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この作品には 〔ガールズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

魔法少女が異世界にやってきました!

怪物と出会った日

 普段なら静寂に包まれた森は、些細なきっかけでそれが破られることになる。


 たとえば、住んでいる狼が獲物を見つけたとか。

 獲物とは普段なら野ウサギやネズミ。狼は獰猛だから、自分より大きな鹿や猪なんかも狩る。

 あと、不用心にもひとりで森の奥まで入り込んだ人間とか。

 今回の場合は人間だった。


 二十歳になる娘、フローティア・ラトビアスは、金持ちの娘らしい上等な服を着ていた。狼がどこまで人間の特徴を把握できるかは知らないけど、行きずりの旅人を襲う盗賊なんかにとっては、格好の獲物に見えるだろう。


 ただしフローティアは魔法使いだった。


「エクスプロージョン」


 獰猛な鳴き声と共に飛びかかってきた狼に手のひらを向けて、微かに詠唱。次の瞬間、伸ばした手の近くで小規模な爆発が起こり、手に噛みつこうとしていた狼の頭を吹き飛ばした。


「ファイヤーアロー」


 他の狼が続けて迫ってくるのを見ながら、フローティアは臆することなく次の魔法を詠唱した。

 周りにいくつかの、燃える矢が作られる。それぞれが狼に真っ直ぐ飛んでいって、胴体を貫いた。


 森は、すぐに静寂を取り戻した。


「気持ち悪いわね。しかもこんなのを、生のまま食べるの?」


 頭部を失った狼の死体を見下ろしながら、フローティアはここにいない者への返事を期待しない問いかけをした。

 その口調は、蔑んだり嫌悪の心があるものではなかった。


 やがてフローティアは、狼の尻尾を掴むと引きずるように運ぶ。


「重い……」


 なんでこんなことをする羽目になったのか。狼を運びながら、フローティアは朝からの出来事を思い返していた。




 朝早く起きて、馬に乗って屋敷を出た。屋敷のある街をぐるりと囲む柵から出て、近くに広がる広大な森へと向かう。


 晩夏とはいえ日中はまだまだ暑いが、この時間帯なら不快感は随分ましだ。街の中では暑くても、森に行けば日光も遮られて幾分涼しく過ごすことができるだろう。

 両親は怒るだろうけど。嫁入り前の娘が勝手に街から出ることに、彼らはいい顔をしない。そういうことは縁談の話が来てから言えばいいものを。


 然るべき家に嫁に出すために、然るべき準備をしなきゃいけない。

 どこに出しても恥ずかしくない教養と愛嬌を身に着けろ。彼女がある年齢に達してからは、ずっとそう言われ続けていた。


 馬を駆るフローティアは、そんなうんざりするやり取りを厭って、家人より先に起きてこっそり街を出た。

 逃げ出すわけじゃない。家と故郷を出ても、行くあても生きる術もない。ただ今日一日を、つまらない小言と無縁にするための避難だ。

 夜に屋敷に帰れば、またお説教が待っているだけ。



 まったく、金持ちの家に生まれた娘の人生なんて、つまらないもの。特にこんな田舎町では。

 たとえラトビアス家のような、魔法使いの家に生まれたとしても同じことだ。遠く離れた大都会、王都とは縁の遠い一生を過ごすことになる。


 つまらない刺激のない日常を、なんとか変えたい。無理だとわかっているけど、その方法を探すしかなかった。



 森に行ったのは、そこに憩いの場があるから。

 数多くの狩人や冒険者が使う、森の奥まで続く一本の道から外れた場所にある小さな泉。

 多くの人々に踏みしめられた結果できた森の中の道が、フローティアには決められた人生を表しているように見えて嫌だった。だから外れて歩いてみた。

 そんな、家族から逃げることを繰り返していたフローティアが偶然に見つけた場所だった。


 澄んだ水をたたえた美しい泉に、他に人が来ているのを見たことはなかった。

 もしかすると、自分がいない時に来る人もいるのかもしれない。自分が生まれる前に、同じようにこの泉に癒やしを求めた者もいたかも。


 けど少なくとも今は、泉はフローティアだけの物だった。

 今日までは、だけど。



 泉に着いたフローティアは、ほとりに人が倒れているのを見た。

 よく見れば、人ではなかった。上半身は裸の、髪の長い女。綺麗な背中をこちらに向けて、うつ伏せで横たわっている。

 その女の下半身は、狼の集合体だった。


