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魔女で娼婦な男爵夫人ヌイヴェルの忙しない日々  作者: 夢神 蒼茫
第8章 魔女に捧げる愛の詩
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8-21 いつもの朝は豆茶《カッファ》と共に (後編)

 杯より湯気が立ち上がり、香しい豆茶カッファの香りが鼻をくすぐってきます。


 贔屓にしているボロンゴ商会より仕入れた上物で、焙煎も腕のいい職人の技が光り、鼻腔より全身に染み入る香りが素晴らしい。


 朝の一杯を飲むに際して、これ以上の飲料はないと思っております。


 そんな香りに頭が冴えてきましたのか、寝台で横になっていましたヴィニス様が目覚められたようです。


 とは言え、まだ寝惚け眼で状況を理解できていないご様子。


 ゆっくりと周囲を見回し、そして、私と目が合う。


 そこでようやく気付いたのでしょうか、自分が“裸”であることに。



「きゃ!」



 なんとも可愛らしい声を上げ、再び布団に包まってしまいました。


 顔を見る事はできませんが、きっと真っ赤にしている事でしょう。



「おはようございます、ヴィニス様。昨夜はお楽しみいただけたでしょうか?」



 意地悪にも、追撃の一言を放つ私。


 “昨夜”という言葉で意識をそちらに向け、さらに羞恥心を活性化させますと、まん丸の布団から「むほぉ~!」と叫び声が。


 おまけに寝台の上でジタバタモゾモゾ。


 思い出して、更に恥ずかしくなったのは確実ですわね。


 そこには“市長夫人”など存在せず、ただただ“恋する乙女”と暴走した痕跡である“乱れた臥布”が存在するのみ。



(で、意地悪な私はさらに追撃をしてしまうっと)



 豆茶カッファは机の上に置き、そのまま寝台に腰かける。


 そして、奇声をあげながらモゾモゾするヴィニス様に手を差し出し、その肌をなぞる様に滑らせますと、ビクリと飛び跳ねる始末。


 反応がまた可愛らしい。



「さあ、ヴィニス様、朝がやって来ましたわよ。名残惜しくはありますが、温もりの籠る寝台より起き上がり、現実という苦みのある時間を過ごさねばなりません」



 当人はこのままここで何も考えず、あるいは私とイチャコラしていたいのかもしれませんが、そう言う訳には参りませんのでね。


 ここは強引に掛布団を引っぺがし、姿を見せた裸の少女の頬へ口付けを。


 こうでもしなければ、現実に戻って来ませんわ。


 これはいわば迎え酒。少しの刺激で現実へ引き戻すやり口。


 夢の世界に残りたいと思いつつも、現実がそれを許さない。



(まあ、あくまで娼館ここだけのお話ですからね。いつまでも逗留する訳にも参りませんし、お目覚めいただきませんとね)



 少し強引に少女の体を引っ張り起こし、シーツで肌を隠して恥ずかしがるその出で立ちを、舐めるように見回す私。


 更に顔を赤らめますが、お構いなしに今一度口付けをする。



「あ……」



 漏れ出たため息は、身体にたまる熱を放出させ、逆に冷静にさせる。


 そして、少女の頬に手を添え、グッと顔を近付けました。


 息を吹きかければ届くほどの距離、そして、見つめ合う娼婦わたしお客様(ヴィニスさま)


 夢か現実か分からぬ意識を、部屋中に広がる豆茶カッファの香りがそれを呼び戻す。



「お、おはようございます、ヌイヴェル様」



「はい、おはようございます、ヴィニス様。お加減はいかがでありましょうか?」



「……昨夜、私、とんでもない事、しちゃいました?」



「酒を飲まずに酔えるというのも、なかなか稀有な感性をお持ちのようですわね」



「……何と言いましょうか、恥ずかしい」



「気にする事はありませんわ。このお店はそうした欲望を吐き出しても、秘密にできる場所なのですから。ただまあ、少女相手にそれをしたのは私も初めてですので、いささか無作法もあったかもしれませんが」



「そんな事ないです! 私の我がままを聞いてくださったんですから」



 そう言って、ヴィニス様は包まっていた掛布団を放り投げ、私に抱き付いて来ました。


 それに対して、私はその頭を撫で、少し乱れた髪を指で梳き、さらに背中を突く。



「きゃ」



「さあ、御一緒に朝の一杯をいただきましょうか」



 脱ぎ捨てた衣服を差し出し、着替えをお手伝い。


 変装して入ってきましたので、服は少年のそれ。


 髪を下ろしていなければ、そうだと気付かないのは小振りな胸元のおかげか。


 などと考えつつ、服を着たヴィニス様を椅子に座らせ、淹れたての豆茶カッファを差し出しました。



「ささ、お目覚めの一杯をどうぞ。砂糖もご用意いたしましたので、ご随意にお入れくださいませ」



 誘われるままに砂糖の入った小壺の蓋を開け、小さじで三杯も入れてしまわれました。


 甘い味付けがよろしいようですわね。


 なお、私の好みは小さじで半分ほどを入れる事。


 ほんの少し甘みを感じる程度が良い。


 そして、少し甘い豆茶カッファと、かなり甘い豆茶カッファをそれぞれの口に運び、一口流し込む。


 互いに「ほぅ」とため息を漏らし、朝がやって来た事を体にしみ込ませる。


 やはり朝の一杯は格別でございますね。


 そう互いの顔を見ながら納得し、笑顔を交わす。


 現実という苦みを感じる前の、ささやかな甘さ。


 朝を彩る一杯としては、これ以上のものはありませんわ。

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