5-15 急な予約
なんとか誤魔化し通せました。
私はあくまでヌイヴェルという人間であり、死を告げる天使に非ず。
たまたま天使が降臨するために必要な、憑代に選ばれただけ。
これをヴェルナー様に信じさせる事に成功しました。
(一時はどうなる事かと思いましたが、なんとかなるものですね)
破壊された懺悔室を後にし、逃げるように教会を出ました私は、店に戻る前に馴染みの『ボロンゴ商会』に立ち寄りました。
ボロンゴ商会は主に食料品を扱っている商会で、店主自らが冒険に出かけては、異国の地より珍しい食材を仕入れ、店先に並べるのを生き甲斐にされています。
ちなみに、店主のアロフォート様とは、昔からの顔馴染みであり、私の“上客”でもあります。
冒険譚や珍しい食材を見せびらかす事を何より楽しまれ、冒険から帰ってくる度に私の所にやって来てはそれらを披露なさいます。
残念ながら。アロフォート様はまたどこかに船出されたようで、店には不在でございました。
しかし、店で上物の葡萄酒を手にする事が出来ましたので、早速購入し、私の店へ、高級娼館『楽園の扉』へと戻りました。
今日は予約も入っておりませんし、この手にした酒でも飲んで、さっさと先程の事は忘れようと考えておりましたが、どうやらそれはお預けの模様。
普段見かけぬ人物が目に入ったからです。
「おお、ヴェルか、丁度よかった。話がある」
話しかけてまいりましたのは、キリッときめております老紳士。
髪や髭こそ白が混じっておりますが、背筋がしっかりと伸びておりまして、老いたる齢を感じさせず、しかもかなりの長身。
この高級娼館『楽園の扉』の支配人ヴィットーリオ、私の叔父に当たる方です。
我がイノテア家に婿入りし、ファルス男爵の初代ではありますが、称号は息子のディカブリオに譲り、今は名士の御隠居として、方々の顔繋ぎなどをやっております。
一応、名目上は『楽園の扉』の支配人ではありますが、当人はほとんど店には顔を出さず、そのため店の切り盛りは“取り持ち女”のオクタヴィア叔母様が行っています。
そして、ヴィットーリオ叔父様がお越しになる時は、繋ぎ止めておきたい上客の接待、もしくは厄介だが逃したくない客、このいずれかを私に相手させるためなのでございます。
(今日という日は、会いたくない人なんですけどね~)
教会の一幕でげっそりお疲れな私。
酒でも煽って、さっさと夢の世界にでも旅立ちたかったのですが、相手が支配人とあっては、逃げ出す事もできません。
覚悟、決めないといけませんね。
「あら、叔父様、店に顔を出されるのは珍しい。誰ぞ、上客でも捕まえましたか?」
「いいや。正直、これ以上にない“厄介な客”だ。……しかし、前金で、しかも割増料金。おまけに断りにくい相手でね」
「金払いは良いけど、厄介な客……、ですか」
まあ、考えられる相手としたら、いわくつきの御貴族様か、あるいは街の名士で顔見知りの方といったところでございましょうか。
しかし、前金でもらっている以上、断るわけにもいきませんわね。
「それで、お客様はどこのどちら様でございましょうか?」
「……兄上だ」
「へ?」
「だから、私の兄がその予約客だと言っている」
眩暈を覚えました。
ヴィットーリオ叔父様が“兄上”と呼ぶ方は、たった一人しかいません。
そう、司祭のヴェルナー様、ただ一人。
「ちょ、ちょっと待ってください! それって、“兄上”という事はヴェルナー伯父様の事ですわよね!? どこをどう取り繕っても、『大金積んでも姪を抱きたい』って事ですよね!?」
「そうなるな」
「断ってくださいよ!」
「断れるわけないだろ! あんな強烈な目線浴びせながら、『よろしく頼む』なんて言われたら!」
「あ~、その点では納得です、はい」
何しろ、今のヴェルナー様は“狂って”いますからね。
愛する妻との再会を求めて、永遠のそのまた先を目指して、歩み続けている段階。
他の事象はすべて些事であり、あるいは修行のための試練と捉えておられる状態。
忠言は耳に入れど、かってに都合よく解釈をしてしまいます。
(そして、目の前には新たなる託宣を下す“天使”の器がいる。来ますか!? 来ますよね!? どう考えても、来ますよね!?)
もちろん、私は頭を抱えました。
何をやってんだあの人は、と!
教会では人目に付き過ぎるからと、娼館なら大丈夫と判断したのでしょう。
顧客の情報は守秘義務がありますし、実際、顔を隠してお越しになられるお客様もおられます。
敷居は高くとも、ちゃんと予約を取って、代金をお支払いいただけるのでしたらば、お客様としてお出迎えするのが当店のウリですからね。
(と言うか、こちらがちょっと憂さ晴らしの買い物をして、この店に戻ってくる間に、どこにいるか分からない実弟を見つけ出し、大金を積んで『姪を抱きたいんでよろしく!』と渡りをつける。どんな行動力と勘の良さですか、あの人は!?)
さすがは、今を時めく人気の司祭様。
常人とは比べ物にならない力をお持ちのようで。
それを全身全霊を以てお受けしなくてはいけないのは、いくら歴戦の娼婦と言えども引いてしまいますわ。
「ヴェル、お前、兄上に何をしたのだ!?」
「あ~、はい。サーラ様がお亡くなりになられた際に、あれこれ手を加えて信仰の道に走らせました。そして、どうやら私の事を死を告げる天使だと勘違いしてしまったようでして……」
「そして、急にこうなったと言う事は、お前が手を加えた事に勘付いたと?」
「はい、そりゃあもう。教会の懺悔室を破壊して、規定違反の告発者の顔確認をやらかすほどに暴走しております」
「その点は、お前の身から出た錆だな。余計な事をせずにおればよいものを」
それについては、今現在、大いに後悔しております。
まさか声色から“天使”であると判断したのですからね。
耳聡い事、この上ない方でございます。
(信仰って、……怖い!)
狂信の領域にまで踏み込んだ神職というものを、甘く見ておりました。
今後は大いに反省すべきですね。
ですが、今考えねばならないのは、“今”という事。
まさか店で伯父様の相手をするハメになろうとは、色々と迂闊でございましたわ。
事が事ですので、妹分や他の者に回すわけにも参りませんし、とんだ災難ですわ。
まあ、ヴィットーリオ叔父様の言う通り、身から出た錆でありますから、文句を言えないところが悲しいところ。
皆様も、“狂人”の相手をするときは、本当にお気を付けくださいませ。
思わぬ厄介事に巻き込まれてしまいますわよ。