龍火絶消(りゅうかぜっしょう) 2話
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第2話『水と油とフルフレア』
龍が空を飛んでいた。
目と鼻は布で覆われ、全長2000メートルを超える巨体の背中には滑走路や防署に学校が建ち、赤錆びた色の胴体には通路が張り巡らされている。
通路には天井も壁もない。
あるのは転防止用の柵だけ。
そこに少女がいた。
真っ赤な髪と学生服のスカートが風でなびくなか、少女は柵の上を見つめる。
「龍を殺すのは君?」
少女は問いかけた。
柵の上に立つ少年兵に。
15歳を迎えた少女よりも背が低く、着ている軍服はサイズが合っていないのかぶかぶか。それに対して背中と腰から生えた翼と尻尾は立派なものだった。
半人半竜の彼は、「僕じゃない」と答えた。
「君じゃないなら誰?」
「人じゃなくて爆弾。ベリカの新しいやつ」
「ベリカって大国の?」
「そう」
「その新しい爆だ」
「――質問はそこまでにしなさい」
通路の下から声が聞こえた。声の主は忍者のように柵を登り、通路に着地する。
声の主は朝倉嶋子。
少女と同じ女学生であり、半人半竜だ。
ただし、少年と違って生えているのは尻尾だけ。
朝倉の登場に少女は焦る。
数分まえ、朝倉に言われていたのだ。
――少年兵と接触してはいけない
――許可が出るまで外出してはいけない。
少女に外出許可は出ておらず、少年兵とも会ってしまっている。
言ったことを守らなかったのだ。
朝倉は怒っているに違いない。
だが、事態は少女の予想よりも深刻だった。
「ガリーナ=フルフレア。スパイとしてあなたを逮捕します」
怒られたらすぐ謝ろうと思っていた思考が吹き飛び、少女はその場に立ち尽くす。ガリーナが動けないでいると、朝倉は学生服の下に隠していた手錠を出し、距離を詰めてくる。
そして、ガリーナの手首に手錠をかけた。
「手錠本物?」
「本物よ」
「なんで持ってるの?」
「私が消防隊員だからよ」
「……聞いてない」
「教えるわけないでしょ。あなたがスパイか探るために変装してたんだから」
「私、スパイじゃない……」
「国家機密である龍の処分を知っていたのはなぜ?」
ガリーナは答えていいのかわからなかった。
両親の寝室のまえを通ったとき、龍が処分されるという会話が聞こえてきた。その会話を聞いたことでガリーナは龍の処分を知ったが、両親がどうやって情報を入手してきたのかは知らない。
だから返答に困った。
口を閉じたままのガリーナから返答がないと判断したのだろう朝倉は言葉を続けた。
「そこにいる少年は戦車や爆撃機を倒してきた。そして、軍から脱走してきた。今は消防隊のもとで大人しく管理下に置かれてるけど危険に変わりない。だから学生たちを別の学校に移したし、留学予定のあなたにも留学先を別の学校に変更する通達がされた――なのに、あなたは拒んだ。それって不自然じゃない?」
龍が処分されると知ったガリーナは、処分される龍に絶対行きたくて留学先を変えたくないと両親に言った。
両親は娘の願いを叶えるため、手続きが完了しているのを理由に変更の通達を突っぱねた。最終的には少年兵を理由にガリーナの身になにかあっても秋津政府は一切の責任を負わない条件を呑む形で、ガリーナの留学は認められたわけだが……
消防隊は理解できなかった。
脱走兵がいる場所に行きたがる少女の気持ちも、娘の安全よりも願いを叶えようとする留学させる両親の気持ちを。
だから思った。
スパイなのではないかと。
ガリーナがスパイか探るため朝倉が学生のフリをすることになった。常駐する消防隊のなかで一番若かったのもあるが、本人の志願もある。
生徒がいなくなった学校。
もしも留学生がスパイじゃなかったら、寂しい学校生活を送ることになる。龍が処分されるまえの最後がそんなのは可哀想だと思い、たとえ偽りの学生だろうと傍にいて最後の思い出を作ってあげたい。
それが志願の理由だった。
スパイであってほしくなかった。
龍について色々質問してきたのも、龍が好きだからと信じたかった。けれど、ガリーナは知るはずのない秋津の龍の処分を口にした。それを聞いて朝倉の方針は決まったのだ。
「不自然なのはそっちだよ」
さっきまで状況に付いていけず、おどおどしていたはずのガリーナが朝倉の目を見てはっきり言った。
「お父さんから聞いてた秋津は龍を崇めてるって。龍について知ってもらうために学校が建てられたって。消防隊は龍を守ってるって――そう聞いてた。なのになんで処分するの? なんで理由を知ろうとしちゃいけないの? 消防隊は龍を守るんじゃなかったの? なんで、なんで……」
ガリーナは言葉を続けようとするが、その先が出てこない。それどころか、足の力が抜けて朝倉の胸に倒れ込む。
