7-61 抗う者
ただ一人の例外を除いて、皆が法王シュカオ聖下に拝礼しています。
フェルディナンド陛下も、アルベルト様も、ロレンツォ様も、貴族であろうとお構いなしにひれ伏しています。
他にも、リミア嬢も、オノーレも、周囲を取り囲む兵士一人一人に至るまで。
コジモ様は元々、地面に突っ伏していましたわね。
それに囲みを突破してきたであろうディカブリオやアゾットまで、駆けつけるなり聖下の眼前で跪いています。
“言霊”の強制力は絶大です。
(まあ、だからこそ、それに抗えた“魔女”が異常とも言えますが)
私自身、“言霊”の圧は感じました。
しかし、行動を強制されるほどの事ではなかったのです。
言う事を聞きなさい、そう心の中で誰かに囁かれた気がしたのですが、同時に抗おうとする気持ちも目覚めました。
相反する囁きが頭を揺さぶりましたが、その結論は“形だけ取り繕っておけ”。
少々不自然であったかもしれませんが、周囲より僅かに遅れて拝礼したふりをしておくことにしました。
しかし、今一人の魔女は違う。
レオーネはロレンツォ様の警告を無視して、“銃”を構え、明確な殺意を持ってこれと対峙しました。
「まさか、こんなにも早く会えるとは思っていなかったぜ、法王様よぉ!」
レオーネから発せられる言葉には、一切の敬意、あるいは畏怖を感じない。
純粋なまでの敵意そのものです。
育ちの悪さを表す下町訛りが、より拍車をかけていますね。
そんな敵意マシマシなレオーネに対して、シュカオ聖下は一切動じる事もなく、むしろ憐れむような瞳でこれを見つめ返されました。
「ヘッ! “白い魔女”の側で騒動を起こしていれば、その内、“雲上人”が干渉してくるだろうって踏んでたら、よもやのまさかだ。いきなり大当たりを引き当てるなんて、俺自身びっくりだよ!」
「ふむ……。お前、我が言霊に抗うとは、それなりに腕に自信があるようだな。名は何と申す?」
「死体に名乗ってやるほど、俺は酔狂じゃねえよ!」
「私はまだ生きている」
「この引鉄を引けば、すぐに死体になるさ」
「ならんよ。“熊男爵”よ、我を守れ。法王の護衛だ、大変なる栄誉であるぞ」
あろう事か、ディカブリオに盾役を命じるシュカオ聖下。
そして、その言霊もまた、すぐに効力を発しました。
拝礼していたディカブリオ、その巨躯が動き出し、両者の間を遮るように立ちました。
と言っても、いくら巨躯であっても聖下は馬上でありますので、完全に遮る事はできませんでしたが。
「裏でコソコソ隠れて、まるで“雲上人”の有様そのものだな」
「なに、支配者としての当然の嗜みだよ、肉壁はな。ずらりと兵士を並べ、王を守る。将棋はやった事がないのかね?」
「やり方は知っているが、生憎と、指で数えられるくらいしかやったことがなくってな! 遊んでいる暇なんざ、俺にはないんだよ!」
「将棋を暇つぶし程度に考えるか。あれこそ、世界の有様を示しているのだがな。なにしろ、“王”以外は全て消耗品。全ての駒はそうあるべきであるし、それこそが正しい姿だ。君もまた、存在意義を満たしたまえ。一つの駒としての、な」
「黙れ!」
魔女の絶叫と共に、“バァンッ!”と鳴り響く轟音。
先程同様、火薬とやらが爆ぜる音と共に、礫が筒の向いた先、すなわちシュカオ聖下の方に向かって飛び出しました。
しかし、そこにはディカブリオが待ち構えています。
握っていた大金槌をかざし、飛んできた礫が命中。
耳に突き刺さる金属の衝突音と共に、礫も、金槌も、弾き飛んでいきました。
(大金槌を吹き飛ばしますか。やはり威力は大したものですね。かかげていたのが巨躯のディカブリオでなければ、そのまま押し切られていたかもしれませんね)
巨躯怪力のディカブリオだからこそ防げた一撃。
相当な重装甲で身を包むか、あるいは軽装で礫を交わすか、いずれかしかなさそうですね。
