いずれ魔王になる彼と、彼を愛した魔女の話 2話
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エレオスの王都は沸きに沸いていた。
《魔の国マギア》に巣くう魔族を殲滅し、魔王ヴェルクラインを倒したことが大々的に発表されると、魔族撲滅派《ロワ》の支持者達を中心に勇者を称える声が次々に上がった。どこもかしこもお祭り騒ぎ。街は深紅の国旗に彩られ、撲滅派の正義の勝利だと国民は口々に賞賛した。
しかし、その中に勇者イリアの姿はなかった。
戦いは激しく、マギア全土を制圧するため、多くの犠牲を払ったことを、勇者は心苦しく思ったらしい。《マギア制圧部隊》の八割は帰らぬ人となり、残り二割も激しい痛手を負った。身体の一部を失った者も多いと聞く。
《マギア制圧部隊》を率いていた勇者一行でさえ、半数は帰らぬ人となった。魔王城で魔王と一人果敢に戦った勇者イリアと、瀕死のところを制圧部隊に助けられた魔法使いセロだけが、どうにか国へ帰還したのだ。その魔法使いでさえ、心身を病みどこかへ身を隠してしまった。
今後は連合国軍が現地へ入り、マギアの復興に着手するらしい。
《魔の国マギア》を近代的な機械文明国家へと変貌させるために。
勝利を王へと伝えたあと、勇者イリアは直ぐに王都を発った。
王が止めるのも聞かずに――「まだ、やり残したことがある」と告げて。
***
列車を乗り継ぎ、軍用車両に揺られてイリアがマギアの王城へと戻ったのは、制圧宣言から十日後のことだった。
戦いの激しさと残酷さをまじまじと感じる旅路と、自己の存在意義を自問自答する日々。生き残った制圧部隊の兵と合流し、エレオス王国で格別の賞賛を浴びてもなお、イリアの気持ちは晴れなかった。
未だ激しい戦闘の形跡が多く残る王城の壁や庭園を眺めると、イリアの気分は更に沈んだ。火薬の臭いは十日経っても消えていなかったし、死臭が漂い、以前よりも凄惨さが増している。まばらに制圧部隊の装備品や武器の残骸が落ちているのを、イリアは苦々しく見つめていた。
「イリア様、お帰りなさいませ」
久しぶりに姿を見せたイリアの表情が優れないのに、衛生兵のリュジュは直ぐに気付いて駆け寄った。イリアは栗色の長い髪を揺らし、サッと片手を上げて作り笑いで応えた。
「待たせたな。皆は無事か」
「何名か……イリア様のお帰りを待てずに息を引き取りました。日に何台も本国までの軍用車両を出していると聞きましたが、全員運び終わるのは……まだまだ先だと思われます。特にこの辺りは最後でしょうから……、それまでは地下に安置を」
「そうか。辛い思いをさせたな」
制圧部隊の十数名は、城に留まり負傷兵の手当てや遺体の回収に当たっている。幸い城の奥には多くの薬品や食料が保管されていて、本国からの物資到着まで滞在するには都合も良かった。損傷を受けずに済んだ部屋も多く、宿泊にも困らない。各地から運び込まれて日々増え続ける遺体を安置しておける場所も多くあった。
魔族達は圧倒的な力で制圧部隊を一掃した。多数の死者が出た。意思半ばで息絶えた兵達を本国へ戻すのも、部隊の大切な役目なのだが……、数が多過ぎる。次から次へと運ばれる遺体を傍目に、心を殺しながら過ごすのは辛かったに違いない。
リュジュは一切以前と態度を変えずに、時折寂しそうな笑顔を見せる。それがまた苦しくて、イリアの胸はチクチク痛んだ。
「リュジュ、あの男はどうしてる?」
イリアが尋ねると、リュジュは「えぇと……」と少し言い辛そうに顔を歪めた。
「延々と……お墓を作ってます。殆ど休まず、食べ物もあまり口にしませんし、何を聞いても答えてくれません」
「そうか……、まだ続けて」
