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魔女で娼婦な男爵夫人ヌイヴェルの忙しない日々  作者: 夢神 蒼茫
第1章 チロール伯爵家の遺産
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1-17 最終手続き

 予定していました通り、一週間後に呼び出しを受けました。


 役所等での相続手続きが完了し、あとは関係者が書類に署名すれば、チロール伯爵家の遺産が新しい伯爵の下へと移る。


 そういう手筈でございます。


 私はすでに相続放棄を宣言し、“新たな伯爵家の当主”に私の貰い受ける分も引き渡す事を約しております。


 あとはそれを公式に認める書類に署名するだけ。


 そして、その場所はチロール伯爵家の別邸でございます。


 郊外にある閑静な場所でございまして、周囲には伯爵家の所領であります農村が一つある程度の静かな場所。


 “仕掛ける”には、まさに最適。何があっても、誰も駆けつけて来ない(・・・・・・・・・・)のですから。


 私は呼び出しに素直に応じるふり(・・)をして、従者を一人だけ連れて伯爵家の別邸へと赴きました。


 そして、従者と共に別邸の敷地に入りましたら、まあ、いるわいるわ。


 そう、“完全武装”の兵士がズラリと二十名!



(まあ、こちらが心変わりして、ごねさせないための“脅し”ですわね)



 署名だけしてさっさと帰れ。


 そんなあちらの態度が透けて見えるというものです。


 ですが、それこそ“思うつぼ”なのですけどね。



(それに、“たった”の二十名程度の兵士で足りると思っているのかしらね?)



 そう考えると、むしろこちらに剣をチラつかせて、脅しをかけてくれた方が手っ取り早いと言うもの。


 それを理由に一気に事を進めることも叶いますから。


 などと不埒な事を考えつつ、葬儀の席でもお会いしました伯爵家の執事に案内され、邸宅の一室へと通されました。


 そこにいたのはヨハン様とその生母のジル、さらに武装した兵士が五名。


 そこに私とその従者、案内していただきました執事が颯爽と登場というわけでございます。



(ここにも武装した兵士。これも“脅し”のための金属製のアクセサリー。実に単純、芸が無いですわよ、芸が)



 それより問題なのは、“立会人”の類が一切いないということです。


 こうした重要な取引や契約に際しては、関係者を招いておいて、ちゃんと署名捺印がなされたかどうかの確認をするのは当然の事。


 しかし、それが見当たらない。


 今回の場合ですと、伯爵家の相続に関することですので、伯爵家の御身内を何人か配しておくのが通例でございます。



(それがいないということは、情報通り、かなり強引に進められたようですわね)



 葬儀の席で相続の問題が飛び出してから一週間、その間に伯爵家の内部でかなりごたついていたのは確実です。


 密かに調べさせていましたが、相続候補の一人が“急病”でお亡くなりになったとの情報も入っていますし、まあ、やらかした(・・・・・)のは確実ですわね。



(一人を無残に殺し、残りに余計な事をするなと警告を与える。まあ、脅しとしては中々のものですが、事を焦り過ぎましたわね)



 もちろん、この場で私がごねれば、私もまた“暗殺”と言う名の急な病を患って、あの世でハルト様とご面会などという事になるでしょう。


 そんな事は真っ平御免ですが、実際そうした強引なやり口をしたからこそ、伯爵家の御身内に急死した方がいらっしゃるのですから。



「よく来たな、魔女。くだらん前置きはやめにして、さっさとそこの書類に署名しろ」



 椅子に腰かけた肉の塊が、尊大な態度で机の上の書類を指さし、命じてきました。


 もちろん、伯爵家を継ぐ予定のヨハン様です。


 その横には生母のジルも立っています。


 まあ、欲望にぎらついた目をしておりまして、どちらもさっさとしろと無言で急かしてまいります。


 そして、ヨハン様の指さす先には、相続に関する書類が何枚か置かれており、その横には少し大きめの袋が添えてありました。


 相続放棄の代償として受け取る、金貨百枚がその中に収められているのでしょう。



(もっとも、大人しく署名しても、無事にここから出すとも限りませんけどね。そこにいる兵士で脅しつけて、金貨袋を取り戻す、なんて無作法な事をしかねませんからね、この二人なら)



 もちろん、そんな事はさせませんし、なにより私がこの場に参りましたのも、『チロール伯爵家の遺産』を“全部”いただくためなのですから。



「ヨハン様、ユリウス様はいらっしゃらないので?」



「ああ。急ぎの別件ができたとかで、書類だけ置いて去っていった。お前の署名を貰って、礼部の監査局に提出すれば問題なく相続の件は有効になると言っていた」



「なるほど。では、御身内の立会人がいないのはどういう理由で?」



「全員、相続を放棄しました。なので、この場にいなくても良いと言う事です」



 答えたのはジルで、その顔は実に醜く歪んでいました。


 新当主の生母として、今まで以上に好き放題できるのでしょうから、笑みの一つでもついついこぼれてしまうと言うものでしょうね。


 そのために人殺しまでやったのでしょうから。



(あまりスマートとは言い難いわね。目の前のお宝に目がくらんで、強引に事を進めたのでしょうけど、優雅さも、知性も、何も感じないとんだクズね)



 これではお亡くなりになったハルト様が浮かばれないと言うものですね。


 まあ、それもこれもあの遺言状が原因で、死人が文句をいう訳でもないし、好き放題やらせていただきましょう。



「と言う事は、伯爵家の相続人はヨハン様、御一人……。他の方も相続権を手放したと認識してよろしいでしょうか?」



「そういう事だ。まあ、俺が前当主唯一の直系であるし、当然と言えば当然だ。少し脅してやれば、あっさり引き下がった」



 尊大な態度で言い放つヨハン様ですが、全然ダメですわね。


 脅した、などとわざわざ喋る必要のない言葉を放つのは不用心すぎますわね。


 まあ、そこに完全武装の兵士もおりますし、大人しく署名しなければどうなるのか、その圧を兼ねた言葉と言う事でしょうか。


 浅くて乱暴な策ですので、逆に白けてしまいましたわ。


 今少し悪辣で、背筋が凍るほどの策を見せて欲しかったのですが、これは見事に期待を裏切られました。


 無能で、優雅さ皆無で、貪る事と、乱暴狼藉を働くしかできない愚物。


 これがハルト様の後継であると考えるだけで、吐き気を催しそうです。



(ですが、それもここまでの話。まさか、最もおいしい状況を作っていただけていたとは、むしろ感激でございますわ)



 どの程度食い込めるかは、伯爵家の内部事情次第でしたが、これで全てをひっくり返す算段が付きました。


 さあ、魔女の宴の始まり始まりですわ!

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