冷たい風に体温が奪われ、薄い空気から十分な酸素を得られないなか、興奮状態に陥ったことで限界を迎えたのだ。
「助けないの?」
動かない朝倉を見かねて少年が聞いた。
少年に声をかけられたことで朝倉はようやくガリーナの体調を確認し、医務室に運ぶため抱きかかえた。
「あとで接触したときについて聞きに行くから。それまで収容室で待機しててほしいのだけど」
「付いてく」
「……飛んでていいから、その代わりに付いてこないで」
「わかった」
少年とのやり取りを終えた朝倉には心残りがあった。
ガリーナのことだ。
スパイのなかには過酷な訓練を受けていない者もいる。だから体調不良で倒れてもおかしくない。美貌や身体能力こそないが、知略を武器にしたスパイもいる。
ただ、留学初日に堂々と怪しまれる行動を取ったガリーナに知略があるとは思えず、朝倉のなかでスパイ説が揺らぎ始めていた。
迷いを抱えながら、朝倉はガリーナを医務室に連れて行く――
※※※
ガリーナは秋津国軍の飛行機に乗っていた。来たときと違って母はおらず、隣には女性の兵士が座っている。
手には昨日かけられた手錠がそのままだ。
ガリーナはこれから地上の警察に引き渡される。警察関係者であろうと龍の処分を知られたくない。だからガリーナの逮捕は書類に残らず、彼女の捜査も取り調べも存在しない課が担当する。
少女だろうと容赦しない。
国のためなら服を剥ぎ、拳を振るい、骨も心もへし折る。
彼女を待っているのは地獄。
そのはずだった……
ガリーナを乗せた飛行機が目的地の滑走路に着陸する。
そこは秋津国軍の航空基地。
周りは熱帯雨林が広がり、外に繋がる道は一つもなかった。飛行機から降りたガリーナは兵士の先導で建物のなかに入り、新品の家具が揃った洋室に案内された。
部屋の真ん中には男が立っている。
礼装用の軍服を着た男に見覚えがあった。
表情の乏しい顔が少年兵に似ていた。
男は兵士と敬礼を交わし、尾々切大河と名乗った。
「良い話と悪い話がある。先に聞きたいのは?」
「――良い話!」
「即答か。では君にとって良い話――秋津がなぜ龍を処分するのか教えよう」
男の言葉を聞いて、ガリーナは全身に電気が流れたような感覚を体験した。一秒が遅く感じ、男の口から真相が語られるのを今か今かと待つ。
「龍を処分する理由だが、言ってしまえば生け贄だ」
「いけ、にえ?」
秋津には龍人化した兵士たちがいる。一騎当千の強さを誇る彼らを有する秋津が、衰退している国力を侵略によって回復させようとするのではと考える国もあり、ベリカもその一つだった。
ベリカの経済支援なくして秋津は存続できない。しかし、支援による恩情で秋津の侵略を防げると思っていないベリカは、龍人化した兵士を殺せる兵器を求めた。
ベリカは求めていた兵器を手に入れた。
何度も実験を行い、威力を確かめた。
実験は良好。
秋津に侵略の兆しもない。
経済大国であり、最強の兵器を入手してもベリカは不安を捨てきれず安心を求めて秋津に申し出た。
――龍を処分しろと。
秋津は龍を殺す兵器を保有していないと返答したが、ベリカは新型爆弾を提供すると言って秋津に逃げることを許してくれない。
龍は秋津の象徴。
建国のときから秋津国と共にあった。
それに、龍を失った苦い思いでもあった。
18年まえ。同盟国の要請によって参戦し、同盟国の期待に応えて秋津は躍進。秋津を邪魔に思った敵国は秋津に攻撃を始め、発展途上だった防空網をかいくぐった敵爆撃機が龍に爆弾を落とした。
8頭いる龍のうち3頭が爆弾を浴び、うち1頭にて火災が発生。龍の背中に常駐していた軍が火を消そうと試みたが龍の皮膚は燃えやすく、風で火の勢いが強まったうえに水が足らず消火は失敗。常駐していた生身の兵士たちごと火が龍を包んだ。
全身が燃え、黒煙を上げながらも龍は飛び続け、秋津列島に火の粉を撒いた。
本土は全焼し、火災によって大気が不安定になり発生した積乱雲は列島を覆い、人々が飛行機で逃げることを妨げる。
政府は本土の放棄を決定。
植民地に国民を脱出させることに全力を注ぎ、秋津人の絶滅だけは防いだ。
しかし、植民地に脱出してきた人々を受け入れる余裕はなく、秋津の惨状に同情した各国が支援と難民の受け入れをしてくれた。
その同情もすぐに終わりを迎える。
秋津人のなかから鱗や尻尾が生える者が現れるようになった。彼らは銃弾や大砲に耐えることができ、その力を使って衰退した秋津は他国からの侵略と植民地の反乱を防いだ。
しかし、難民のなかから龍化人が出て暴れられたらと各国は不安を抱き、難民の送還を決定。
本土全焼から回復していなかった秋津は送還されてくる国民を養うことができず、ベリカの経済支援に頼った。
ベリカを敵に回せば秋津人は今度こそ滅ぶ。
だから、龍の処分を受け入れた。
