騎士令嬢と偽物悪女の共謀〜婚約破棄させたので自由に生きます〜 2話
1話 → https://ncode.syosetu.com/n6367im/17/
「いつの間に来てたんだ」
「一応、恋人ってことになってるし、たまには顔を出さないとおかしいでしょ」
ロミオが自室に帰るとジュリエットがいた。市場の値動きを示した書類を見て、片手で帳簿をつけながら。どう見ても恋人を待つ令嬢ではなく強かな商売人だ。
「陛下に叱られてきたの?」
「ああ、勝手に婚約破棄するなと。父上は何も知らないからな」
「教えれば良いのに。辺境伯には根回し済みでしょう?」
「父上の側近が敵かもしれない。父上は人が良いからな」
「ああー。そうね。良い人だけど、自分が動くより周りに任せる人よね」
国王に事情を話せれば、芝居などしなくても婚約破棄はすんなり済んだのだ。
「……ジュリエット。仕事の手を止めてこちらを見てくれないか」
「ん? 何」
ペンを置いて顔を上げると、いつの間にか隣にロミオが座っていた。
「恋人契約のことだが……」
「問題が解決して、リリアーナが帰ってきたら解消して良いから」
「……いや、そうじゃなくてだな」
「底辺貴族を王妃にするのを陛下が許してくれるの? 肩身の狭い思いをするなんてまっぴらごめんよ」
「……」
渋い顔でロミオが俯くので、ジュリエットの心がざわつく。まるで契約解除したくないみたいな顔して、期待させないで。
ロミオが好きなのはリリアーナ。だから苦しい立場になっても婚約破棄に協力した。それ以外理由が思いつかない。
「リリアーナは自由を、私はお金を貰えるけど、ロミオは陛下に怒られるだけで、何も得がないじゃない」
「いや、もしもユリシス失踪が戦争の予兆であるなら、王太子として見過ごせない。それに幼馴染が困ってたら、助けてやりたいだろ」
照れ臭そうに笑うロミオを見て、ジュリエットの胸がときめく。
こういう所に弱いのだ。王太子として育てられたのに、驕ることなく底辺貴族のジュリエットにも対等に接してくれる。何より友達思いの優しい男。
「話はそれだけ? 私は忙しいの。今日は帰るわ」
「待ってくれ。本題はここからだ。ジュリエット……」
手を掴まれて引き寄せられる。間近で見る紫水晶の瞳の輝きに目を奪われた。高鳴る胸の鼓動を抑えるために深呼吸する。
「行方不明になってくれないか?」
ときめきを返せ。すぱんと手を叩き落とす。
「先に事情を説明しなさいよ」
「そうだな。実は、僕は今厳しい立場にいる」
この国の政治は御前会議で決められる。国外へ戦争を仕掛けたい好戦派と、戦争を避けたい反戦派で、御前会議の意見は真っ二つらしい。
「もちろん僕は戦争反対だが王太子でも議論を辞めさせられない。好戦派の筆頭は外務大臣で、反戦派の筆頭は軍部を司る総帥なんだ」
「軍人が戦争反対なのは意外ね」
「戦争で血を流すのは軍人だ。勝っても益がない戦争に反対する。むしろ血を流さない文官ほど強気の好戦論者が多い」
「じゃあ、総帥の味方をすればいいんじゃない?」
「それが……総帥はクレメンス辺境伯と敵対しているんだ。辺境伯こそ戦争を煽っていると」
「リリアーナのお父様がそんなことするわけないじゃない!」
思わず机を叩くと、ロミオは肩をすくめた。
「警備のために国境を離れられないと、辺境伯は何年も王都に来ていないから疑われるんだろう。リリアーナとの婚約を決める時に、総帥は辺境伯の人質にと意見したらしい」
「人質って……」
「だからクレメンス家から婚約破棄は絶対にできなかった」
段々事情が飲み込めてくると同時に、嫌な予感がした。
「婚約破棄なんてしたら、辺境伯の立場が悪くなるでしょう。よく承知してくれたわね」
