9-17 冷たい食事
「まあ、とにかく席に着きなさい。お茶でも飲みながら、少しお喋りでもしましょうか」
どう切り出すべきか迷っている私に対し、席に着くように促す吸血鬼のダキア様。
その声は、妙に明るい。
やはり機嫌自体は良いのは間違いなさそうです。
(ただ、問題があるとすれば、それは“人間”を話し相手であると同時に、食料とも認識ている事)
もちろん、食べられるのは勘弁ですが、それは最早なるようにしかなりません。
何しろ、ここは人ならぜる者達が住まう異界の屋敷。
しかも、その主人である吸血鬼と化した大公女の私室なのですから。
退路もなければ、怪物を打ち倒す武器もない。
強いて言えば、頭脳と三枚舌だけがこの場を切り抜ける可能性を持つ。
(それが通用するかは分かりませんが、相手の気分が良い内に、もっと好感度を高めておかないと)
より慎重な言動が求められますが、ひとまずは勧められるままに席に着きました。
こじんまりとした円卓で、二人で会食するには丁度良い大きさ。
一度部屋から退出していたイローナが再び現れ、配膳用の台車には豆茶が二人分乗せられていました。
漂う香りから、かなり上質な物である事はすぐに分かる。
(もてなす、という点ではやはり手抜きはありませんね)
客を招いた以上、それに対しては極めて真摯。
食べるだなんだと言いつつも、いきなり襲い掛かるのは矜持が許さないのでしょう。
その点では、やはり身分高き“お姫様”というわけですね。
「さて、それじゃあイローナ、始めて」
ダキア様はイローナの持って来た金属製の皿を見つめ、そこに牛乳が流し込まれました。
更に“赤いグチャグチャの物体”が、牛乳に続き皿に入れられる。
先程の“食人”の話が出てきたため、危うくそれが血肉かと思いましたが、ほのかに漂う甘い香りから、それが“潰したイチゴ”である事に気付きました。
(イチゴ牛乳? 豆茶が出されながら、更に飲み物をもう一品?)
謎の組み合わせでありましたが、奇妙に感じる私を後目に、イローナは牛乳とイチゴをスプーンで混ぜました。
これで両者がしっかりと混じり合い、ピンクがかった液体が目の前に現れる。
その皿の縁をダキア様が指でなぞると、どうした事か、フッと冷気が漂い、あっと言う間にイチゴ牛乳が凍り付いてしまいました。
「な……。イチゴ牛乳ではなく、イチゴの氷菓子!? この一瞬で!?」
「これがあたしの魔術【穏やかなる時の河】。時間の流れを“減速”させることができる。全力で使えば、千分の一にはできるわよ」
「時間の減速!?」
イローナから、時間をある程度操れるとは聞いていましたが、これほどのものとは及びませんでした。
(時間の減速ということは、アルベルト様が使う【加速する輪廻】の逆という事ですか! しかも、減速する速度の加減まで出来るというのですから驚きですね!)
