7-4 貴婦人の御指
部屋の中には私の他に二人の少女。
一人は寝台の上で蹲り、何かに怯えてガタガタ身を揺らしています。
今一人は、腰かけていた椅子より立ち上がりまして、丁寧にお辞儀。
ポロス様のお子さんは姉妹だと聞き及んでいたので、彼女達がそうなのだろうと考え、 私は二人に会釈して、笑みと共に挨拶をしました。
「お初にお目にかかります、お嬢様方。私、ヌイヴェル=イノテア=デ=ファルスと申します。以後、お見知りおきを」
正確には、私はファルス男爵の爵位にはないのですが、貴族相手の時には拝借させていただいております。
貴族の中には身分を偏狭的に信奉なさる方もいて、爵位を持たぬ平民に横柄極まる態度をとられる方もかなりいらっしゃるのです。
“魔女”、“娼婦”、“男爵夫人”、三つの顔を使い分ける事ができますのも、従弟と大公陛下のご理解があればこその偽りの仮面にございますが。
特に本職である“娼婦”の仕事をしているときでございますね。男爵夫人を名乗るのも、貴婦人を抱いてる感じがしてよいと、それはそれで評判なのです。
ただ、今回ばかりは余計な仮面であったみたいですね。
立ち上がった少女が、礼儀正しく応対してまいりました。
「お噂は予々、窺ってございます。私、ボーリン男爵ポロスの娘にて、次女のリミアと申します。褥より起き上がれませぬ姉のクレアに成り代わりまして、訪問を歓迎いたします」
どのような噂を聞いておるのか気になるところではありますが、父親同様に礼儀正しい娘にこちらも好感を抱きます。
ちゃんと教育が行き届いているようで、結構な事です。
(まったく、“元”チロール伯爵を名乗るあの豚野郎も、この娘の十分の一ほど礼儀作法を身に付けておれば、多少マシな結果になったであろうにな)
などと埒もない事を考えつつ、持って参りました菓子箱を差し出しました。
蓋を開け、中身である“焼き菓子”をリミア嬢に贈呈。
「まあ、いい香りですわね」
「本日は『貴婦人の御指』をお持ちいたしました。是非、お召し上がりください」
私が差し出しました箱の中身は、最近流行りの円筒形に焼き上げた焼き菓子でございます。
繊細な仕上がり具合から、貴婦人の指になぞらえたそうです。簡単に嚙み砕けますので、弱っている身には良いかと思い、持ってきました。
「ご丁寧にありがとうございます。お姉様、お菓子をいただきましたよ。食があまり進んでおりませんし、甘いお菓子ならいかがでございましょうか?」
「……いらない」
クレア嬢は素っ気ないと言うか、拒絶の意志を示していますね。
妹の言葉と共に差し出された菓子に対しても反応が薄い。
(やはり深刻な様子ですね。まあ、事件の内容が内容だけに、当然でありましょうが、元気になっていただくのも目的の一つ)
あくまで依頼の内容は“頻発する少女らへの暴行事件の犯人を追う事”ではありますが、それだけでは不足。
もちろん、陛下よりの依頼はきっちりこなしますが、どうせなら勝利ではなく大勝利をもぎ取りたいですからね。
(魔女の通り名が嘘ではない事を、きっちり知らしめておけば、今後は色街でおかしなことも起こりにくくなるでしょうし、今回の件は全力でやらせていただきますよ)
処女ばかりを襲い、あるいは集めて非合法的な“裏稼業”を営むなど、正規の娼館を営む者として見過ごすわけには参りません。
絶対に犯人は捕まえて、生まれてきた事を後悔するほどの責め苦を与えてやるつもりです。
二度と馬鹿な真似をするような愚者が現れないようにするためにも、ね。
「失礼いたします、クレアお嬢様」
私は横になっているクレア嬢の前に立ち、そして、寝台に腰かけると、僅かに怯えて体を離そうとしましたが、私はそっと頭を撫でて差し上げました。
目と目が合い、怯える少女を撫でながら、ニッコリと笑みを浮かべます。
「クレアお嬢様、心中お察し申し上げます。痛かったでありましょう。怖かったでありましょう。辛かったでありましょう。ですが、今は大丈夫にございます。ここにはあなたを傷つける者はおりませぬ。私もあなたを守って差し上げます。ですから、どうぞ、お顔をしっかりとお上げくださいまし」
しばしの間、じっと見つめ合った後、私はすぐ横で心配そうにこの光景を眺めておりますリミア嬢に手を差し出しました。
察してくれたリミア嬢は私の手のひらに『貴婦人の御指』を箱から取り出して乗せました。
私はそれを指で摘まみ、クレア嬢の口元へと運びました。
「お食べなさい。きっとその指があなたを引っ張り上げてくれましょうや」
もっとも、指の主は貴婦人の皮を被った魔女にございますが、このまま沈み込むよりかはマシにございましょう。
クレア嬢は口元に運ばれてきた『貴婦人の御指』を一齧り。
すると、虚ろであった目がカッとを見開き、貪るように食べる。食べる。どんどん食べる。
上手くいったと感じた私はリミア嬢より次々と受け取り、その都度、『貴婦人の御指』をクレア嬢に差し出しました。
二本、三本と召し上がられ、涙と食べかすがシーツの上にボロボロとこぼれる。
貴族のお嬢様が寝台で横になりながら物を食べ散らかすなど、いささかはしたない所業にございましたが、今は何も言いますまい。
あとは時間をかけて、少しずつ元に戻していけばいいのです。戻らぬものもありますが、若い身の上、いずれ良きこともありましょう。
やれやれ、医者の真似事はせぬと誓い、アゾットを侍らせておるというのに、またしても柄にないことをしてしまったわ。
私はもう一度、クレア嬢の頭を撫でてやり、それから腰かけていた寝台より立ち上がりました。それから振り向いて見降ろしますと、クレア嬢は落ち着かれたのか、静かな寝息を立ててございました。
「人間、やはり食べる事こそ、一番なのかもしれませんね」
菓子の仕入れ先のボロンゴ商会の主人アロフォート様の顔を思い浮かべながら、ついつい笑ってしまいました。
感謝ですわね、あの御仁には。
菓子一箱で立ち直れましたのなら、随分と安い買い物です。
「まあ、これで少しは落ち着くでしょう。また目を覚ましたら、食べさせてあげてください」
まだ何本も残っておりますし、貴婦人に擬態した魔女の御指が、目の前の寝入る少女を導く事でありましょう。
柄にもない事をしたと、私はニヤリと笑ってしまいました。




