魔王の娘と旅をした。 2話
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「――おはよう勇者殿」
瞬間、ドクンと心臓が鳴った。
ノインの声に応えるかのように、強く強く。
ドクン、ドクン。
鼓動が早くなるにつれ、周りの動きが緩慢になっていく。
子供たちの泣き声がゆっくり聞こえ、振り落ちる雨粒すらも止まって見える。
「それ が 救 世
眼 のチカ
ラ じゃ――」
今聞こえたのはノインの声だろうか?
間延びした口調だが、伝えたいことはわかった。
おそらくはこれが救世眼の力なんだ。
効果は神経の加速と、そして――?
「……なんだ、この光は?」
俺の体を、白い光の粒子が包んでいるのがわかる。
体の内から滾々と湧き出したそれが霧のように密集し覆っているのが。
見ればそれは、子供たちや永遠蠕虫の体をも覆っていた。
濃淡あり、子供たちのそれは薄くぼんやり、対して永遠蠕虫のそれは濃くはっきりしているが、おそらくは同種のものだ。
「……もしかして、これが『オド』の力なのか?」
『オド』は生命の根源だと言われている。
時に呪文使いが術を行使するための触媒となり、戦士が身体を強化するための源となる。
生命なら誰しもが持つものだが、使うには長い年月に及ぶ修行が必要となる。
救世眼を持つ今なら使えるだろうか?
だとしても、どうやって使えばいいんだ?
腕を振るえばいい?
叫んで、飛ばす?
悩む間にも、事態は進行している。
永遠蠕虫が鎌首をもたげ、今にも子供たちに襲いかからんとしている。
「ちっ……!」
行くしかない。
だが、無策で突っ込んでもいいのか?
たしかに力は湧いているが、このまま押し込んで勝てるものなのか?
今度こそは絶対失敗できないのに、負けられないのに。
このままバカ正直に突っ込んでもいいのか?
「枝を
辿 れ――」
再び、ノインが口を開いた。
枝とはなんだ?
永遠蠕虫の体の至る所を走っている、ぼんやりした光の線のようなもののことか?
斬ってくれと言わんばかりのあの線が枝?
わからない。わからないが、ともかく体が動いた。
頭が垂れ、背が、腰が連動し、両足が強く、地面を蹴った。
「うお、あ、あ――!」
叫んだ。
左足を踏み出し、右足で追い抜き、瞬時に永遠蠕虫の間合いに踏み込んだ。
と同時に、右腕を振りかぶった。
体ごとぶつけるように思い切り、枝に沿って振り下ろした。
「ギャアアアアアアアア!」
血も凍るような永遠蠕虫の悲鳴で、我に返った。
「はあ……っ」
耳がキンとする。
吐く息が、ただただ白い。
「はあ……っ」
ぐらりよろめきながら、振り返る。
見れば、黄色い体液がそこら中に飛び散っていた。
永遠蠕虫の体の三分の一ほどがごっそりと剥がれ、地面に落ちていた。
「俺が斬った……のか?」
理解が追いつかない。
酸素が足りなくて、頭が回らない。
「ャアアアアア……ッ」
ぼやけた視界の片隅を、永遠蠕虫が這って行く。
巨体を惨めに震わせながら、森の奥へと必死で逃げて行く。
「ンャアアァ……ッ」
命乞いするかのように、盛んに鳴き声を上げている。
「あの……時っ」
瞬間、マグマのように怒りがこみ上げた。
恐怖も、戸惑いも、呼吸のしづらさや疲労もすべて消え去るほどの、それは強烈な怒りだった。
「親父とっ、お袋だって……っ」
鉈を握った。強く一歩を踏み出した。
「命乞い……したじゃねえかよっ! 助けてくれってっ、なのにおまえは……っ!」
もう一歩、踏み出した。
永遠蠕虫との距離を、さらに詰めた。
「無視して……っ」
最期を知った親父とお袋は、自らの身を犠牲にして俺を逃がした。
崖の上から投げるっていうひどい方法だったけど、おかげで俺は、今もこうして生きている。
「ヤァアアアア――」
「うっ……るっ……せええぇぇええええー!」
俺は叫んだ。
叫びながら鉈を振るった。
永遠蠕虫の体の至る所を走る枝に沿って。
縦に、横に、何度も、何度も斬りつけた。
その度、黄色い体液が飛び散った。
肉が、臓物が辺りに飛び散り、むわっと濃い悪臭が立ち込めた。
それでも俺は、鉈を振るい続けた。
永遠蠕虫のコマ切れを前に、延々と。
ノインがそっと、背中を抱きしめるまで。
それが俺の、十年に及ぶ復讐の終わりだった――
□ □ □
俺が永遠蠕虫を倒したことは、瞬く間に村中に伝わった。
長年に渡って近縁一帯で被害を出していた化け物だから、皆は大いに盛り上がった。
