どろだんごの神さま 2話
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2 後輩社員、御乱心。
──夢の中、小学生の拓はしょげていた。
友だちが出来ず、いつもひとりぼっち。
寂しさを抱えて家に帰っても唯一の家族の祖父はおらず、俯く拓を出迎えるのは、十センチに満たない、二頭身の泥団子の人形。
拓は、その人形を「神さま」と呼んでいた。
ある日。
拓と神さまは、出来心で祖父の茶箪笥を漁る。
茶箪笥の引き戸を開けた奥の奥を、拓は覗き込んだ。
「お団子だ、お団子だよ、神さま!」
「キュイ?」
ラップが掛けられた皿には、みたらし団子が乗っていた。しかし神さまは、その丸い頭をかしげている。
神さまは、お団子を知らない。
そもそも泥団子の人形である神さまは、食べ物を必要としないのだ。
が、拓の喜びようにつられて、神さまもお団子を覗き込む。
甘い匂い。それにちょっと、香ばしい。
「みたらし団子、おいしそう。ね、食べちゃおうか」
神さまに問いかけるが、拓は返事を待たない。
小皿を一枚出して、串から引き抜いたお団子をひとつ置く。
「神さま、食べられるかな」
「キュイ!」
神さまは元気よく鳴き、小皿のみたらし団子にかぶりついた。
泥団子人形の神さまに口があるのにも驚いた拓だが、もっと驚いたのは神さまの喜びようだ。
「キュイ、キュイキュイ!」
団子にかぶりつく度に、神さまは拓を見上げて鳴く。さらには踊って喜んでいた。
……そうか、もうそんな時期か。
目が覚めたら神さまに──
帰郷二日目の朝。
何故か拓の部屋に運ばれた、二人分の朝食。
そのお膳の前で、ジャージ姿の宮沢一穂は眠たげに座っている。
その膝の上、どろだんごの神さまに至っては、コテンと寝ては起きて、の繰り返しだった。
きっと二人で夜更かししていたのだろう。
不良後輩社員に、不良神さまである。
「朝メシ食べたら、もう少し寝るか」
「いえ、寝ている暇などありませんよ」
「ああ、そう……」
珍しく気を利かせた拓の提案を、一穂は一蹴する。
「今日は街に出て夕方まで食べ歩き、なんですから」
「え、今日は横浜に帰るんじゃ」
「予定変更、連泊します。その辺の手続きは私がやりますので、先輩はご安心ください」
「……レンタカーも返さないと」
「借り直しましょう。今度は違う車種を」
拓は思い出した。
この牧村一穂という後輩社員、拓の前では甘えたような口調で話したりするが、他の社員や上司の前では別人であった。
判断が早く的確で、動じず焦らず、ミスもない。
先輩社員や上司にも遠慮せず、自分が正しいと思った意見を、その弁舌で押し通す。
今の一穂の意見や判断の早さは、その片鱗だった。
「本当、仕事できるよな、宮沢は」
「まだまだ先輩には及びませんよ、仕事面では」
宮沢一穂の引っかかる言い方に、拓は反論しない。仕事以外がダメダメなのは拓も自覚している。
一穂は、仕事も出来る。対する拓は、仕事は出来る、なのである。
「今夜は寝かせませんよ、だぁりん♪」
「へいへい。もちろん部屋は別々、消灯は夜九時な」
そんな拓にだけ、一穂は甘えたり巫山戯たりするのだから、社内では半ば公然のカップルとして扱われていた。
一部の若い男性社員は、可愛くて仕事の出来る宮沢一穂をしつこく食事に誘ったり、誘いを断られて拓を逆恨みするのだが、すべて一穂によって内々に処理されていた。
知らないのは、当事者の拓だけである。
兎にも角にも、一穂の提案によって事態は再び動き始めた。
部屋の片隅で、
「大事な彼との大事な旅行なので、有給延長お願いしますね」
と、拓をチラ見しながら話す一穂だったが、それよりもスマートフォンを握る一穂の華奢な背中が、拓には頼もしく見えていた。
同時に新入社員だった宮沢一穂の初々しい姿が、拓の脳裏に浮かんだ。
「何も知らないお嬢様、だったのにな」
それが今や、営業部のエースである。
と、視界の隅っこに、畳に寝転がるどろだんごの神さまが見えた。
「悪いな、神さま。宮沢の電話が終わったら、お団子買いに行こうな」
「キュイー!」
さっきまで眠そうだったどろだんごの神さまは、お団子という言葉で踊り出す。
食事を必要としない神さまにとって、みたらし団子だけは特別のようだ。
月に一回、串から抜いた一個だけ、踊りながら食べるのだ。
どろだんごの神さまにとってのみたらし団子は、月イチのイベントなのだろう。
「キュイくんのお団子ですか? ちゃんと用意してきましたよー」
通話を終えた一穂が、三本入りのみたらし団子のパックを差し出してくる。
「キュイ〜!」
どろだんごの神さまは、くるりと回って、コテンと転けた。
「仕事が出来るのは承知していたけど、気配りもすごいな」
「はい。ここに来る途中に寄ったコンビニで、ちょいちょいと」
「さすがだ、本当にありがとう」
「えへへ、もっと褒めても良いんですぜ、ダンナ」
満面のドヤ顔で肩を擦り寄せる一穂を、拓はひらりと躱した。
「調子に乗り過ぎだ」
「えー、せっかくですから、もう少し調子に乗らせてくださいよー」
「せっかくってなんだよ」
「だからぁ、貯まってた有給、今回一気に消化しますよ!」
「え」
拓は理解が追いつかなかった。
頭の中で直前の会話を何度も繰り返してみたが、無理問答のごとく意味が繋がらない。
「なんと追加の有給は、一週間ですよー。テンション上がりませんか?」
「一週間!?」
旅館中に響き渡る勢いで、拓が叫ぶ。
一週間だって?
