6-11 精剛に精力剤
翌朝、朝日が昇り始めましたる頃、アロフォート様がお帰りになる時間がやって参りました。
朝帰りの他のお客様でしたらば、今少しゆっくりされる方も多いのですが、そこは大店の商人。
商売こそ生きる道でございますから、店を開ける準備がございます。
「御名残り惜しいですが、またのご来店をお待ち申し上げます」
「いや~、今回もなかなかに楽しかったぞ! 思わぬ催し物に盛り上がったわい!」
賭けには負けたというのに、この上機嫌。
高々“三倍払い”程度では、大店の御主人には効きませんか。
さすがに太っ腹!
「こちらもたっぷり儲けさせていただきましたので、潤った懐の銭を持って、今度はボロンゴ商会の方に顔を出させていただきますわ」
「おお、来てくれ来てくれ! また珍しい品を用意しておこう」
「はい。山海の珍味、お待ちいたしますわ。やはり、人間にとっての最大の娯楽は、旨い酒と料理を召し上がるのが一番でございますわ。もちろん、気の知れた者と卓を囲んでこそですが」
「その通り! 食って喋って盛り上がる! これこそ最大の娯楽じゃて!」
豪快に笑いながらドサッと規定額の三倍の金貨を置いていき、アロフォート様は笑いながら退店していかれました。
健啖家で、精剛で、齢六十を感じさせぬ闊達さ。
いやはや、相も変わらず豪快な御方でございます。
(とはいえ、さすがに“五回戦”は疲れましたね)
昔はこれくらい余裕でこなせていたのではありますが、さすがに三十代も半ばに差し掛かって参りますと、体力的な衰えと言うものを感じてしまいますわね。
そうこうしておりますと、店の奥からまたお帰りのお客様がやって参りました。
やって来た男女の組は、妹分のジュリエッタと、チロール伯爵ユリウス様。
昨夜は散々に笑わせてもらい、しかも、稼がせてもらいました。
最高でしたよ、二人とも。
「これはユリウス様、今日は早めのお帰りでございますわね」
「うむ。魔女殿も誰かのお見送りか?」
「はい。今し方、私のお相手も早々とお帰りになりました」
「そうか。こちらも今少しのんびりしていたかったのだが、今日は叔父上のお誘いで、狩猟に随伴する事になっていてな」
「左様でございますか。……ああ、もしかしたらば、案外、野山の獣ではなく、“女”を狩るのが目的やもしれませんよ」
「あ~。そう言えば、結婚がどうとか言っていたな。狩猟にかこつけて、候補の女性を絞ろうかという事もあり得るか。う~ん、あれこれ勧められるが、どうにも乗り気でなくてな~」
そういうユリウス様の視線の先にはジュリエッタがいます。
まあ、大公陛下の甥で、伯爵家当主ともなりますと、結婚相手にも色々と大変でございますからね。
まかり間違っても、娼婦との結婚はまず不可能でございます。
あくまで、ジュリエッタのお相手は、“楽園の扉をくぐった先”だけの話。
私と陛下がそうでありますように、決して外には出さない関係。
そのあたりは、ジュリエッタもユリウス様も弁えていますからね。
こちらがどうこう言うべきでもありません。
「まあ、魔女殿もその内、狩猟にでも出かけぬか? もちろん、ジュリエッタもな。娼婦や魔女としてではなく、男爵夫人のヌイヴェルと、その妹君ということで」
「それは楽しみですわね。機会がありましたらば、是非にもお受けいたしますわ」
たまには“男爵夫人”として、狩猟に出かけるのも一興ですわね。
案外、面白い獲物を拾えるやもしれません。
やはり、直接顔を合わせてこその顔繋ぎですし、縁を深めておきたい御仁は幾人かおりますしね。
「ではな、ジュリエッタ。また来るぞ」
「はい、ユリウス様。またのお越しをお待ち申し上げます」
二人して頭を下げてユリウス様をお見送り。
その気配が完全に消えてから、頭を上げて誰もいない玄関の方を見続けました。