 六頭の狼が、互いに尻を突き合わせるように放射状に並んで円を作っていた。その合わさった尻があるはずの場所が、くっついている。

 その接合面から垂直に、女の上半身が生えているという形だ。さらに繋ぎ目からは、何本かの蛇のような細長いものが生えていた。腕の一種だろうか。


「え、なに。これは……」


 フローティアは自分の見ているものを信じられなかった。こんな生き物、本の中でも見たことはない。

 けど、現実に目の前にいた。


 どうしよう。街に戻って兵士に知らせる?

 それはない。街に戻れば、家族の小言に付き合わされることになる。自分だけの場所に、下品な兵隊が土足で踏み込んで、ここには大勢の人が訪れることになる。


 無視する? こんな、わけのわからない生き物を? 無理だ。


 嫌でも目に入る大きな下半身。上半身は華奢な印象なのに、狼の集合体でできた下半身が目立って仕方がない。これを無かったことにできるほど、フローティアは図太くはなかった。


「うう……」


 迷っているフローティアの前で、その何者かは僅かに身じろぎした。

 こいつは生きている。弱々しいけれど、まだ死んではいない。

 フローティアが放置すれば、やがて死ぬだろう。その方が面倒はない。それは間違いない。

 立ち去り、時間が経ってから戻って死体を埋めればいい。そうすれば、人知れず怪物は消えてフローティアの秘密の場所は元通り。


 だから今すぐ逃げるべき。ただでさえ、得体の知れない怪物と関わることは危険なのに。


 けど、向こうの方が動きが早かった。フローティアの気配を感じていたのだろうか。瞬時に顔を上げ、フローティアと目が合った。


 背中から受けた印象そのままの、美人だった。

 かなり弱っているのか、その表情に覇気があるとは言えなかった。それでも目だけは、狼のように獰猛に輝いていた。


 意志のこもった目だった。彼女の境遇は知らないが、とても危機的状況にあるのだと思う。その中にあって、彼女は自分を貫こうとしていた。

 生存を諦めず、誇りを捨てようとも思わず、戦う者の目だった。


「っ!」


 その目に、見惚れた。自分の境遇を重ね合わせた。それを打ち砕く力が、フローティアにはない。けれど目の前の怪物にはあった。

 その意志に惚れてしまった。


「あ、ああ……食わせて……!」


 怪物は、腕に力を入れてフローティアの方へにじりよって来る。

 食わせろ。彼女は空腹なのか。それで力尽きかけていたのか。


「お昼に持ってきたパンならあるわ。食べる?」

「いらない! わたしは、人間しか食べない!」

「人間……あなた、人間を食らうの?」

「そうだ、食わせて……狼でも、いい……連れてきて……」


 怪物は、目の前の女を仕留めて食らうのは無理だと悟ったらしい。フローティアにそう願った。


 他者に謙ることを良しとしない意志を持っている怪物が、出会ったばかりのフローティアには願いを口にした。

 その理由がなんとなく理解できたために、フローティアは迷わず森の奥まで行き、野生の狼を仕留めることになったのだ。




「うまい……うまい! これよ。この味よ!」


 フローティアが持ってきた狼を見るや、怪物は飛びかかるようにそれを奪い、豪快に食べ始めた。

 豊かな乳房がその拍子に揺れて、フローティアの視界に入ったが気にする様子もない。

 首がふっ飛ばされた断面にかじりつき、肉を口ちぎって血を飲む。

 口の周りが汚れることも厭わず、空っぽだった腹が満たされるまで食べ続けた。


 そしてようやく、フローティアに目を向ける。真っ赤な口周りを、腕でぬぐった。


「ありがとう。助かったわ」

「どういたしまして。それで……あなたのこと、教えてくれるかしら」


 目の前の、強く美しい怪物について、フローティアは何も知らなかった。ただ、会話することは可能だった。


 怪物は下半身の狼の足をそれぞれ曲げて、姿勢を低くする。これが、彼女にとっての座る姿勢らしい。立ち上がっても座っていても、フローティアよりも視線は上のようだった。

 フローティアも対面するように座る。それを見て、怪物は口を開いた。


「わたしのこと、ね。……わからないわ。気づいた時には、ここにいたの。それから何日も、ここで過ごした」

「どういうことよ。気づいた時にはって」

「そのままの意味。ここにいる前の記憶はない。自分が何者かもわからない。ただ、言葉を操ることができて、何を食べられるかを知っているだけ。人間と狼だけしか、わたしの体は受け付けない」


