9-9 場違いな花
門をくぐり、屋敷の敷地内に入ると、そこはまるで別世界。
鬱蒼と生い茂る森の中の屋敷とは思えぬほどでした。
整えられた石畳に、庭を彩る様々な草花や庭木が配置され、訪れた者を魅了する。
噴水の上げる水飛沫もまた、刺激的に視界を楽しませてきます。
そんな庭の手入れをしているのは、やはり人ではありません。
衣服を来た二足歩行の犬、おとぎ話に出てくる犬頭人でしょうか。
その犬頭人が数名、掃除をしたり、あるいは伸びすぎた庭木を刈り取ったりと、手入れの真っ最中のようです。
作業中と言えども、来客の存在に気付くと、丁寧にお辞儀をしてきました。
(行き届いた手入れのされた庭は素晴らしい。上級貴族の邸宅のそれと比較しても、遜色ないレベルですね。犬頭人の庭師の腕も良いですし、この屋敷の主人の趣味の良さも伺えます)
本当に圧倒されてしまいますね。
おとぎの国にでも迷い込んでしまったかのような感覚です。
と言うか、問答無用で襲い掛かって来た小鬼の門番が、例外だったのでしょうか、エルフもコボルトも友好的で礼儀正しい。
まあ、単に働くようになって日が浅いためかもしれませんが。
(しかし、本当に良い庭ね。こういう場所で茶会や読書でもできたら最高だわ)
財を持つ我が家と言えども、基本的な活動の場は都市の中であるため、ここまで広い庭園はもっておりません。
郊外の領地も漁村ですので、庭園を整えるのに不向き。
ゆえに羨ましく思います。
歳をとって隠居するような時期になれば、こうした癒しの庭が欲しくなりますね。
手入れの行き届いた庭木が並び、色とりどりの花が咲き乱れているのが、良い目の保養ですね。
薄暗い森を抜けてきただけに 余計に美しく、幻想的に映ります。
ただ、その花に奇妙な感覚を覚えて、そちらに歩を進ませると、その違和感が間違いない事が分かりました。
そう、有り得ない組み合わせだと。
「イローナさん、これってキンモクセイの花ですよね?」
一度嗅げば忘れ得ぬほどの甘い香りを放つ、オレンジ色の庭木の花。低木に小さな十字の花を無数に付け、その花から心地よい香りを放っています。
この芳醇な香りが、更なる夢見心地に誘うかのようです。
「はい、キンモクセイで相違ありません」
頷いて返すエルフのメイド。
まあ、この香りを間違い様がありませんものね。
しかし、そのすぐ近くに咲いている花が“おかしい”。
青や白の小さめの花をつけていますが、それに対して猛烈な違和感を感じました。
「では、こちらの花は?」
「ヒヤシンスでございます」
「え!? それっておかしくない!?」
キンモクセイは秋に咲く花で、ヒヤシンスは春に咲く花。
両者が同一の空間で、互いに競うように無数の花を連ねているのは、見る者が見れば違和感しか湧かない。
私は魔女でありますから、草木や薬草への造詣は、医者のアゾットほどではありませんが、かなり詳しいと自負しております。
ゆえに、知識に間違いなしと確信すればこその“違和感”。
この庭は“時間がズレている”と。
そんな困惑する私に、イローナは事も無げに言い放つ。
「特に問題はありません。お嬢様はある程度時間を操れるので、春と秋を同時に楽しむくらい造作もないことなのでございます」
サラッと言ってのけるエルフのメイド。さも当然と言わんばかりの態度です。
私にとって、それはあまりにも衝撃的。
(時の流れは過去から現在を通り、未来へと繋がっている。その流れを表すものとして季節が存在し、春夏秋冬と循環していくのが、神の定めた時間の摂理! それを無視できる存在!?)
主神の定めたであろう時間の概念。その当たり前に存在する自然の摂理に干渉しているのだと、目の前のエルフは言う。
もしそれが本当ならば、この屋敷の主人であるお嬢様とやらは、やはり人に非ず。人智を超えた存在だと言えましょう。
しかも、目の前に季節の違う花を混在させ、その証としている。
そう考えると、途端に私の体に恐怖が湧いてきました。
興奮のあまり興味と言う蜜に誘われ、奇麗な花に留まってみれば、実はそこは蜘蛛の巣、そんな感じでしょうか。
我がイノテア家の家紋は“蝶に見立てた空飛ぶ蛤”。
今の私は、蜘蛛の巣に絡め捕られた蝶のごとし!
(さて、臣下は主君を映す鏡。私を捕食しようとした小鬼、礼節に則った応対をする森人、どちらがより屋敷の主人を表しているのか?)
などと考えてはみても、時すでに遅し。
門をくぐり、屋敷の中に入った時点ですでに退路はない。
そもそもの話として、森に迷い込んだ時点ですでに、“人外の存在の狩場”に入り込んでしまったのかもしれません。
なにしろ、時間の概念すら超越している存在なのですから。
そういうしくじったと言う思いです。
(悩んでいても仕方がないですわね。もはや相手の巣に飛び込んだ以上、なる様にしかなりません。あとは“魔女の三枚舌”が通用するか否か、それだけです)
こうしてわざわざ招いた以上、言葉が通じるのは間違いありません。
であるならば、説得や懐柔、あるいは口八丁が通じる相手でもあるという事。
いきなりの正念場ですわね。
狩猟大会に参加してみれば、よもや自分が“狩られる側”に回ってしまうとは。
いやはや、人生とは何が起こるか分からないものですわね。




