7-9 自分ではない自分
ジュリエッタが施しました【変身】はなかなかのものです。
一瞥では、それがリミア嬢だと分からない程に姿を変えておりました。
(下ろしていた金髪は黒髪に。大人っぽく見せるためにきちんと結い上げていますね。しかも、あまり目立たなかった胸元も、しっかりと膨らんでいます。そして、化粧で顔立ちも変わっていますね)
さすがは私の妹分。完璧な化粧ですね。
そして、私が手鏡をリミア嬢に差し出しますと、飛び出すほどに目を丸くします。
「こ、これ、私……、ですか!?」
「フフッ、自分でも分からんか。服が同じでなければ、まあ、分からんじゃろうな」
「凄い。化粧って、こんなに変わるものなんですね!」
「自分ではない自分になった気分はどうじゃ?」
「不思議な感覚です。でも、これで身バレは無くなりますよね?」
「そうであるからこそ、悪魔の伝えし魔女の秘術【変身】を施したのですからね」
化粧は悪魔の御業であり、その昔、悪魔が魔女に教えたとされる魔術。
まあ、今となっては一般化されつつありますが、ほんの一昔前まで女が化粧をしていれば、それこそ魔女の疑いで異端審問でしたからね。
これを変えてくれた祖母である大魔女カトリーナお婆様には感謝ですわ。
「でも、ヴェル姉様、化粧が悪魔の御業って大袈裟では?」
「そうでもないのですよ。ジュリエッタ、“七つの大罪”は知っておるな?」
「もちろんです。人が犯してはならないとされる七つの禁忌のことです。暴食、色欲、強欲、憤怒、怠惰、嫉妬、傲慢、この七つ」
「そう。そして、特一等重い罪とされるのが“傲慢”であるとされ、化粧はこれに付随するものだと言われています」
化粧の本質は“傲慢”の表れであり、それ故に忌避されてきた過去があります。
悪魔が魔女に教えた、などというのはこの流れ。
折角ですし、このまま魔術の講義と参りましょうか。
「よいか。化粧と言うものは、基本的に“誰かを欺く”ための技術なのじゃ。普段の自分をより美しく見せる、などと言うのはまさにそれ。化粧を落とすとイマイチな女性、というのは良くいるからのう」
「ですね。それがどうして“傲慢”に通ずると?」
「己を着飾らせる事により、素の自分以上の存在として他者に見せつける。程々であれば自尊心の向上に繋がるが、度が過ぎればそれは“虚飾”となり、自分以上の自分が本来の姿となるように考える。謙虚という名の美徳を損なう姿勢であり、“傲慢”そのものと目されるようになるのじゃ」
「なるほど。それで化粧とは“傲慢”の象徴である、と」
「必要以上に美しく見せて、男を誑かし、堕落の道へと追い落とす。まさに、悪魔が魔女に教えた魔術、というわけじゃ」
しかし、美しくありたいと思うのは、女性であれば誰しもが思う事。
“虚飾”ではあれど、それは偽らざる本音。
むしろ、そうした女性の意志を強引に潰そうとする方こそが、“傲慢”ではないかと思うのが私の考え。
あらゆる女性が欲しがる“自由”とは、得難い物なのでございますね。
「でも、ヌイヴェル様、今は特に制限なく、皆が化粧をしていますが?」
当然のような疑問が、リミア嬢から投げかけられました。
そう、今は化粧をしても、特に咎められるようなことはありません。
この状況に変化したのもまた、カトリーナお婆様の尽力によるもの。
ほんと、あの人はどこまで手広くやっていたのだか。
「化粧が解禁されたのは、状況が変わったからなのじゃよ。さて、化粧が解禁されたのは、ほんの五十年ほど前の話。何がそうさせたのだと思う? ヒントは“化粧は本来の自分でない自分を見せるため”じゃな」
周りを見回しながら問いかけます私。
しかし、とんと答えが分からないのか、ジュリエッタもリミア嬢も首を傾げて唸っております。
さすがに難しすぎましたか。
「……ああ、天然痘の大流行、それが原因ですね?」
「ほう、さすがはアゾット。天下の名医は即座にそれに気付くか」
医者であるアゾットは、あっさりと気付きましたか。
さすがは私の従者。その閃きは本物ですね。
「天然痘は体中に膿がたまり、高熱や呼吸困難を引き起こし、悪くすればそのまま亡くなってしまう病気。しかも、治ったとしても、体や顔のあちこちに瘢痕を残してしまう。それを隠すための化粧というわけですね?」
「その通り。魔女であるお婆様は元々、化粧の技術を持っていました。そこに天然痘の大流行で、皆が顔に痕が残り、多くの者が“あばた顔”になってしまうという惨事。そこに“化粧”が持ち込まれたとしたらば?」
「悪魔の御業と言われようとも、奇麗な顔でいたいと思うのは皆同じ。天然痘の流行に合わせて、化粧もまた流行した、と」
「そう。お婆様の立ち上げた化粧品の店は、たちまちの内に大繁盛。気が付けば、普通に誰もが化粧をするようになっていたとか」
これもあって、魔女への偏見が薄れたと言われるほどの社会的変革。
化粧品事業自体はすでに売却済みで、今となってはコールドクリームに“カテリーナ”の名が残るのみ。
(お婆様は新しい物好きで、次々と流行を作る店や新事業を立ち上げては、程々のところで事業を売却して、それを元手にまた次を始める。これを繰り返していましたからね。私がお婆様に及ばないのも、まさにこれですから)
目利き、行動力、発想力、そのすべてがずば抜けているのがカトリーナお婆様。
魔女が継承していた知識や技術を惜しみなく使い、世情に合わせて変化させ、いつの間にか浸透させる。
まさに世界の改変者であり、それゆえに“大魔女”と呼ばれる御方。
まだまだ私の及ぶところではありませんね。