「ときに、ヴェル姉様、昨夜の“魔女の差し入れ”と称した汁物、あれは何だったのですか?」
「ああ、あれか? あれはアロフォート様が持ち込んだ“マル”とか言う亀の汁物ですよ。なんでも、最高の精力剤だとかどうとか」
「やっぱり……。あれを召し上がってから、ユリウス様の勢いがとんでもない事になりましたよ!?」
「それを見越して、あれを差し入れたのだからのう」
ちなみに、酒の追加を入れた際、給仕係にこっそりと書いておいたメモ書きを渡していたのでございます。
それには二つの指示を書き込みました。
一つは、マルの汁物をジュリエッタの部屋に持っていく事。
今一つは、“十回戦で打ち止め”にするよう、ジュリエッタにこっそりと伝える事。
いつも通りであれば、四回戦、五回戦が終わったあたりで、“行厨”に入りますから、私の差し入れと言う事であれば、特段怪しまれずに召し上がるのは確実。
元々、“精剛”のユリウス様があの汁を飲めばどうなるのか、想像するのに難くありません。
そして、“十回戦で打ち止め”はピッタリ賞のため。
汁で強力になったユリウス様のことですし、十回戦どころの騒ぎではないのは明白です。
東方の言葉では“鬼に金棒”というものがありまして、まさに“精剛に精力剤”といったところでありましょうか。
本当に、どこまでも突っ走ってしまいそうです。
そこで、ジュリエッタに“演技”で十回戦でへばった事にしたわけです。
あとは酒をふるまって気分を良くし、それとなくピッタリ賞という“賭けの上乗せ”を提案すれば、イカサマの出来上がり。
“マル”の力で最強になったユリウス様と、限界に達したふりをするジュリエッタ。
これが合わされば、“10”で止まるのは必定。
知ってしまえば、実に子供だましに等しい詐術でございます。
「やれやれ。元々盛んなユリウス様にあんなものを飲ませたら、どこまでも突っ走っていきますよ。多分、演技で止めてなければ、あと二、三回戦は余裕でしたね」
「ほほほ、それはそれは。若いとは素晴らしい事じゃ!」
「いや~、もう勘弁です。私も汁で強化されたとは言え、ユリウス様はそれ以上に強化された感じですからね。身が持ちませんよ」
「なあに、あれはボロンゴ商会も本腰を入れて、商うそうじゃから、また機会も巡ってこようて」
「え~、きついな~」
確かに、今のジュリエッタは少々お疲れのようですね。
まあ、そうした顔色を客の前では一切出さず、完璧な接客(イカサマに加担しましたが)をこなしたのですから、良しと致しましょう。
後で何か奢ってあげませんとね。
そんな様々な感情と欲望の渦巻く場所、ここは娼館『楽園の扉』。
日頃の苦労や悩みを忘れ、悦楽と安穏を得る非日常の空間でございます。
娼婦と客の巡り会わせは当然なれど、時には客同士の奇縁まで生まれてしまうのが、当店の稀なる光景にございます。
どなたであっても金子を頂戴いたしますれば、精一杯のおもてなしをさせていただきます。
私はヌイヴェル。色香で惑わす娼婦であり、魔術と話術で誑かす魔女で、にこやかな笑みを忘れない男爵夫人。
あるいは女吸血鬼で、精を金子を搾り獲る阿漕な存在。
それでも神に救いを求めて天を目指す、哀れな一本の宿木でございます。
さてさて、次のお客様はどちらの方になるでしょうか。
【第6章 壁を叩く男 完】
これにて第6章『壁を叩く男』の完結でございます。
短めの話でしたが、妹分のジュリエッタと、その上客のユリウスの馴れ初めのお話。
マル(スッポン)は京都にいるときに食べた事があるんですが、美味しい上に、なんか力が湧いてくる感じでしたね。
また食べたい(笑)
今回は本編にはガッツリ絡まないサイドストーリー的な立ち位置でしたが、いかがだったでしょうか?
では、次章『処女喰い』、ご期待ください!




