8-14 丸投げ
「ど、どうしてこうなった……!?」
あまりに唐突な出来事に、困惑するしかない私。
よもや“市長の依頼”で、“市長夫人を慰めてやれ”とのお達し。
それも、喫茶店ではなく、娼館で!
「いや、まあ、出来ない事もありませんが、いいんですか!? 支配人、お店として大丈夫なのですか!?」
「問題ない。予約を入れ、金が支払われるのであれば、それはどこの誰であろうと、客ではないか」
「そりゃあまあ、そうなのですが……」
支配人であるヴィットーリオ叔父様からすれば、市長からの依頼である。
客、この場合はヴィニス様になりますが、初来店前から“嬢”に惚れ込んでいる状態ですし、再来店の可能性も高い。
割とよさげな上得意になりそうであるし、躊躇する理由が一切ありません。
“嬢”の困惑の度数を考慮に入れなければ。
「ヴェル姉様は魅力的ですからね~。私だって、身内でなかったら、とっくにぞっこんですよ!」
「ジュリエッタも無責任な事、言わないの!」
「いや~、同性でさえも虜にするヴェル姉様の話術と手管、さすがですわ! 新しい上客が向こうから来たようなもんですし」
気楽に言ってくれますわね、ジュリエッタ。そのうち、面倒な客を宛がって差し上げますから、覚悟なさいよ。
まあ、客を取った事のない見習いに言っても詮無き事ですが。
「まさか先程の手紙は、これの前振りだったと……」
「手紙? ああ、そうだ。ヴェルよ、市長から手紙を預かっていたのだ」
そう言うと、お爺様は懐から手紙を取り出して、私に差し出しました。
嫌な予感しかしませんでしたが、私はそれを受け取ると急いで開封し、中身を確認いたしました。
『親愛なる魔女ヌイヴェル殿へ。寂しい思いをさせてしまっているに妻ヴィニスに、何かと寄り添って慰めてくれていると聞き及んでおります。こう言うのもなんですが、成り行きで結婚してしまったとは言え、幼い妻を持て余しておりました。大事には扱っているのですが、夫としての義務も、家族としての憩いの時間も持てぬ多忙な身の上を悩んでいたのが正直なところ。家の使用人から聞いたのですが、妻は最近、恋愛物の本を読み漁り、その都度ため息を吐いているのだとか。我が不徳の至りであると痛感しております。先頃、久々に妻と食事をする時間を持つことができ、何か用立てるものはないかと尋ねたところ、とにかくあなたにお会いしたいとの懇願をされました。急な話ではございますが、ささやかな妻の願いを叶えるべく、こうして仕事を依頼したわけです。なにとぞ“一肌脱いで”いただくようお願い申し上げます』
文体は重いのに、妙に楽しげな雰囲気すら漂わせるこの手紙。市長は絶対にウキウキ気分で筆を進ませたのでございましょう。
「ほとんど押し付けではないですか、市長ぉぉぉぉぉ!」
「任されたと言わんか、馬鹿者」
「いやいや、どう考えてみても、妻の面倒をこちらに丸投げしているようにしか見えませんが!?」
「客である事には変わりない。予約を受けた以上、誠心誠意を忘れてはならんぞ。それが客商売というものであり、高級娼婦の正しい姿だ」
物は言いようでございますわね、叔父様。
どう考えましても、持て余していた妻の気分転換に、私を使おうという腹積もりではありませんか。
「しかし、本当によろしいのですか? 市長夫人を“客”として招いても」
「客は男であらねばならない、などという規則はどこにもないぞ」
それもそうでございました。まあ、娼館に女が客として来るなど前代未聞でございますし、妙な前例が出来上がりそうでございます。
「ちなみに、予約の取り消しは……」
「できんぞ。前金で全額支払ってもらっている」
すでに退路は塞がれており、逃げ出すことはできません。
全額前金での支払いとなると、向こうの本気度が伺い知れるというものです。
(今宵は籠の中の鳥と一夜の逢瀬を営むことになりそうです。こんな悩ましいのは、始めて客を取った時以来でございますよ!)
今の私を鏡で見れば、今までにない複雑な顔をしている事でしょう。
成り行き任せでこうなったとは言え、客として少女を私の部屋に招き入れるなど、初めてですからね。
「ヌイヴェル、迷っておるようだが、誠心誠意おもてなししろ。部屋の中で夢の世界へ誘うのが娼婦たるお前の務めだ」
「こ、心得ております」
「市長との太い人脈構築という側面もある。しっかり励め」
「それを狙って始めたヴィニス様への接触が、こんな形になろうとは……」
「下心ありの付き合いであったのだし、それはそれで目的が果たせてよかったな。しかし、それも些末な事。代々の稼業である娼婦としての務めがある。こちらが客商売であるという事を忘れるな」
ああ、そうでございましたね。
この年になって基本を忘れるなどもっての外でございます。どなたが客であろうとも、おもてなしするのが娼婦たる私の務め。
イノテア家に婿入りしたヴィットーリオ叔父様の方が、余程それを掴んでいます。
私もまだまだ修行不足でしょうか。
「それに、だ。ヴェル、イノテア家の家訓を言ってみろ」
「男は土地を耕し、物を採れ。女は糸を紡ぎ、銭を釣れ」
「そうだ。お前は縁という糸を紡ぎ、そして、金づるが釣れたのだ。これを喜ばずにどうするのというのだ?」
叔父様の仰る通りでございますわね。
単に股座に物がついていないだけで、金を落とす者は誰であろうと客は客。しっかりともてなさねば、不作法にも程があります。
「そうですよ、ヴェル姉様。相手は市長ですよ、市長! こんな上客、なかなかいませんよ」
「正確には、その夫人ですけどね」
「お財布は市長名義ですから、意味は同じですよ」
相変わらずジュリエッタめ、現金な性格をしてますわね。まあ、確かにお代は市長の方から払われておりますから、あながち間違いとは言えませんが。
よくよく考え得てみれば、一連の動きは成功でありましたわね。夫人と仲良くなる、市長との縁ができる、美味しい話をいただく、この下心が達成されたわけでありますから。
もっとも、予想とは大きく外れた奇妙な仕事を引き受けることにはなりましたが、これもまた縁というものなのでしょうか。
あるいは愛の天使がイタズラ心を呼び起こし、女同士の心に矢を撃ち込んだのかもしれません。
人生、何が起こるか分からないものですね。