つまり、この屋敷の庭で見たキンモクセイとヒヤシンス。
同じ時期に咲く事のない二つの花が同時に咲いているのは、この魔術を用いて時間の流れを減速させ、本来ズレるはずの二つの開花時期を無理やり合わせたというわけです。
手品のタネが知れてしまうと、その恐ろしさが更に上積みされてしまいますね。
「で、それを応用したのが“瞬間変熱”という裏技。物質の温度を一瞬で加熱、あるいは冷却させることができる」
「時間の減速、物質の温度の急激な変化……」
「どういう理屈か分かるかしら?」
いきなり投げかけられたお題目に、私も頭も全力で動かしました。
時間を減速させる魔術というのであれば、減速させた時の中に“何か”を入れるのは間違いないはず。
しかし、それが全く見えてこない。
どういう理屈で氷菓子を一瞬で生成したのか、まるで分からない。
「ん~、ちょっと難しかったかしら。なら、一つヒントをあげましょう」
そう言って、ダキア様は置かれていたスプーンを手にしました。
「見ての通り、何の変哲もない金属製のスプーン。この通りにね」
左手でスプーンを掴み、右手の中指をピンッと弾いてみせる。
爪と金属のぶつかる音がして、本当に何でもないスプーンである事を見せ付けてきました。
「金属製だからね。指で弾いた程度では、ビクともしないわ。でも、時間を減速させると……」
また指を弾いてスプーンに爪が命中しますが、先程とは違う結果。
なんと、指に弾かれたスプーンがグニャリと曲がってしまいました。
特に力を思い切り込めたとか言うのではなく、本当に初撃と同じ程度の動きしかなかったのに、結果は全然違ったものとなりました。
当然、それには理由があるはず。
(時間の減速が攻撃力を上げる? その理屈は……)
速度は同時に“重さ”でもあります。
同じ拳でもより早く殴れば、威力は増すのですから。
歩いている人と走っている人、同じ体格であれば、どちらとぶつかったらより衝撃力があるかは、考えるまでもありません。
つまり、今のスプーンへの一撃は、それと同じだということです。
「……そうか、分かりました! これは力の蓄積、すなわち“力積”に属する話と言う訳ですか!」
「お~、お見事お見事! ちょっとのヒントでそこまで漕ぎつけるとは、さすがは魔女といったところね。素直に褒めておくわ」
笑顔で拍手をするダキア様。
愛らしくはあるのですが、やはり正真正銘の化物ですわね、この力は。
「“力積”は、物体にかかる力とその時間を掛け合わせた運動量。先程は同程度の力でスプーンを指で弾きましたが、“時間”の差異があったという事ですね。おそらくは、力の作用点である指とスプーンの接触点、その時間を減速させ、引き延ばした。それが原因ですね?」
「正解。物体はぶつけられた力と、その時間によって運動量が決まる。んで、その力の作用点を“時間の減速”した後、解放する。するとどうなるか? 仮に、作用点の時間の流れを百分の一にしたとすれば、その力が解放されると、物体が受ける衝撃力は百倍になる」
「それで納得がいきました。先程の氷菓子の件、あれは水分が蒸発した際に熱を奪う現象、“気化熱”を利用したのですね?」
「それも正解。水が蒸発して空気になる際、そこの熱量を奪う。それを“時間を減速”させて温度低下をずっと浴びせ続けて、イチゴ牛乳が凍り付くまで冷気を当てたという事なのよね」
「逆に温度を上げる際には、“摩擦熱”を抽出し、当て続ければよい、と」
「そういう事! 色々と応用が利いて面白いわよ、この魔術。唯一の欠点は、“接触しないと効力を発揮しない”と言う事かしら」
その点はアルベルト様の“黒い手”と同じですわね。
その手の内を曝け出したという事は、バレても問題がないと判断したからではないでしょうか。
(そう、例えば、屋敷から出さない、という意思が明確にあるとか)
もちろん、近い内に“食べられる”可能性があるので、生きて屋敷から出れないという事なのかもしれません。
そんな物騒な事を考えていると、食事の準備が出来たようです。
ふっくらとしたパンを横へと真っ二つにし、それに冷たいイチゴの氷菓子を挟む。
「どうぞ、氷菓のサンドイッチでございます」
完成した食事はまさに贅の極み!
氷菓子は滅多に味わえぬ貴重なもので、私も指で数えられるほどしか食べた事のない最高級の菓子。
冬場は食べる気がしませんし、夏場は山奥の氷室から氷を取り出し、それを用いて凍らせますから、非常に手間暇がかかり、作るのも一苦労ですから。
それを惜しげもなくパンに挟んで食するなど、あまりに贅沢!
実際、美味しい。
牛乳に溶け込んだイチゴの甘みが、冷たさと共に舌に乗り、全身にビリリと伝わる感覚がたまりません。
氷菓のように、心が溶けてしまいそうです。
そして、身体の冷えを豆茶が程よく緩和させてくる。
(ああ、最高の贅沢! というか、これが最後の晩餐かしら?)
存分に力を見せ付けられ、もはや戦って勝つなど不可能だと思い知らされました。
なんと申しましょうか、食事のあまりの美味しさに、諦めが付いた、そんな感じです。
いや、本当に美味しかったのですから、この食事。
手向けと思って、味わい尽くしましたとも!