「ユリシスの失踪を王都の人間に悟らせないために、それしかなかったんだ。辺境伯の息子が襲われたと知れたら、隣国のせいだと言いがかりをつけて攻め込む口実になる」
「事情はわかったけど、どうして私に行方不明になってほしいの?」
ロミオはジュリエットの手を握りしめた。
「好戦派も反戦派も僕を味方にしたがっている。ジュリエットを人質に脅すかもしれない。危険な目に合わせたくない」
握りしめたロミオの手が震えていて、その必死さにジュリエットは言葉を失った。襲われるのは怖い。けれどロミオを傷つける方がもっと怖い。
「信頼できる護衛もつけるから身を隠してほしい」
「信頼できる護衛って誰?」
「僕直属の近衛隊長だ」
「側近中の側近じゃない! それじゃ、ロミオが危険よ! 人質を取ろうとするくらい憎まれてるんでしょう? 暗殺されるかもしれないじゃない!」
「僕はジュリエットより強い。それに僕が暗殺されることはない。兄弟は嫁いだ姉だけだし、従兄弟にも男はいない。他に正統な後継者がいない中で暗殺はできない。だから安心しろ」
ジュリエットを宥めるように頭をぽんぽんとされて、思わずその手をはたき落とした。
「カッコつけるな! 馬鹿!」
「馬鹿とはなんだ。これでも王太子だぞ」
「馬鹿よ。大馬鹿よ。いい? もしもロミオが死んだら、後追い自殺してやるから。私に死んでほしくなかったら、絶対生きのびるのよ」
思わず声が震えてしまったせいかもしれない。ロミオは笑った。
「わかった。何がなんでも生き延びる。だから大人しく待っていてくれ」
「私が大人しく守られてると思う?」
「思わない。だから大人しくしてくれって頼んでるんだ」
「ロミオが言ったのよ。婚約破棄を手伝ったら、自由に生きていいって」
「全てが終わったら、ジュリエットが望むままに生きられるように後押しする」
ロミオのことは好き。信じてる。でも信じて待つだけの女になる気はない。
ジュリエットが布で顔を隠して部屋を出ようとすると、近衛隊長が声をかけた。
「ジュリエット様。どこに行かれるのですか」
「商工会よ。商売って生き物なの。一日休んだだけで相場が値崩れするのよ。恐ろしいでしょう?」
「恐ろしいのは、身を隠せと言われているのに、平気で外に出て行こうとする貴方です」
無視して歩き出すと、近衛隊長が前に立ち塞がった。
「そこを退いて。これはロミオのためでもあるの」
「殿下は優秀な方です。任せて待っていてください」
「ロミオは優秀よ。ただお人好しすぎて爪が甘いのよね」
ジュリエットは悪い笑顔を浮かべて、近衛隊長の頬に触れた。
「言うことを聞かないなら、貴方に迫られたってロミオに告げ口するわよ」
「恐ろしい冗談は辞めて下さい。私が殺されますよ」
「恨むなら、私に自由に生きていいと言ったロミオを恨みなさい」
諦めたのか近衛隊長は反論を辞めたが、ジュリエットを守るようについていく。
商工会は人の出入りが激しく身分を確認しない。個室に入って信用のおける商売相手から書類を貰った。
「それは?」
「貴族の屋敷には出入りの商人がいるの。家の内情や人となりとか、商人同士で情報共有し合うのよ」
気になる文章を見つけて、思わず唇の端が釣り上る。
「婚約破棄なんて敵しか作らないかと思ったら、案外支持する人もいるのね」
「誰ですか?」
「それは内緒。まだ確実じゃないから裏をとるわ。それより、これが気になるの」
ロミオの姉アンナは、宰相家の長男に嫁いでいる。もうじき出産予定で、生まれる前からお祝いの品を買い求める貴族が多い。
「おめでたいですね。国王陛下の初孫ですから」
「そうね……」
平和な話題だが嫌な予感がした。書類を纏めて指示書を出すと、衣装の用意を頼んだ。
「何をなさるつもりですか?」