「はい。イリア様が居ない間もずっと。彼は……一体何者なのですか」
リュジュの言葉に、イリアは少し黙った。
首を振り、一言。
「分からない。分からないが……心無い者が黙々と死者を弔い祈るだろうか」
ザクッ、ザクッと、遠くで穴を掘る音がずっと耳に届いていた。
イリアは音のする方へ視線を向け、「会ってくる。リュジュも適宜休むように」とその場を去った。
***
王城の広い敷地に、真新しい木の墓標が多く立てられている。几帳面に等間隔に立つ墓標のひとつひとつに、死者の遺品が括り付けられているのを見て、イリアは言葉を失った。
リュジュの言う通り、あの日から延々と続けているのだろう。イリアが最後に見た時、まだ墓は十基程だった。それが今は、視界を埋め尽くす程墓標が立っている。
「ヴェル。今戻った」
大きな墓穴を掘る男に、イリアは声を掛けた。
静かな墓地に響く高い声に、男は手を止めイリアを見た。
「これ全部一人でやったのか?」
男の方へと足を運びながら、感心したようにイリアが言うと、
「君達が殺らなかったら、必要のない作業だった。待ってて。あと何人分かで終わる」
男は再びスコップを持って、穴を掘り始めた。
墓標の下に眠るのは、《マギア制圧部隊》の手で葬られたマギアの兵士や魔族達。王城を占拠する制圧部隊が見向きもしない遺体を、彼は一体一体丁寧に葬っている。
硬い土を掘り返し、遺体を埋める穴を作る。華奢な彼より大きな魔物の遺体を、彼はがっちりと両手で抱え、ゆっくりと丁寧に穴の中へと横たわらせた。
遺体の向きを直し、汚れを拭き取って、頬を撫で、内臓の欠けた胸部へと頭を押し当てる。死臭はかなり濃いはずだ。エレオス兵の遺体と違って、魔物の遺体は野ざらしで一部が腐り始めている。彼はそれらを一体一体一人で庭に運び、綺麗に並べて布を掛け、順に弔っているのだった。
彼は愛おしそうに話し掛けるような仕草をして、ギュッと遺体を抱き締めた。それから穴を出て、上から丁寧に土を被せていった。
墓標は庭木の枝で、墓前に添えてあるのは野花だった。
「約束通り、自分のことは何も喋ってない。君が不利になるようなことは、何も」
長い金髪を後ろでひとつに括り、フード付きのマントで身体をすっぽりと覆って口元を隠した彼は、イリアに青く透き通った目を向ける。日の下で見ると、より青の透明さが際立って、イリアの胸はギュッと押し潰されそうになる。
魔王ヴェルクライン……。一体彼のどこが魔王か。慈悲深く素朴な青年ではないかと、そう思ってしまうのは、王の間で感じた強大な魔力が一切感じられないからか。
「イリアこそどうだった? 随分褒められたんじゃないか?」
「貴様のせいで気が気じゃなかった」
「僕に会いたくてソワソワしてたとか」
「ふざけるな。私は敵だぞ?」
「敵じゃない。同じエレオス人だし、仲良くしようよ。君は……貴族の出?」
「いや、商人だ。貴様の言う通り、私がエレオスを裏切れば、家族や親戚、父の商社も雇い人も、皆殺しにされるだろう。賎しい商人の娘がと、何度も罵倒されたよ。軍の幹部は軒並み貴族の出だったからな」
誰にも話したことがないことを、勢いに任せて話してしまった。言わなければ良かった。イリアは少し後悔した。
「国のために戦う人間に必要なのは身分じゃない。忠誠心と、力だ。出自で優劣を測るなら、僕は下の下。人間として数えて貰えなかった僕に叶うヤツは居ない」
ハハハとヴェルクラインは乾いた声で笑う。
そしてまた、彼は次の墓穴を掘り始めた。
「エレオスからどうやってマギアに? 何故王になれた?」
ヴェルクラインの動きを目で追いながらイリアが言うと、
「物事には順番がある。弔いが終わってから話すよ。待ってて」
彼は黙々と、墓穴を掘り続けた。
