7-78 消えた魔女 (後編)
「やはり、魔女レオーネの水死体は見つからなかったと?」
予想の範疇とは言え、やはりそれは驚くべき事です。
あの場面で見つからずに撤収するとなると、二つに一つ。
“言霊”に捉まったふりをしてヴォイヤー公爵の御一行に混じり、頃合いを見て隊列から離れた。
もしくは、アルベルト様が対岸に到着する前に、泳ぎ切って逃げた。
この内にどちらかしかないのですから。
(前者であれば、法王の魔術にさえ抵抗してみせた強靭な精神力があり、後者であれば、超高速で水を進める何かを持っているという事。恐らくは前者でしょうが、そうであるならば脅威でもありますわね)
かつて起こった“ラキアートの動乱”では、マティアス陛下が“反言霊”を無意識に用いて人々から“雲上人”への畏怖を取り除き、反抗の機運を生み出したのですから。
それを意図的に操れるとなると、明確な脅威となるでしょう。
支配体制の揺らぎ、その象徴となるのですから。
「湖はくまなく探した。もちろん、ヴェルナー司祭の助けも借りてな。だが、ヴェルナー司祭は魔女レオーネの声を一切聞けなかったそうだ」
「ヴェルナー様の魔術は、“死者の声を聞く事”ですからね。死んでいないのであれば、そこに死体がないのであれば、声が聞こえないのも道理でしょう」
やはり、逃げ切ったので間違いないでしょうね。
死体が上がってこなかったのなら、それで間違いありません。
厄介な相手を逃してしまった、というわけですか。
「魔女殿、レオーネはどこへ逃げたと思う?」
「我が大公国内にいた内通者が倒れた以上、現段階では撤収せざるを得ないでしょう。そうなると、ネーレロッソ大公の下へ行くのが妥当かと」
「外交面から、ネーレロッソに圧力をかけて、身柄引き渡しに応じると思うか?」
「まず無理でしょう。そもそも、顔は仮面で覆われていたため、素顔を見ておりませんし、判別は難しいでしょう。もし、私がネーレロッソ側であれば、顔と喉を焼いた適当な女性を差し出し、『これが件の魔女で処罰しておいた』とでも言って安心させつつ、密かに匿います」
「恐ろしいやり口だな。だが、それくらいならやりかねんな」
顔を隠していた以上、彼女を判別できるのは“声”だけ。
もし仮に次に出くわしたとしても、“沈黙”を選択されては暴きようがなくなる。
厄介な人物が現れ、おまけに潜ってしまいましたわね。
「……そこでアルベルト様、一つ提案がありますので、フェルディナンド陛下にお伝え願えませんか?」
「兄上にか? なんだ?」
「もう間もなく、若君が、大公子殿下が一歳の誕生日を迎えられます」
「だな。ああ、魔女殿にも生誕祭の宴への招待状は出すつもりでいるぞ」
「それはありがとうございます。そこで、その招待状を“ネーレロッソ大公”にも出しておいてください」
「ネーレロッソ側を宴に招くつもりか!?」
まあ、我がジェノヴェーゼ大公国とネーレロッソ大公国は犬猿の仲。
いつもならば、絶対に招きになど応じないでしょう。
ですが、その懐中に“魔女”がいるのであれば、話は別です。
かなり高い確率で乗り込んでくることでしょう。
「招いても来るとは思えんがな」
「来ます。断言しても構いません」
「そうまで言える根拠とは?」
「“魔女”という存在は、誰よりも負けず嫌いなのですよ。魔女であるこの私が言うのですから、間違いありません」
私自身、やられたらやり返す性分ですからね。
時に堂々と、時に陰湿に、そう、確実に返します。
まして、私以上にあの勝気な性格していそうな魔女レオーネ。
このまま引き下がっているとは思えませんわ。
「なるほどな。なら、招待状と言う餌を撒けば、必ず寄って来る。大公を焚きつけて、必ず顔を出すという事か」
「高い確率で出てくるものかと。よしんば出て来なくとも、ネーレロッソ側にそれとなく匂わせて、牽制を入れる事にもなりましょう」
「どのみち、損はないという事か。面白い、兄上にはそう伝えておこう」
アルベルト様も私の提案を受け入れ、満足そうに頷かれました。
「時に魔女殿、法王聖下とはどのような会話をなされたのか?」
「それはお話しする事はできませんわ。難く口止めされていますので」
「まあ、そうだろうな。少なくとも、法王聖下から“口外できないような話を聞いた”という事実だけが残っているというわけだ」
「無理やりにでも吐かせるおつもりで?」
「まさか! そんな事は考えてはいても、兄上の許可が出るわけがないからな」
「つまり、許可さえあれば、やる気満々であった、と?」
「正直に言えば、かなり気になる内容だからな。わざわざ人払いをして、魔女殿にだけ聞かせた話だ。気にならん方がおかしい」
まあ、確かに話した内容は、個人的な事でも、世界の根幹の事でも、かなり踏み込んだ内容でしたからね。
知りたいと考えるのはごく自然な事。
もっとも、口外すれば、“お兄様”に何をされるか分かりませんので、絶対に話す事はありませんけどね。
「では、最後にもう一つ。兄上からの御下問だ」
「陛下は何と?」
「クククっ……、曰く、『お馬さん遊びが得意との事だが、乗りこなした荒馬の中に私は含まれているのか?』と」
「ブフォッ!」
思わず吹き出してしまいました。
フェルディナンド陛下、何というバカバカしい質問を飛ばしてくるのですか。
これほど、答えに窮する御下問はないですよ、まったく。
「で、どうなのだ?」
「そうですね。では、陛下にはこうお伝えください。『あなた様が一番の駿馬にございます』と」
「フフッ、そう返してきたか。“荒馬”ではなく、“駿馬”か。まあ、ちゃんと一言一句違わずに伝えておこう」
話しはこれまでとばかりに席を立ち、入口の方へとアルベルト様は歩き始めました。
「あの、これはよろしいので?」
私の手にあるのは“銃”。
世界を改変させかねない程の魔女の道具であり、今回の事件の大事な押収品でもあります。
それを置き去りにして立ち去るなど、アルベルト様らしからぬ軽挙。
しかし、アルベルト様はニヤリと笑ってきました。
「どのみち、それだけではただの鉄の筒だからな。火薬の製法が分からん以上、珍しい調度品にしかならん。壁掛けの代わりにでもしておけ」
「物騒極まる調度品ですわね」
「魔女の館には、ある意味でお似合いかもしれんぞ」
などと言って、笑いながら塔の部屋を出て行かれました。
相も変わらずの厄介事でございますね。
これを預けたという事は、暗に「どうにかして使えるようにしろ」と命じられているようなもの。
魔女の秘術で生み出したのだから、同じ魔女の私にどうにかしろ、と。
(完全に専門外なのですけどね~)
私の魔術は、どちらかというと“詐術”に近いですからね。
口八丁で相手を惑わし、有利な状況を作り出す事に特化したやり方です。
一方の魔女レオーネは、より実践的な魔術。
“化学”を用いて、武器を生み出すもの。
できれば、敵にしたくない類いの魔術です。
厄介事がさらに増えたと、私は深い溜息を吐くよりありませんでした。




