7-22 懺悔室の密談 (2)
完全な不意討ちでございました。
連続誘拐事件の捜査、これの協力のために止むなく予約を取り消したと告げようとしましたら、ヴェルナー司祭様はすでに犯人が誰なのかを知っていたのですから。
結構苦労して手に入れました情報だというのに、すんなり知ってしまわれるとは、本当にこの御仁は底が深い。
懺悔室で顔が見えませんが、おそらくは声色から察するに、淡々と事実を語っているのでございましょう。
こちらがびっくり仰天している姿が見えないのが、救いでございますね。
「ええ、その通りです。そこまではすでに調べがついております」
「さすがは天使殿。何の手掛かりもなしに、すでに知っておられたとは流石!」
「ちなみに、司祭様はいかにしてコジモ様が犯人であると?」
「いや、なに、あの痴れ者めが、ここに告白しに来たのでございますよ。『花開く前の蕾だけしか愛せぬ我が身の罪、どうかお許しください』とな」
事も無げに言うヴェルナー様ですが、それはかなりマズい事です。
懺悔室での告白は、神への告白であり、神職を介してそれを許す意味があります。
そのため、懺悔室で罪を告白し、赦しを乞うたらばそれを許すのが神であり、その代行者たる神職なのでございます。
告白した内容を他者に漏らすのは、職務上の規定違反になります。
これを破ってしまいますと、誰も告白しに来なくなりますので、それはそれで教会の信用問題にかかわります。
にも拘らず、ヴェルナー様の声色からは、そうした後ろめたさを一切感じません。
バラすのは当然だ、とでも言わんばかりの空気でございます。
「あの~、ヴェルナー司祭様、それはまずいのではないですか?」
「告解の守秘義務のことですかな? それならば問題ありません」
「問題だらけでございますよ! 他者には打ち明けないという鉄則があるからこそ、罪を曝け出し、告白するのですから! 告げた内容を赤裸々にしてしまっては、司祭様や教会の信用に関わります」
「そんな事より、神への冒涜こそ問題だ」
口調こそ穏やかなままですが、その声色からは明らかな苛立ちや怒りが含まれているように思われます。
普段大人しい人ほど、怒らせると怖いと申しますが、“知性を携えし狂人”が怒るとどうなるのか、興味は尽きませんわね。
「神への冒涜、でございますか」
「そう、神への冒涜だよ、これは。コジモが罪の告白にここへやって来たのは、それこそ三月も前の話だ。それはよい。罪を犯した自身を曝け出し、主神に許しを請う。神は懐深きゆえに、お許しになられる」
「神の愛は無限ですものね」
「いかにもその通り。しかし、その懐深きに甘え、罪を重ねるなど以ての外だ。罪を告白した後になおも悔い改めず、同じ罪を犯し続けるなど、あってはならん事! コジモの愚か者には、その辺りのところを分からせてやらねばならん」
理屈で言えばその通りですし、神の愛を踏み躙るような行動は、神職として見過ごすわけにはいかないのでしょうね。
気持ちは分かりますとも。
しかし、告白は外に漏らさない、という教会の不文律に抵触してしまいます。
不文律ゆえに明文化されははおりませんが、色々と問題がありますわね。
(直接、御本人から聞いた、という点では最高の証人となり得ます。しかし、告白の内容を外部に漏らしたという不名誉が、ヴェルナー様にのしかかることにもなります。それは大問題です)
折角、奥様の死を乗り越えて神職になられたというのに、これでは追放や破門を受けてしまわれるかもしれません。
それは私としましても、決して看過できない事でもあります。
なにしろ、ヴェルナー様を信仰の道に入るよう勧めたのは、私なのですからね。
(おまけに天使として、託宣を告げに来たと偽り、騙してしまったのもこの私。狂ってしまった点についても、ほんの少しは責任を感じています。参りましたね~)
証人としては最高の素材でも、それを迂闊に出してしまえば様々な問題が吹き出すのは必定。
ヴォイヤー公爵やカーナ伯爵を締め上げ、事件を解決させる最短の近道ではありますが、迂闊に使うわけには参りません。
「時に、司祭様、そうまで熱を入れられる理由とは何でございましょうか?」
「天使殿には今更説明の必要はないでしょうが、人には犯してはならない“七つの大罪”というものがございます」
「暴食、色欲、強欲、憤怒、怠惰、嫉妬、傲慢、この七つでございますね」
「その中での、特一等の罪は?」
「傲慢ですわね」
「そう。そして、“虚言”は傲慢の内にある許されざるもの」
きっぱりと言い切るヴェルナー様ですが、私は冷や汗ダラダラでございます。
なにしろ、現在進行形でヴェルナー様を虚言と演技で騙しているのですから。
神の託宣という嘘と、それをもたらした私が天使であるという誤解、この二つの融合物がヴェルナー様視点の私。
バレたら、タダでは済みそうにありませんね。
どうかそのまま騙され続けてください。私の身の安全のためにも。
「つまり、神に許しを請いながら、なおも罪を重ねる姿は傲慢であると?」
「神職として、これは見過ごせぬ。罪を知りて何も成さざるは、それすなわち怠惰に通じますゆえ」
「仰ることは分かりますが、それでは司祭様にいずこからの咎が」
「それは問題にもならん。ただ己の心にのみ従うだけ。己の心を偽るなど、それこそ怠惰と傲慢の融合物でしかない。その罪は果てしなく重い!」
一切の揺らぎを感じさせない強い語気で放たれる言葉は、まさに信仰に生きる者そのものでありましょうか。
こうした真摯な態度こそ、ヴェルナー様が皆に慕われる要因なのでしょうね。
裏の事情を知る魔女の視点からは、それが狂っているとしても。




