9-10 お色直し?
春に咲くヒヤシンス、秋に咲くキンモクセイ。
本来、顔を合わせる事のないそれぞれの花ではありますが、それを同一空間で庭に咲き誇らせるという離れ業。
やはり、ここの屋敷の主人が、人外の領域にある存在であると思い知らされました。
当然、戦って勝てるでもなく、私の勝利条件は“生きてこの屋敷を出る”という、極めて消極的な状態にならざるを得ません。
(そう考えると、何はさておき、相手の心象を良くするのが優先。見た目、見栄えというものは、その最たるもの!)
当たり前の話ですが、客人を迎え入れたり、あるいは目上の方との謁見の際には、身だしなみを整えるという行為は最低限の礼儀。
だらしのない恰好を晒すなど以ての外です。
いかに手厚いもてなしや、あるいは贈り物をしようとも、それを施す側が締まらない恰好をしていては全てが台無しです。
そして今、私は自身がその状態にある事に思い至りました。
(森の木々を縫って馬で書けたので、身に付けている狩衣が汚れていますね。おまけに、先程の小鬼とのやり取りで、一部破けてしまっています。おとぎの国に訪れた事へ気が逸り、基本的な事を疎かにするとは……!)
娼婦と言う客商売を行う者が、衣服について気を回さなかったのは大失態。
招かれて屋敷に入った後で気付くとは、とんだ手抜かりでしたわ。
「お客様、いかがなさいましたか?」
そして、見透かしたようにイローナからの問いかけ。
メイドとしての経験か、それとも“人ならざる者”としての嗅覚か、こちらの事を本当によく見ていますね。
誤魔化しも効きそうにありませんし、ここは正面から切り込みましょうか。
「今更なのですが、森を抜けてきたため、衣装がいささか汚れておりますので、屋敷の主人の前に出ても良いものかと……」
「お嬢様は特に服装には頓着されませんので、まあ、問題ないかと」
「そうなのですか?」
「はい。食事の時など、よくこぼされてしまって、少しは服を洗濯する身にもなっていただきたいと考えてしまう程です」
ここで新情報。
想定していたよりも、屋敷の主人とやらが“幼い”という事です。
食事の際に衣服を汚すなどというものは、幼子にありがちな事。
それをメイドが指摘したのであれば、この屋敷のお嬢様は随分とお若い、そう想像するのに難くありません。
(いや、まあ、人外相手に容姿の若さ云々は、考えても埒のない事でしょうけど)
実際、以前出会った魔女のユラハは、最初に出会った時は枯れた老婆の姿をしておりましたが、呪いが解けた途端、うら若き乙女の姿になりましたからね。
生きている人間と違い、“時間”というものがズレているのが“集呪”。
怪物の年齢や見た目など、問題にすらならないという事を経験上知っております。
メイドエルフの言う通り、食事をこぼして衣服を汚すかのような幼子であろうとも、それは見た目の話であって、重ねた齢と比例するとは限りません。
「ちなみに、イローナさん、この屋敷の主人は小さいですか?」
「はい。お客様や私などよりはずっと小さい御方です。だいたい、このくらいでしょうか?」
そう言って、イローナは手を差し出し、手のひらを地面に向ける。
おおよそこのくらいの背丈と言わんばかりのそれでしたが、確かに低い。
だいたい私の腹くらいの身長。
私は女性の方ではわりと長身ではありますが、それにしても低い。
せいぜい、十歳に届くかどうかくらいでしょうか。
「小さい、幼い主人……。ああ、でも、やはりそれでも汚れた衣服でお招きに与るのも失礼ですね。着替え、何とかなりませんでしょうか?」
「私の服で良ければ、お貸しいたしましょう。生憎、この屋敷に住まう者で、お客様と体格が一番近い女性体は、私ですので」
「そうですね……。少し“胸元”がきついかもしれませんが、止むを得ませんか。薄汚れた姿でお目見えする訳にもいきませんので」
うっかり正直な事を口にしてしまったが、目の前のメイドエルフが妙にシュンッとなったように感じました。
いや~、これもまあ、商売道具みたいなものですから。
職業柄、大きい方が資産価値が高いものなのですよ、はい。
(まあ、屋敷の主人が少女であるならば、“お手付き”の可能性もありませんし、私のように立派なものは不要ですか)
なお、従弟のディカブリオを煽り、我が家の奉公人(当時)であったラケスに手を出させましたがね。
あれは良かれと思ってけしかけた姉心。
今では仲睦まじい夫婦ですし、そろそろ子供も生まれそうなので、結果よければすべて良しです。
「……では、お客様、湯浴みで体を清めておいてください。その間に変わりの衣類をお持ちいたしますので」
「あら、湯の用意がしてあると?」
「ここは人の世の摂理が働かない場所でございますよ。湯殿の準備程度でしたらば、造作もない事ですわ」
きっちり先程の返しを入れてきますか。
なかなか良い性格をしていますね、このエルフの侍女は。
とはいえ、身体が冷えていたので、湯浴みが出来るのは僥倖。
お言葉に甘えて、湯をいただく事にしました。
これほどの屋敷ですし、さぞや立派な浴場があるかもしれません。
それはそれで楽しみですわ♪