「会いに行きたい人がいるの。出入り商人に変装して潜り込むわ。ああ、貴方を連れて行くと目立つから、待っててね」
有無を言わさぬ強い決意でジュリエットは告げた。
「私にとって自由は、大切な人を好きに守れる自由なの。誰にも邪魔させないわ」
近衛隊長の返事も待たずに、ジュリエットは部屋を飛び出した。
御前会議の上座に座って、王は会議の様子を見守っていた。王太子ロミオも軍部や大臣達の発言に目を光らせる。
口火を切ったのは外務大臣だ。
「隣国から我が国への輸出が減りました。かの国が軍備を整えているからです。先手を取られる前に、こちらから仕掛けるべきです」
「俺は反対する。勝算も実りもない戦争は避けるべきだ」
反論するのは軍部を統率する元帥。ここまではいつも通り。そこで手を挙げたのは宰相だ。
「お二人の意見はごもっともですが、まずは状況確認を優先すべきかと。国境を守るクレメンス辺境伯の報告を待ちましょう」
外務大臣と元帥の争いをいなして、上手くバランスをとっているのが宰相だ。国王陛下の信頼も厚い。
そこで皆がロミオに視線を向けた。個人の我儘で婚約破棄して、辺境伯を敵に回したと思われているからだ。
「クレメンス辺境伯から書状は届いている。婚約破棄については了承したと。辺境伯は私情で動く方ではないようだ」
私情で動くお前が言うなという顔をされたが、平然と受け止めた。王太子に面と向かって批判する者はいない。
軽蔑の眼差しの中で、意味ありげな視線を向ける者がいた。元帥だ。怒っているのか、歓迎しているのかよくわからない。
「辺境伯からの書状には、隣国がどれだけ軍備を進めているか調査中だから、今しばらく時間が欲しいと書かれている」
ちらりと宰相を見ると、小さく頷いた。
戦争をするか、しないか。すぐに決めずに時間を稼いで裏で動く。そういう思惑でロミオと宰相の意見は一致していた。
戦争をするともしないとも言っていないから、外務大臣と元帥も敵に回してはいない。
そこで王が軽く手を上げた。その場にいた者は礼をする。
「わかった。辺境伯から報告があるまで待て」
王の決定に否を唱える者はいなかった。
会議が終わり部屋を出ようとした所で、宰相のケイネスに声をかけられる。
「殿下。婚約破棄をした後に辺境伯と連絡をなさっていたのですか?」
「ああ、謝罪は必要だからな。ところで姉上はどうしている?」
「健やかに過ごしていらっしゃいます」
ケイネスの長男に姉アンナが嫁いでいる。姻戚関係という意味では一番信頼における。
「僕も会いに行きたいが、初産を控えた姉上には大事をとってもらいたいからな」
「殿下の婚約破棄の話を聞かれて、たいそう怒ってらっしゃいました」
「面目ない」
そこでケイネスの元へ使いがやってきた。何かを耳打ちされてケイネスが微笑む。
「失礼致します。今夜は国王陛下とのお食事会でございますね。どうぞお父君と和解なさいますように」
「ああ、姉上をよろしく頼む」
国王と王太子、互いに忙しく、一緒に食事するのも久しぶりだ。母はロミオを産んですぐに亡くなった。周りの反対を押し切って後妻を迎えなかったのは、父が今でも母を愛しているからだろう。
久しぶりの親子水入らずの食事だからと、使用人を下げて二人きりで食べた。
「……まったく。お前ときたら。今すぐにでも辺境伯に謝ってこい」
「僕が王都を出ることはできません。謝罪の手紙を送りました」
「手紙だけで謝罪した気になるなよ」
父の機嫌は悪かった。事情を知らないから無理もない。
「……お前が恋人にしたジュリエットという女。なぜ連れてこない」
「彼女にも事情があるのです」
行方不明だと聞けば父が動揺するから誤魔化した。
「お前は人が良すぎる。騙されていないか?」
「騙すなんて滅相もない。父上は知っているでしょう。ジュリエットとは幼馴染なんです」