いくらなんでも、無茶が過ぎる。
二週間も経てばお盆休みが来るこの時期に、よく会社が許したものだ。
呆れる拓だが、一穂には響かないし、届かない。
拓の溜息をひらりと流した一穂は、さらに続けた。
「井上課長に電話したら無理って言われたので、人事部長に直接電話しちゃいました〜」
「ああ、そう……じゃなくて!」
拓の脳裏に、苦い顔の人事部長が浮かぶ。
片目を閉じて左手の人差し指を立てる一穂に、拓はさらに呆れる。
「一週間って、その間の仕事はどうするんだよ」
「大丈夫ですって。私の家来……もとい四人の後輩に、先輩の仕事もひっくるめて割り振っておきました」
「え、家来ってなに。というか、なんで宮沢が俺の仕事を把握してるの? なにそれこわい」
「んふふ、高性能ストーカーとでも呼んでください」
「わかった、高性能ストーカーさん」
「何でそういうトコだけ素直になるんですかぁ〜」
拓の肩を両手の拳でポカポカと叩く一穂を尻目に、どろだんごの神さまの視線はみたらし団子に釘付けだ。
「わ、ごめんキュイくん、お団子すぐ用意するね」
「キュイ〜!」
やっと神さまが月イチのご馳走、みたらし団子にありつけたところで、朝の騒動は幕を閉じた。
二日目の昼は、昨日よりも日差しが強かった。
フロントガラス越しに注ぐ真夏の太陽は、車の冷房の邪魔をする。
レンタカーのラジオで聴いた地元のFMラジオによれば、今日は猛暑日になるらしい。
「え、街ブラは変更ナシですよ。日傘の準備もバッチリでーす」
今日は車移動メインに変更だな、などと考える拓とは裏腹に、一穂は予定を変えるつもりはないようだ。
籐編みのバスケットの中で待機するどろだんごの神さまも、キュイキュイとはしゃいでいる。
「おー、やっぱり横浜とは違いますねー」
中心街に近いコインパーキングに車を停めた直後、辺りを見回した一穂が呟く。
「ま、地方都市だからな。東京や横浜ほどビルは高くないし」
「じゃなくて、あれです」
一穂が指差した方向は、コインパーキングの看板だ。
「めちゃくちゃ安いですよね、駐車料金」
「そこかよ」
拓が零した溜息は、何処か弾んでいた。
静岡市街を歩く拓たちは、いろんな場所へ立ち寄った。
「子どもの家康さんの横のおじさんって、誰ですかぁ」
「先輩、郵便ポストがプラモデルですよ!」
と、ちょっとした史跡や公園なんかに寄って、神さまを含めた三人で写真を撮りまくるだけ、だったが。
キュイという鳴き声が何度も聞こえたので、どろだんごの神さまも喜んでいるようだ。
「今日はお目当てがあるので、静岡おでんは明日のお昼ごはんですねー」
出来る後輩社員は、目に入る名物のチェックも忘れない。そんな仕事の出来る高性能ストーカーこと宮沢一穂は、実に生き生きと静岡の街並みを歩いていく。
それはかつての拓が経験し得なかった、憧れの光景だった。
「さあ、お昼ごはんですよー」
富士宮焼きそばという、B級グルメがある。
富士山の麓の街、富士宮市の名物だ。
存在自体は知っていたが、静岡市街にも富士宮焼きそばを提供する店があるとは、拓は知らなかった。
その知らない店を、美貌かつ有能な後輩社員の宮沢一穂は探し当てたのだ。
「美味い……」
「喜んでいただけて、光栄です」
焼きそばの美味さは、一穂の手柄ではない。
普段ならそう考えてしまう拓も、今回の手柄は、この店を見つけてきた一穂のものだと納得した。
「今度は、でっかい富士山の近くで食べたいですねー」
「そう、だな」
拓の言動は普段と違って、無反応、無関心ではない。それに有能な後輩社員が気づかないはずはなく。
「お? 今ちょっとデレてます? デレてますよね?」
「そういうのは、よく判らん」
「わかんなくても良いんです。世の中、解らないことだらけなんですから」
笑みを浮かべる宮沢一穂は、自身の膝のバスケットに視線を落とす。
一穂がキュイくんと呼ぶ、どろだんごの神さま。
幼い頃から拓と一緒のせいか、共にいるのが当たり前になっていた。