イリアは黙って彼を待った。
***
夕暮れ、ようやく全ての弔いを終えたヴェルクラインと、城へ戻る。
衛生兵のリュジュがイリア達を夕食に呼んだのだ。
「ヴェル、一緒に食おう」
食堂で振る舞われた料理の山を前に、ヴェルクラインは口を付けようとしない。長テーブルの端、向かい合って座るイリアは、水すら飲もうとしないヴェルクラインに呆れ果て、立ち上がって彼のフードを剥ぎ取った。
「……貴様、何だその顔は」
十日前に見た美しい顔は、げっそりと痩せこけている。目だけがギラギラ光っていて、イリアはギョッとした。
「君にラヴェンダの話をする前に、知らない毒を盛られて死ぬのは嫌だった」
リュジュの話通り、ほぼ飲まず食わずだったのか。あれだけの墓を掘り、死者を弔い……良く、生きている。
「そんなことより、自分の身体を心配しろ!! 誰も毒など盛らん!!」
「どうかな。魔王城ただ一人の生き残り、何者かも分からぬ正体不明の男はさぞ気持ち悪かっただろうから」
「ヴェル!! いい加減にしろ!!」
ダンッとイリアはテーブルを強く叩いた。ガシャッと食器が一斉に揺れ動く音。食堂中の視線がイリアとヴェルクラインに集まる。
「フッ。心配性だな、イリアは」
ヴェルクラインの言葉に、イリアはムッとして立ち上がった。
「あのな……」
「死なないよ。魔力を生命維持に極振りしてるから。それに、何日も食わないのは慣れてるんだ。心配してくれて嬉しい。でも、イリアと一緒なら安心だね。食うよ」
ようやく笑顔を見せて、彼は料理を食べ始めた。
イリアよりも――随分若く見える。背は高く、恐ろしいまでの眼力と魔力を持っていながら、精神的に幼い部分も見えるのは気のせいか。
無意識に、イリアはヴェルクラインの食べ方を観察していた。随分上品な食べ方をする男だ。
「イリアも食べて。美味しいよ」
ランプの灯りに照らされたヴェルクラインは、痩せこけてはいたが、美青年には違いなかった。
イリアは座り直してスープを一口含み、「美味いな」と小さく言った。
「育ちは良いように見える」
「生まれは卑しいけどね」
「卑しい? 貴族の出だろう?」
「育てたのはラヴェンダだ。彼女の躾が良かった」
ヴェルクラインは手を止めて、ニヤッとイリアに笑いかけた。
「お前はずっとラヴェンダの話ばかりだ」
イリアはあまり関心がない振りをして目を逸らし、パクパクと夕食を食べ進めた。
しかしヴェルクラインは、イリアがラヴェンダに興味を持ったとでも思ったのだろう、食べる手を止め、嬉しそうに話し始めた。
「彼女に出会って、僕は初めて人間になれたんだ」
「随分と大袈裟だな。エレオスの貴族の生まれなら、最初から人間だろうに」
「サイアーズ伯爵家は知ってる?」
――ピタリと、食堂に居た兵達は一斉に動きを止めた。
「ローマン・ウィリアム・サイアーズ伯爵。僕の父だ。傲慢な色狂いで、残虐非道な暴君で、熱狂的な《ロワ》支持者。色欲に溺れた彼は、屋敷の女を次々に手篭めにした。僕は下女の子で、産まれた時から奴隷だった」
イリアも、息を飲んでいた。
手が震える。スプーンがカチャリとスープ皿に落ちていく。
「さ、サイアーズ総司令の……」
「あの老害、今はそんな身分なんだ? 知らなかった」
「き、貴様、実の父に復讐しようと」
「バカだなイリア。そんなくだらないことに興味は無いよ。あんな化け物の下で凶行を働いた君達に同情はするけどね」
イリアにとってサイアーズは……畏怖の対象だった。国と軍のために尽してきたイリアを勇者と認めたのは、他でもないサイアーズだった。軍人としては素晴らしい……しかし、言い様のない不気味さと近寄り難い空気を纏い、隙のない人物にも思えた。
それが、ヴェルクラインの父。