「会ったことはないからな。この目で見るまで信用はおけぬ」
そこで父はフォークを置いて、グラスに手をつける。
「その娘とお前が本気で愛してあっているなら、私も考えよう。だから今度連れてきなさい」
「……父上」
父が微笑みながらグラスに口をつけた。その瞬間、体が激しく震えた。グラスが床に落ちて割れる。父が倒れたので慌てて近寄った。
「父上!」
父の口から泡が出て、苦しそうに喉を引っ掻いた。
――毒だ。
そう気づいた時、扉が開いて宰相のケイネスがやってきた。
「何事ですか。大きな声が聞こえました」
「父上が、何者かに、毒を飲まされて……」
「何者か……ですか?」
そう言ったケイネスは冷ややかな目でロミオを見下ろす。
「女に騙されて、乱心召されたか。殿下。まさか父君を暗殺しようとは」
「違う! そんなわけが……」
二人きりだったのが仇になった。衛兵がやってきて取り囲む。
「殿下。調べがつくまでは、謹慎していただきます。陛下の意識が戻られるまで、私が政務を取り仕切りましょう。心配ありません。もし万が一、貴方様の罪が露見し廃嫡となっても、跡を継ぐものはおります」
「だ、誰がいるというんだ」
「本日、孫が産まれました。元気な男の子でございます」
ケイネスは姉の子が生まれるまでの間、時間稼ぎのために戦争論に決着をつけなかった。
女が生まれたらロミオの後ろ盾となり、男が生まれたらロミオを陥れて孫に跡を継がせるのだろう。
気づくのが遅過ぎた。
運ばれていく父を見送って、せめて父の命だけは助かってくれと願った。
ロミオは容疑者として捕らえられ、審議の場に引き摺り出された。手足は拘束されていないが、武装した衛兵に囲まれ、まるで罪人扱いだ。
この場に集まった貴族達はケイネスの子飼いしかいない。まともに裁判もせずに有罪にする気なのだろう。
父は幸い命を取り留めたが、未だ意識は戻っていないらしい。ロミオには父の回復を祈り続けることしかできない。
「国王陛下を、王太子殿下が暗殺しようとした。この裁きに意義があるものは?」
裁判官の言葉に、水を打ったように静まり返った。
ロミオの味方をする者はいない。契約破棄に、暗殺未遂と続けば当然だ。
契約でも嘘でもいいから、好きな人と恋人になりたいと願った自分が悪い。
王太子の資格を剥奪されても、命だけは守り切らないと。みっともなく命乞いをしてもいい。大切なジュリエットを後追い自殺させてたまるか。
そう考えた時、勢いよく扉が開いた。
「その審議、意義あり!」
威勢の良い声に驚いて振り向くと、ジュリエットがいた。室内がざわめく。貴族達の目には嘲りの色があった。
「下級貴族の娘が来て良い場所ではないぞ。誰の許可を得て……」
「俺が許可を出した」
ジュリエットの背後から元帥が出てきた。いつの間に、どうやって協力を取り付けたのか。
ロミオが驚きで言葉を失っていると、ジュリエットは堂々と前に進み出て告げた。
「恐れながら申し上げます。国王暗殺未遂事件は城の中で発生しました。これは城を守る衛兵の落ち度です。衛兵の中に反乱分子がいるかもしれません」
室内が騒めく中、ジュリエットは高らかに宣言する。
「城の外、国内を守護する軍部。その頂点である元帥に事件の再捜査を依頼するべきです」
さらにジュリエットは書類を取り出した。
「アンナ様からも、弟である王太子殿下の減刑嘆願書をいただいて参りました」
宰相の表情が険しくなる。宰相にとっての切り札は、生まれたばかりの孫。その母親から非難されれば立場は苦しい。
ロミオの扱いをどうするか。宰相が迷うそぶりを見せた所で、元帥が重々しく告げた。
「今は国内で争っている場合ではない。クレメンス辺境伯に隣国との内通の疑いがある」