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魔女で娼婦な男爵夫人ヌイヴェルの忙しない日々  作者: 夢神 蒼茫
第8章 魔女に捧げる愛の詩
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8-8 魔女は笑顔を忘れるな

 その日の婦人会はいつになく疲れました。


 食事会が終わり、自身の屋敷に帰宅したときは、身体にも精神にもどっしりとした重い枷でも嵌められた気分。



(いやはや、他人の愚痴を聞くのは慣れっこですが、今日のはさすがに堪えましたね)



 今のソファーに腰かけ、だらしなく持たれかける様は人には見せられませんね。


 見上げる天井すら、億劫に感じる程です。


 こうなった理由は分かっています。


 肌の触れ合った相手の心を読み取れる私ではありますが、あまり読み過ぎると精神状態が相手のそれに引っ張られてしまう傾向にあるからです。



(知ってしまったからには何とかしてあげたいですが、かなりの難問ですわね、これは)



 市長夫人のヴィニス様は悩んでいます。


 悩んでいる、と言う表現すら生温い程の“飼い殺し”の状態です。


 父親の命で嫁ぎ、嫁いだ先が市長。その市長とは、爺と孫と呼べるほどの齢の差。


 そこに愛情もなければ、情欲もなく、ただただ“家族”という一括りにされているだけの存在。


 おまけに“年上の息子”という訳の分からぬ存在に、来年には自身が“おばあちゃん”になるのだとも聞きました。



(そう。別に虐待をされているとか、そういうのではない。扱いとしては丁寧。しかし、それは愛玩動物アニマレ・ドメスティコと何ら変わる事のない立場)