青い目は、確かに似ている。その、全てを呑み込むような覇気も。
「父は僕に興味がなかった。不貞の子など腐る程いたし、正妻や妾との間にも沢山子どもがいた。母は僕が生まれると直ぐに死んだらしく、僕は名前すら貰えなかった。下女共に世話されて、僕はどうにか生き延びた。母の名前をとって《リレの子》と皆は僕を呼んでいた。父は僕を見なかった。不貞の子は存在してはいけなかったからね」
ニコニコとご機嫌良さそうに話すヴェルクラインを、イリアは直視出来なかった。
どう理解すべきか。どう反応すべきか。
それは居合わせた兵達も同じで、ヴェルクラインの正体を知らぬ彼らは、告白の重さと残酷さに皆食事の手を止めてしまっていた。
「だが、サイアーズ閣下は貴様を生かした」
「勘違いするなよイリア。好きの反対は嫌いじゃない。興味がない、だ。どうでもいいんだ、死のうが生きようが。だから僕は生き延びた。父が僕に最初に興味を持ったのは、僕が魔性の者だと知った時。《ロワ》支持者の父は激高し、幼い僕を踏みつけた。それが最初だ」
「踏みつけ……」
「二つか、三つの時だ。足の骨が折れた。今も足の向きが少し変なのはそのせいだ」
ハハッとまたヴェルクラインは笑った。笑うところではないと、イリアは思った。
「不貞の子は居ないのと同じ。だから何をしても許されると――伯爵家の人間は皆そう思っていた。その結果死んでも構わないんだよ」
「ヴェルはそれで逃げた……のか?」
「まさか。監獄から逃げる方法なんてなかった。ありとあらゆる虐待を受けた。生きてるのが不思議なくらいにね。詳細は聞かない方が良いと思うよ。多分、今食べたもの全部吐くから」
イリアは、頭を抱えた。
作り話にしては生々しい。……が、あまり良い噂を聞かない御仁だ。有り得ない話ではないだろう。
「ラヴェンダと出会うまで、僕は人間扱いされていない。名前もラヴェンダに貰った。良い名前でしょ?」
「そう、だな。良い名前だ」
引き攣った顔で言うのが精一杯で。
「《捨てる者あれば拾う魔女あり》って知ってる? 人間が飽きて捨てた動物は魔女が拾って使い魔にする。そうして行き着いた先が《深緑の魔女ラヴェンダ》の家だった。 みすぼらしい僕を見てラヴェンダは相当困った。『呪いを掛けられた子どもを捨てに来たのか』――って」
聞き捨てならない言葉を聞いてイリアは少し前のめりになった。
「魔法が使えぬように、僕には呪いが掛けてあった。長年の虐待に耐えかねた僕が、父の子を何人か殺したからだ。呪文が使えぬように言葉を、魔法陣が書けぬよう文字を封じられた。僕は意思表示の方法を失って、獣みたいに唸ったんだ。骨が浮き出るくらい細くて、汚くて、目だけ爛々としていた僕をギュッと抱いて、ラヴェンダは頬にキスをした。『大丈夫、私が救ってあげる』って」
ヴェルクラインはゆっくりと視線を上げ、イリアの目を見た。彼の瞳の青い炎に、イリアはどんどん引き込まれていく。
「ラヴェンダは僕の命の恩人で、僕を愛してくれた、初めての人だった」
もはや食堂にいた殆どの人間が、ヴェルクラインの話に耳を傾けていた。
「当時十歳だった僕は、彼女の存在と行動に衝撃を受けた。それまで人間は二種類だけだと思ってたのに、ラヴェンダはそのどちらでもなかったから」
「二種類?」
イリアが尋ねると、ヴェルクラインは指を二本立てた。酷く骨ばった指で、どの指も妙な角度で曲がっている。
「僕を痛め付ける人間と、無視する人間だ」
彼は指を折りながら小さく笑った。
「彼女は僕のために泣いた。僕を息子として育ててくれた。それがどんなに嬉しかったか、君には分かるかい?」
イリアは……何も言えなくなった。
どんな言葉を掛けても陳腐になりそうで。
目を潤ませ、じっと彼を見ていた。