二度と龍を失わないため、消防隊を創設した。
龍の背中に学校を建てたのも、学生がいることで攻撃の標的にされないためだったが無駄に終わった。
「これが真相だ」
説明を終えた男の表情に変化はない。
「聞きたいことは?」
「……ないです」
「ではもう1つ良い話といこう。君のスパイ容疑だが、無実であると把握している」
「……」
「それと君は死んだことになっている。これが悪い話だ」
「えっ?」
飛行機で移送中、ガリーナの容態が急変し機内で死亡――と、虚偽の報告が警察と消防隊に伝えられた。ガリーナの受け入れ先であった警察署も、ガリーナを運んだ飛行機の乗員も尾久切の息がかかっており、彼女が生きていることに口をつぐんだ。
「龍が処分されたあと、公表されたその事実を知った国民は政府と軍の力不足に失望するだろう。それを阻止するため、国民のヘイトを我々から別に向けるためある計画を進めた」
その計画とは、
脱走兵の少年と留学生に龍を占拠させるというもの。
占拠されたので仕方なく龍を殺す。
悪いのは占拠した留学生と少年。
尾々切たちは留学生の何人かに龍の処分を伝えた。処分を知って動いたのは一人だけ。
ガリーナだ。
彼女を調査し、ガリーナは操りやすいと判断。
少年兵にガリーナと接触し、龍の処分を伝えたうえで彼女が占拠に踏み切るよう誘導する手筈だった。
しかし、なにも知らされていない消防隊がガリーナを逮捕してしまったことで計画は変更。
ガリーナの移送中、少年兵が母親に接触していた。
娘の死が偽装であり、軍が身柄を押さえていること。龍が処分されるまでのあいだ、少年と一緒に龍を占拠する。それが達成されたら娘は解放すると告げられ、母親は脅迫を呑んだ。
経緯を語った尾々切は最後に一言、「君の母親から言伝を預かってる」と言って預かった言葉を口にする。
私も龍も絶対に生きて帰るわ。
だから泣かないで。
諦めないで。
世界を嫌いにならないで。
それが母からの言伝だった。
言伝を聞いたガリーナの目から涙が溢れる。
「泣かないでって言われたのに……」
「ここにいる者が見なかったことにすればいい」
尾々切の提案に、ガリーナは答えなかった。
※※※
ガリーナが秋津軍の航空基地に着いてから数時間後。
これから歴史に名を残す事件が龍の上で起きようとしていた。その主犯となる留学生の母親と少年兵が、決行のときを待っていた。
「確認だけど。本当に私は龍と心中しなくて良いのよね?」
「しなくて良い。爆弾が落とされるまえに脱出してもらう」
「表向きは爆弾によって死んだことにして、別の名前を使って第二の人生を娘と送るだったわね」
「そう」
「君はどうするの? 翼生えてるの君だけなんでしょ。死んだフリしてもすぐにばれそうだけど……」
「龍と一緒に死ぬ」
「命令?」
「そう」
「生きたいと思わないの?」
「命令が優先」
「そっか」
「そう」
「もう1つ確認だけど、消防隊はこの件に関わってないのね」
「関わってない」
「関わってる方が計画も上手く進んだと思うのだけれど」
「消防隊と軍、仲が悪い」
「あぁ……」
ガリーナの母はこれから龍を占拠しなければいけない。娘を人質に取った秋津軍が本当に親子の身の安全を保障するかは不明。
龍が死ぬと娘が悲しむ。
だから龍が生存する方法を見つける。
ベリカを交渉のテーブルに引きずり出せるか?
消防隊を味方に引き込めるか?
娘をどうやって救出するか?
考えることは山積みだ。
それでも時間は待ってくれず、占拠を実行する時間が近づく。
「怒ってる?」
「娘を人質に取ったこと?」
「うん」
「怒ってる」
「……ごめんなさい」
「あなたたちのおかげで龍の処分を知ることができたし、そこは感謝してる。でも、娘を巻き込んだことは絶対に許さない」
「……」
「けど、娘のことだから君が死ぬと悲しむと思う。だからね。罪の意識を感じてるなら生きてほしい」
少年は肯定も否定もしなかった。
「そろそろ時間ね」
「うん」
「始めるまえに名前教えてくれる?」
「タキ」
「名字は?」
「尾々切」
「尾々切タキね。私はデリカ、少しのあいだだけどよろしくね」
「うん」
ガリーナが逮捕されてから翌日。
夕日が落ちていくなか、龍の背中に建つ管制塔にいた消防士たちは目を疑った。なにかがぶつかる音が管制塔内に響き、音の方を見ると分厚いドアが内側に食い込んでいたのだ。
二度目のぶつかる音と共にドアが破られた。
ドアを蹴破って入ってくる少年兵。
少年兵のあとに続いてコートを着た赤髪の女性が入ってくる。ガリーナの母、デリカ=フルフレアだった。
娘を人質に取られてるとは思えないほど落ち着いており、少年兵の手を借りて室内に入ったデリカは優雅に会釈する。
そして、
「色々と気にくわないので、龍を占拠します」
こうして戦いの火蓋が切られた。




