8-13 塞がれた逃げ道
今、私は間違いなく気が動転しております。
よもやまさか、“女の子”からの恋文など生まれて初めてです。
殿方からはそうした手紙を受け取る事はありましたが、それにつきましては手慣れたもの。
文脈や送り主の性格を鑑みて、懇意になれるように返信するものです。
(……が! 今回は、少女(既婚者)からの手紙! 恋文としか思えぬ詩文! は、判断に迷います、これは!)
ほんの一ヶ月くらい御無沙汰していただけで、よもやここまで事態があらぬ方向に飛んでいたとは、完全に予想外の展開!
すぐ横で意味ありげにニヤつくジュリエッタが、妙にムカつきますね。
他人事だと思って、お気楽なものです。
手紙は封書に戻して見なかったことにし、杯に残っておりました豆茶を飲み干しました。
気分の入れ替えです。
(これは近い内に会わねばなりませんね。これ以上、事態が思わぬ方向に進まぬように、手を打たねば!)
そんな事を考えていますと、扉が叩かれました。
そして、入ってきましたのは一人の老紳士。私の叔父でありますヴィットーリオ様でございます。
従弟のディカブリオの父親であり、近所の境界で神職をやっておりますヴェルナー司祭様の実弟でもあります。
この方が婿養子として我がイノテア家に入り、“ファルス男爵家”を新たに創設したからこそ、当家が貴族の仲間入りができたのでございます。
現在は家督を男爵号と共に息子のディカブリオに譲り、港湾都市ヤーヌスの名士として悠々自適に過ごしております。
一応、名義の上では高級娼館『天国の扉』の支配人という事になっておりますが、店の経営はもっぱら妻であり、私からすれば叔母にあたりますオクタヴィア様に一任。
自身は名士層の集まりに顔を出し、人脈の強化に努めています。
なので、こうして店に顔を出す方が珍しい支配人と言う訳です。
「お帰りなさいませ、支配人。お顔をお出しになるとはお珍しい」
「うむ。急な客の話が舞い込んできてな」
「そうでございますか。それを私に?」
「ああ、そうだ。お前をご指名だ。確か今日は空いていたはずだが、間違いないか?」
「はい。ですので、こうして書類仕事に勤しんでおります」
ほぼ片付きましたが、執務机の上にはまだ書類の束が残っております。
叔母様に押し付けられたときは、書類が山になっておりましたが、今はすっかり開墾され、平野になりつつあります。
「では、残りはこちらでやっておくから、その急な来客の相手を任せたぞ、ヌイヴェル。おそらく上得意となるであろう新規の客だ。しっかり励め」
「畏まりました」
この娼館は高級娼館を謳っておりまして、完璧なおもてなしをするために準備に余念がなく、そのため“完全予約制”を通しております。
この完全予約制に加えて高い料金設定、普通の客はまず寄り付かず、実質“一見様お断り”状態になっているのが当店の特徴。
敷居を高くすることで、客層も同時に高くし、無粋な輩が入ってこないようにしているのでございます。
では、完全予約制の高い敷居の店で、新規の客はどうやって当館に来るのかというと、別のお客様よりの紹介という形で来店するのでございます。
例えば、店の常連に間に入ってもらい、その新規の客と店の繋ぎをやってもらうという訳です。
紹介する常連も、下手な者を店に呼び込むと自分の名声にもかかわって参りますので、紹介するのにも気を使うものです。
なにしろ、客層は上流階級や知識人層に名を連ねる方ばかりですので、店での粗野な振る舞いはたちまち情報が拡散し、社交界でさらし者になる危険がございます。
そうなると紹介する側も慎重にならざるを得ず、それが店の質の維持にもつながるというわけです。
そして、もう一つ、御新規入店の方法がございまして、それは支配人でありますヴィットーリオ叔父様に直接予約のお願いをするというやり方。
店に顔を出すのは稀とは言え、所属する娼婦の予約は全てオクタヴィア様から通達され、頭の中に入っておりますので、誰かしらから頼まれた場合、都合の良い嬢を宛がうと言う訳です。
(とは言え、それはあくまで通常の予約のやり方。いきなり今日、予約を捻じ込んでくるのは異例ですね。余程の美味しい客でしょうか)
完全予約制を謳っている店ですので、当日予約は受けない事が通例です。
完璧なる御奉仕を売りにしておりますれば、何かと準備に手間のかかるもの。
しかし、今回はさらに特別のようです。
当日予約は準備の点から受けないのですが、それでも今日の案件に限っては珍しく受けたということ。
余程の逃したくない御仁からの予約という訳でしょうね。
「かしこまりました。すぐに準備に取り掛かります。ときに、どちらの御仁がやって来られるのでありましょうか?」
「客は市長夫人だ。いやまあ、予約を入れてきたのはグリエールモ市長だがな」
言葉の意味を理解するのに時間を要しました。そして、意味を理解した時、頭の中は混乱して大爆発を起こしました。
よもやまさかの“市長夫人”が客とは!
「……はい? 支配人、今なんと?」
「だから、市長夫人が今夜の客だと言った」
「冗談でもなんでもなく!?」
「当然だ。仕事のことでは、嘘も冗談もなしだ」
どうやら本当のようでございます。急遽入れられた予約の客は、なんとヴィニス様だというではありませんか。
しかも、“市長”が予約を入れてきたという事は、そちらも承知という事。
あろうことか、自身の妻を娼館に向かわせ、そこで楽しんで来いという訳の分からぬ状況。
ゆえに、私の口からはこの言葉が漏れ出る。
「ど、どうしてこうなった……!?」