 市長一家はヴィニス様に対して、何か求めているというわけではない。


 本当に“そこにいるだけでいい”とでも言わんばかりです。


 結局、上流階級における結婚とは、“家や組織の繋がりを保証するもの”以上の何物でもないという事ですね。


 貴族であり、資産家でもありますので、私もそこは弁えているつもりですが、こうまで極端な例を見せ付けられては一考せざるを得ません。


 少女を檻の中から出してやるにはどうするべきか、そう考えていますと不意に今の扉が叩かれました。



「誰ですか?」



「ヴェル姉様、ジュリエッタです。あと、カトリーナ様もご一緒です」



 扉越しから聞こえてくる声は、妹分のジュリエッタです。


 遠い親戚筋の娘で、数年前の流行病が蔓延した際に親を失い、そのまま我が家で引き取って養育しています。


 いずれは我が家の稼業でもある“高級娼婦コルティジャーナ”にするべく、カトリーナお婆様が厳しく躾けている最中です。



「あら、お婆様もですか。どうぞお入りになってください」



 私はだらけていた姿勢を正し、偉大なる魔女を出迎える。


 入ってきましたのは、赤毛の少女と白髪の老女。


 見習い娼婦のジュリエッタ、そして、“大魔女グランデ・ステレーガ”と呼ばれている我が家の英雄カトリーナお婆様です。



「カトリーナお婆様、お加減はよろしいので?」



「今日は気分も体も調子が良いので、久々に“下界”に来てしまいましたわ」



 ちなみに、お婆様が“下界”と言ったのは、普段は“魔女の館”の中にあります塔の部屋にこもり、病気療養をしているからです。


 ただし、“老衰”という決して癒える事のない病ですので、いずれ近いうちに神の御許へ旅立たれるでしょうが、それを感じさせない張りのある声が私の耳に突き刺さります。


 たまにこうして体調の良い時には“下界(下階)”に降りて来られますが、すでに一人で立って歩けぬほどに衰えていまして、今もジュリエッタに支えられながらの登場です。


 ジュリエッタに一緒にゆっくりと歩き、私と向かい合うように腰かけました。


 体こそ老女のそれでありますが、全身からあふれ出る気配は一切の衰えを感じさせません。



「それで、ヴェルや、今日は婦人会の集まりに出かけられていたようだけど、何かあったのかい?」



「はい。それがいささか面倒な事態になりまして」



 さすがにこちらの顔色を見ただけで、すんなり状況を察してしまわれましたか。


 体は衰えど、まとう気や、あるいは目利きは老いを感じさせません。


 それでこそ、私の敬愛してやまぬ“大魔女グランデ・ステレーガ”でございます。



「……と言う訳で、市長一家がどうにも厄介な状況になりつつあるようです」



「まったく、フランヴェールめ、娘をダシに勢力拡張とは芸のない。おまけに品までない。己の頭と舌で獲物くらい掠め取りなさい」



 お婆様が珍しく不機嫌さを表に出していますわね。


 皺の走る顔が吊り上がっております。


 ちなみに、フランヴェールとは、ヴィニス様の実父で、『パリッツィ銀行』の支配人の事でございます。


 大銀行の支配人を呼び捨てにできる辺り、お婆様の隠然たる力が透けてきますわね。



「とは言え、これは好機でもあります。ヴェル、分かっておりますね?」



「はい。『人の嫌がる事は率先してやれ』でございますね」



「然り。まあ、今回の場合は、嫌がる事と言うよりかは、持て余し気味の物件を“改装”することですが」



「市長はどうも、若い後妻を持て余しているご様子。改善しようという気構えは見えているのですが、如何せん、市長としての仕事で多忙なため、夫として妻に向ける時間を用意できないでいるようです」



「であるからこそ、ヴェルが指南役となり、ヴィニス嬢を“改装”しなさい。人付き合いが苦手だというのであれば、人との接し方、特に年上の相手との接し方をあなたが教えるのです」



「まあ、得意分野ではありますが」



 なにしろ、私の本業は“高級娼婦コルティジャーナ”ですからね。


 年上の男性の相手など、基本中の基本でございます。


 相手と和気あいあいの会話、食事、そして、“寝技”。まさにいつもやっている事でございます。



(まあ、“寝技”に関しては、控えると致しましょう。日頃お疲れの市長を余計に疲れさせるだけですからね。そこは自然の成り行き任せ)



 話術、手技療法マッサージ、あるいは手作りの料理や菓子類などもいいかもしれませんね。


 やるべき事、改善すべき点はいくらでもあります。



「よいですか。市長夫婦の間を取り持ち、見事に健全な夫婦に仕上げるのです」



「年齢差の時点で、すでに健全ではないのですが」



「まあ、そこは無視なさい。と言うか、気が合うかどうかは、年齢など関係ありませんよ。あなた自身がそれを証明しているのでは?」



「それにつきましては、お婆様に同意いたします」



 実際、私の客層はご年配の方が多いですし、気の合う方もかなりいます。


 そういう意味では、私自身がお手本でもありますわね。


 その姿、経験を以て、あの薄幸の少女を教導いたしますか。



(元よりそのつもりですし、報酬も見込めますからね)



 市長との確たる人脈、そして、何よりも“貸しを作る”事は大きい。


 いずれ、ここぞという場面で使わせていただきますわ。



「よいですか、ヴェル。魔女は笑顔を忘れてはなりませんよ。その仮面の下に毒を仕込んでいようとも」



「毒を仕込んでいるからこそ、ですね」



「口移しで飲ませる媚薬は、これまた甘美なものですよ。誰であろうと、役に立ちそうな者は、余さず篭絡なさい。話術のみならず、苦い甘意を交えてこそ。それが魔女の“舌”なのですから」



 不敵に笑うお婆様も、現役時代はどれほどの人間を男女問わずに惑わし、虜にし、美味しいところを掻っ攫ってきたのやら。


 しかし、孫である私もまた、それをやらずになんとするのか。


 目標、市長夫人ヴィニス=ロッチャーダ。


 さあ、彼女を堕として差し上げますわ。


 しかる後、市長との人脈をがっちり築きましょう。


 端からそんな“下心”で近付いたのですから、後戻りするつもりもありませんわ。


 さて、次の婦人会はいつでしたでしょうか?

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