年に一度の収穫祭もかくやと言わんばかりの大騒ぎで、あちこちに篝火が焚かれ、村の広間に出されたテーブルには豚や七面鳥の丸焼きなどの豪勢な料理が所狭しと並べられた。
村長は俺の活躍が面白くない様子だったがさすがにこの状況では褒めざるを得ず、頬をヒクつかせながらも賛辞の言葉を述べ立てた。
子供たちやその親は何度も俺に感謝を述べ、盛んに抱擁を求めてきた。
「『だけど俺は、ひとり盛り下がっていた。別に褒めてほしくてしたことじゃねえ。全部俺の、個人的な復讐だ』……とか、ひねたことを思ってそうじゃのう?」
「人の気持ちを勝手に捏造するな」
「おや、外したかのう? けっこう自信があったんじゃが」
「大外れだよ、バーカ」
からかってくるノインをあしらいながら、俺は広場の隅っこに座っていた。
所狭しと地面に皿を並べ、普段は食えない上等な肉を一心不乱に食い続けていた。
「たしかに復讐は終わった。でも、親父とお袋は戻って来ねえし、依然として魔族による被害は出続けてる。つまり、これは始まりにすぎねえってことだ。今後の長い戦いに耐えられる体を作るためにも、今はひたすら食って、体をデカくしねえとな」
永遠蠕虫を倒したことによる感慨はあった。
親父とお袋の無念も少しは晴れたことだろう。
だが、どこまでいってもそれだけだ。
胸にぽっかりと空いたこの空白は、きっと魔族を殺すことでしか埋められねえ。
「今後の長い戦い……か」
ノインは一瞬寂しそうな顔をしたが、すぐにニヤリと煽るような笑みに変えた。
「ならば、得たばかりのその力で妾を殺してみるか?」
「い~や、今は殺さねえ」
「ほ?」
俺の言葉に驚いたノインが、白い頬をピンクに染めた。
「なんじゃなんじゃデレたのか? 妾の愛らしさに絆されデレ期到来か?」
「やめろ離せ、そういうんじゃねえっ」
希望に表情を輝かせたノインが俺の腕につかまってくるのを押しやると。
「今は、っつったろ。救世眼を手に入れてわかったことがある。それは相手の強さだ」
身の内から白く立ち上るようなオドの光は、強ければ強いほど輝きを増す。
魔王の娘たるノインの輝きは、永遠蠕虫なんかの比にならねえ。
目も眩むほどに強い、それこそ太陽をまっすぐ見るような恐るべきものだった。
こんな奴を相手に喧嘩を売ろうとしていたのかと、今さらながらゾッとする。
本当にどこまで身の程知らずなのか……。
「今のおまえに挑んでも勝ち目はねえ。やるならもっと強くなってからってことだ」
「むうん……」
ノインは不満そうに口を尖らせるが。
「ま、しばらくは一緒にいる許可を得たということかの。そういう意味ではやはりデレ期到来では?」
前向きに考えることにしたのだろう、手をパチンと叩くとニッコニコの笑顔になった。
「……ちっ、呑気なもんだぜ。将来的に強くなったらおまえを殺す、そう言ってるのになんだよその笑顔。人間如き余裕だってか?」
「ふうむ……ここまでくるとその喧嘩腰も可愛く見えて来るのう。言うなれば、美人のお姉さんに対して素直になれない子供みたいなものじゃろう?」
「勝手な解釈すんな、あと距離が近い、今すぐ離れろ」
「ほっほっ。照れておる照れておる。可愛いのう~」
ぐいぐいと胸を押し付けてくるノインを突き放そうとしていると……。
「おうおう、いいご身分じゃねえかアデルよお~」
このいかにもなチンピラ声はあいつだろ、と思ったら大当たり。
ガルムが不満そうな顔で立っていた。
「……おう、ガルムか」
他を圧倒するような背丈にぶ厚い胸板、丸太のような足。
若くして頭髪が薄い以外は非の打ち所のない戦士の素養を持った、村長の息子。
今までだったら威圧されていただろうそれらの要素が、まったく胸に刺さらないことに驚いた。
「ガルムじゃねえ! ガルムさんだろうがよお~!」
いつにない俺の不遜な態度に腹を立てたのだろう、ガルムが大声を上げて威嚇してくる。
「てめえなあ、ちょっと雑魚魔獣を倒したぐらいでつけ上がりやがって――」
「……」
永遠蠕虫を倒し、一躍村の英雄になった俺に嫉妬しているのだろう、ガルムはあらゆる語彙を尽くして責め立ててくる。
やれ恩知らずめ、やれ下男のくせに、やれ、俺に一度も勝ったことないくせに……。
「はあ~……」
俺は心底ため息をついた。
頭髪並みに薄いオドしか持たないこんな奴に今まで気をつかっていたことがアホらしくてしかたがなった。
「いいわおまえ、もうあっち行けよ」
「は? はあ? おまえ今なんつった? この俺に対してあっち行けだとおおおー!?」
