話せるように、あえて挑発的な姿勢で煽りながら。
実際ダキア様は過去を思ってか、懐かしそうに、同時に寂しそうに天井を見上げました。
「母は………、ずっと怯えていたわ」
躊躇いつつも、ようやくダキア様が吐露されました。
同時に、出来るなら話したくない、思い出したくもないという雰囲気を出す。
それでもなお話してくれたのは、僥倖と言わざるを得ません。
少しばかり焚きつけた甲斐があったというものです。
(少女相手に少々酷であったかもしれませんが、それは見た目だけの話。中身は百年の歳月を生きた怪物であり、同時に父を手本として、王侯、貴人たらんとする者。さあ、見せてもらいましょうか、聞かせてもらいましょうか、その本質を)
私はより意識を集中させ、少女の声に耳を傾けました。
「母はいつも同じことを繰り返し唱えていた。『いつになったら塔から出られるのか』とか、『元の暮らしはいつ戻って来るのか』とかね。とにかく不安に駆られ、意味もなく部屋をうろうろしては、バルコニーから遠くを眺めていた」
なるほど、母親がその態度では、子供の視点では不安になりましょうね。
父マティアスは度重なる尋問を耐え抜きましたが、その奥方はそうではない、という事なのでしょうね。
ダキア様の母親については情報不足。どこの出身かまでは存じ上げません。
まあ、大公の御妃になるくらいの方ですから、それ相応の門地出身の貴婦人であったのは間違いないでしょう。
それが夫の罪に連座して、自身も幽閉の憂き目にあったのですから、それはさぞ不安でしょう。
しかも、幽閉当初は身籠っており、塔での生活の中でダキア様を出産なさったのですから、余計に情緒不安定なのかもしれません。
娘の視点からも、批判的に取られているのですから、母親としては頼りないという事なのでしょうね。
「そして、母はあたしを恐れていた」
「母が子を恐れる、ですか?」
「ええ、そうよ。生まれてこの方、あたしは一度も母親に抱き締められた事はなかった。いつも避けられていた。乳飲み子だったときも、侍女が面倒を見ていて、あたしには指一本触れたりしなかった」
「……それはよろしくありませんね。幽閉生活、家族が支え合わねばならないというのに、なぜそんな事に?」
「自分の腹から生まれてきた者が、“怪物”に成り果てたら、そりゃ怖がるでしょうよ! あたしは“人間”として生を受けながら、“呪”によって怪物になったんだからね!」
声を荒げ、何度も悔しそうにやり場のない怒りを机にぶつけ、拳を振り下ろす。
それはあまりにも悲しい記憶ですわね。
子供には、母の温もりが必要。
それを感じる事が出来なかったのですから。
(そういう意味では、私と同類ですわね)
私も母親の顔を知らずに育ちましたからね。
祖母がその代わりになってくれましたが、ダキア様にはそれがいない。
母親に対して懐疑的になってしまうのも無理ない話ですか。
しかし、それは“本質”を見失っています。
どうやらダキア様はそれに気付いていない様子。
私が導いてあげねばなりませんね。