けれど、今更ながらに拓は思う。
何故、泥団子なのに動くのか。
どうして泥団子の状態で、山の中に転がっていたのか。
考えたら、不思議なことばかり。
考えても解らないことだらけだ。
胸中でそう呟く拓にとっての最大の謎は、後輩、宮沢一穂と並んで静岡の街で富士宮焼きそばを食べているという、現実だった。
「じゃじゃーん」
歩き疲れ、太陽が西のビルに隠れた頃、後輩宮沢一穂は新たなレンタカーを借りた。
今日のレンタカーは昨日のようなセダンタイプではなく、ちょっとおしゃれなジープのような四輪駆動の車、いわゆるRV車という代物だった。
仕事の時、たまに四駆の車に乗る機会はあるが、それとはまったく趣は異なる。
内装は仕事の車よりも豪華というか、高級感が漂っている。
座席も作業用車両のような防水のビニール製ではなく、本革製のようだ。
足元に敷かれたフロアマットは、高級な絨毯のように靴が沈み、砂や泥などが入り込む心配を一切されていない。
しかしパッと見だけは、山道を走る「働く車」だ。
その車で、拓と一穂、そしてどろだんごの神さまは、清水区と駿河区の海側の境にある、日本平という低い山の頂上までドライブをした。
頂上の駐車場に着いた時、空は完全なる夜だった。
飲み物は、駐車場の自販機で買ったペットボトルのお茶。
音楽は一穂のスマートフォンから、お気に入りの曲を流して。
どろだんごの神さまは。初めての外出に疲れたのかフロントガラスの下で眠っている。
「おー。綺麗な夜景ですねー」
一穂は景色を愛でるが、実は拓には夜景を観賞する余裕などない。
車内の小さな灯りたちに照らし出された一穂の横顔に、釘付けだった。
それでも、何か言葉を返す必要があると拓は感じた。
考えた末に、拓は話す。
「あっちに見えるのは、清水の夜景だよ。というか、東京や横浜のほうが高層ビルの光が多くて、夜景は綺麗だろうに」
拓の発言に、一穂はニヤニヤと拓を見る。
「ここからの夜景は、瞬く星も見えるんです。そして海も見えて、さらに向こうには大きな富士山のシルエットまであって」
拓は、都市や人工物の光源の集合体を、夜景と呼ぶのだと思っていた。
しかし、一穂は違う。
都市も自然も、目に映るものすべてを夜景と呼んだ。
それは拓にとって衝撃であり、物事を多角的に見ている後輩を尊敬した瞬間でもあった。
「そうか、そうだな」
拓は、普段通りに応えた、つもりだ。
しかしそんな拓の顔を見つめる一穂は、いつもと違う柔らかい笑みを浮かべている。
「そうです。最高に贅沢な夜景ですよ、これは」
拓は、気づく。
この夜景が最高に贅沢な理由は、この優秀な後輩社員である宮沢一穂と一緒だからだ、と。
宮沢一穂という女性は拓の未知を知り、既知はより深く知るのだろう。
現に、一穂のおかげで、夜景の幅が広がった。
もっと一緒にいれば、きっといろんな発見が待っている。
それが嘘か本当か、はたまた思い過ごしか気のせいか。
そんなことは、どうでもいい。
拓が思ったことが拓の事実であり、真実だ。
「あ、雨」
ぽつりと、フロントガラスに水滴が落ちた。
水滴は刹那の間に数を増し、大粒になり、数秒後には大きな雨音が車内の音楽をかき消すほどになった。
「ゲリラ豪雨、かな」
「……そろそろ旅館に戻りましょうか」
拓たちのレンタカーが山頂の駐車場を出ても、どろだんごの神さまは眠っていた。
山の中の旅館に着く頃には、雨は止んでいた。
車から降りると、拓が想像した数倍は蒸し暑い。一穂も同じようで、いつもは伸びた背筋が、暑さと湿気にやられて少し丸まっている。
旅館の玄関に入ると女将が、もう雨はウンザリとぼやいていた。
無理もない、数日前にもしこたま降ったらしいから。
夕食の用意を頼み、拓と一穂がそれぞれの部屋に戻ろうとした時。
二人のスマートフォンに、耳慣れない通知音が同時に鳴る。
拓と一穂のスマートフォンには、静岡市全域の山間部に土砂災害の恐れ、避難指示、という文字が鈍く光っていた。