「おお、見事だ、双方とも。“銃”なる物の一撃の重さといい、それを見事に防いだ力量と言い、大したものだ。歓迎の余興としては、面白かったぞ」
「おいおい、法王様よぉ、将棋がどうこう言ってたくせに、ルール違反じゃねえか? 王手の後に城兵を動かして入替するのは、反則だぜ?」
「ほほう。あまりやった事がないと言った割には、ちゃんと理解しているな。だが、現実という名の盤面では、時としてルール無用となる場合もある事を知っておけ」
「ヘッ! 偉そうにほざいていても、結局は権力でゴリ押しかよ!」
「ああ。力ある者、智慧のある者が世界を統べる。秩序とはそういうものだ」
必殺の一撃を受けながらも、それを放った者と防いだ者を同時に称賛する余裕。
そして、皮肉の応酬。
世界の支配者とは、あるいはそれに挑まんとする者は、こうも精神構造が違うのかと感心してしまいました。
「ディカブリオ! 大事ないか!?」
「御心配には及びません、姉上! 聖下はご無事です!」
やはりおかしい。
ディカブリオを心配して声をかけて見れば、自身の事をそっちのけで法王聖下の方を案じる態度。
言霊の強制力は健在のようです。
(やはり、“魔女”にだけ何かしらの耐性がある、ということでしょうか?)
私は言霊の圧は感じても、強制される事はない。
支配者の命令に対して、“抗う”事ができる。
これは重大な発見です。
(そうだわ。もし、“魔女”だけが支配者の命令に反する事ができるのであれば、かつて盛んに行われていたという“魔女狩り”にも説明が付く。要は、支配の及ばない潜在的な脅威を排除する、という極めて合理的な行動なのですから)
もし、魔女が目の前にいるレオーネのように、“雲上人”に対して明確な敵意を持ち、反旗を翻したらそれはそれで大事です。
なにしろ、ガチガチの支配体制が揺らぐのですから。
ゆえに、“個”の状態の魔女を始末するのが魔女狩りだったのでしょう。
(そうなると、百年前の“ラキアートの動乱”もこの類かしら……。例えば、魔女のように抗う者が大量に現れ、それを徹底的に処分したというのであれば、その後の狂気じみた魔女狩りも、不穏分子の芽を摘み取るという予防動作という話になる)
大なり小なり、“雲上人”が己の支配体制を揺るがせないために、色々と手を回したと考えるのが自然。
しかし、そう考えると、最大の謎にぶち当たる。
(そう。それだとカトリーナお婆様の存在が、更に謎を呼ぶ。あの人が表舞台に立ってから、あれほど吹き荒れていた魔女狩りがパタリと止んだ。おまけに、魔女を公認するような素振りも、教会側がするようになった)
つまり、カトリーナお婆様が何かしらの重大な秘密を知り、それを交渉の材料として“雲上人”を脅した、とも取れます。
そして、それを秘密にすると約し、イノテア家を持ち上げるように取引したのであれば、我が家の躍進も説明が付きますね。
多少裕福程度だった我がイノテア家が、私が生まれる三、四十年前くらい前から急に興隆して、男爵号を手にするまでに成長したのですから。
しかも、“当時の法王”が後見役まで勤めて。
(もし、言霊の耐性を持つ魔女が支配者に抗う者であるならば、お婆様はその裏切り者という事にもなりますね)
一体どちらが正義なのか、判断を下すのには材料が乏しいですわね。
まあ、どちらにせよ、私にとっての正義とは“自家の繁栄”をもたらしてくれる者ですからね。
フェルディナンド陛下やアルベルト様と親身にお付き合いするのも、それを満たす為でもあります。
もし、シュカオ聖下が今度は後押ししてくれるのであれば、条件次第で乗り換えるのも悪くないですね。
とにかく今は、魔女レオーネの出方を観察しましょう。
このまま敵となるか、それとも手を差し伸べて宥めるのか。
判断するのに遅すぎる事はありませんわ。