血管がはち切れんばかりにぶち切れるガルム。
拳を震わせ、今にも殴りかからん様子だが、何をされても全部躱せるだろう。
その自信が、俺をひたすら落ち着かせていた。
「無理すんな。おまえなんぞもう相手にならんから――」
「ちょっとアデル! 何よその女!」
俺の言葉を遮るようなキンキン声で叫んだのはネモフィラだ。
村長の娘で、村一番の美人。
群青色の髪の毛を顔の片側で結び、貴族の令嬢が着るような紫のドレスを違和感なく着こなしている。
キッと目をつり上がらせ、どうやらノインの存在が気にくわない様子だが……。
「ノインのことか? こいつはあれだ、なんというか……」
「浮気なの!? わたしというものがありながら浮気したの!?」
「……はあ? 何を言ってんだおまえ?」
「何だも何も、わたしとあんたは将来を約束した間柄で……っ!」
「はあああ~……?」
傷を回復するたびに性的ご奉仕を求めてくる色狂いのお嬢様が何言ってんだ、と首を傾げていると……。
「……勇者殿。これはいったいどういうことだ?」
ギリ、と奥歯を噛みしめる音がした。
何だと思ってそちらを見ると、ノインが笑顔のようで笑顔でない、恐ろしい顔をこちらに向けて来た。
「将来の約束をした恋人の類はいないのではなかったか?」
黒く濁ったオドをゴゴゴと解き放つ姿には、紛れもない殺気が込められている。
これは怖い。これはたしかに魔王の娘。
「そんなん今も昔もいねえけど……」
「じゃああの女はなんだ」
「なんか勘違いしてるんじゃねえかと……」
「勘違いって何よ! あの夜のことを忘れたの!?」
「あ、ああああの夜じゃとおぉぉぉ~!?」
その言葉が開戦の合図だったかのように、ノインとネモフィラはバチバチの喧嘩を始めた。
といっても腕ずくでどうこうではなくただの口喧嘩だが、女同士の口喧嘩ほど怖いものを俺は他に知らない。
「いったいどうすりゃいいんだこれ……?」
恐ろしい光景に背筋を粟立たせていると、急に風が吹いて来た。
生暖かく、産毛を撫でるような風。同時にチリーン、チリーンと鈴の音が聞こえて来た。
■ ■ ■
「……なんだ? この音?」
ハッとして立ち上がると、遠くから人馬の群れが近づいて来るのがわかった。
数は二十……いや三十はいるか。
旗印や外装を見るに、王国の騎士と神聖教会の神官の集団――背教者狩りだ。
チリーンという鈴の音は、刈り取った背教者(魔族含む)の魂を鎮魂するためのものだったか。
――背教者狩りがこんな僻地に一体なんの用だ?
――そんなの魔族狙いに決まってるだろ? きっとあの魔族を倒したことを褒めるために来たんじゃねえか?
村人たちの思惑は正しい――普通に考えれば、たぶんそうなる。
だけど俺は知っている。
ここにノインがいることを。
魔王の娘なんて、それこそ奴らにとっては不俱戴天の仇だろう。
だが、連中にノインの存在が知られているとは考えづらい。
ノインは俺以外に自分の素性を明かしていないし、俺も当然漏らすわけはない。
変化の術のおかげもあって、頭のおかしな旅人の姉ちゃんとしか思われていないはずだ。
「……勇者殿、妾はひとまず下がるとしよう」
状況を察したノインが喧嘩をやめ、俺の耳元で囁いた。
「ああ、そうだな。その方が無難だ」
ここでノインの存在に気づかれても面白くない。
ひとまず身を潜めるというのは正しい判断だろう。
だが――
「うふふふふ、なんとも小さく、侘しい村ですねえ」
そう言ったのは、集団の頭なのだろう馬上の司祭だ。
つばの広い帽子、白粉を塗りたくった頬、紅を差した唇、でっぷりと太っているせいで司祭服がパツパツ。
男のくせに女みたいな笑い方をする、薄気味の悪い奴だ。
――背教者狩りのご一行とお見受けいたします。まさかこんな小さな村にわざわざお越し下さるとは……。
普段の横柄な態度はどこへやら、村長がへこへこと頭を下げながら対応するが……。
「最も、こんな所だからこそ奴らが潜むにはうってつけなんでしょうねえ」
つまらなそうな顔で辺りを見渡した司祭が、思ってもみなかった行動に出た。
手にしていた金属製の権杖で、村長の頭を叩き割ったのだ。
「なっ……!?」
頭部を失い、パタリと倒れる村長。
そこら中に飛び散る血と脳漿。
――そっ……村長がっ!?
――死んだ……殺されたぞっ!?
――きゃあああああ!?
驚き悲鳴を上げる村人に、司祭はこう告げた。
「私は神聖教会巡回司祭のデリゴリです。魔族の教えに頭を垂れた村人たちよ、大人しく主の裁きを受けなさい」