 そんな奇妙な生き物がいるものか。いや、目の前に確かにいるのだけど。

 外見からして奇妙なのだから、生態も相応におかしなものだと考えた方がいい。実際に彼女が話す自身の性質も、信じられないようなものばかり。


 最も信じられない性質は、何もないところから狼を作り出せるというもの。

 これを彼女自身が食料とすることはできないけど、尖兵として使役することができる。大量に作ることもできるけど、体力を消耗するから限界がある。


 彼女は実際に、一頭だけ狼を作った。

 耳が片方しかなかった。作った狼は、必ず体のどこかに奇形ができてしまうらしい。


 本当に、常識ではありえない生物。けど、確かにここにいる。そして重要なことに、彼女と会話することができた。


 助け合えるし、既に一度助けている。友になれる。やり方によっては敵にもなる。


「ねえ。今度はあなたのこと、教えてくれないかしら」


 怪物はフローティアの方に興味を持った。

 彼女にとって人間は特異な、珍しいものではない。自分と人間が異質なことは知っているが、自分の方が異質側であり、人間が普通だと自覚している。


 しかも彼女にとって人間は餌。それ以上に興味があるものじゃない。だからこの質問は、彼女がフローティア自身に興味があって尋ねている。それが、フローティアにはなにより嬉しかった。


 だから、自分の恥とさえ言える境遇を話した。家のこと、両親のこと、自分の将来のこと。

 それら全てを、どうにか跳ね除けようとしていること。


「あなた、わたしと一緒なのね」


 怪物はクスクスと笑いながら言う。

 そう。なぜ怪物が、こちらに頭を下げて狼を持ってくることを願ったのか。なぜフローティアがそれを素直に聞いたのか。

 その理由がこれだ。ふたりは、同じ。


「自分が不幸なことを知っていて、それに抗っている。わたしは、自分の特殊な体について。あなたは産まれについて。ねえ、もう少し教えて? あなたの障害はなに?」

「わたしが……家の初めての子ならそれで良かった。弟がいたとしても、それを無視して家督を継げたかも。けど、わたしには兄がいる」


 女だから家の当主になれないわけではない。嫡男がいれば別としても、女の身で家の代表になる例はいくつもある。


 けどラトビアス家には、第一子として男がいた。ガイバートという男だ。

 あと、ギルバートという弟もいるけど。こいつに関しては特に考える必要はない。魔法家に生まれながら、魔法を使えない異常者だし。


「なるほどね。ガイバートさえいなくなれば、あなたは家督を継げる。田舎町とはいえ、それなりのお金を持っているそれなりの格の家の長になれる」


 裸の怪物は、ゆっくりとフローティアの方に近づきながら、微笑みかけた。


「いいじゃない。助けたくれたお礼よ。あなたの望み、叶えてあげるわ」


 そして怪物は、フローティアの体を抱きしめた。

 怪物の豊かな胸が、フローティアの顔に押し付けられる。柔らかかった。母に抱きしめられるより、ずっと心地よかった。


 この怪物は自分と同じ。そしてふたりなら、状況を打開できる術を持っている。

 ふたりなら、なんでもできる。そんな気がした。




 その日の夜は、とても心地よかった。いつものように姿を消したことに対する両親の小言も、気にならなかった。




「そういえば、あなたはなんて名前なの?」


 翌日。両親の監視を見事に抜け出して森にやってきたフローティアは、大切なことを知らなかったと怪物に尋ねた。

 昨日みたいに向き合って話すのではない。共に泉の方を見ながら、ふたり寄り添うあうように座った。

 裸の彼女の体温が、フローティアにも伝わってくる。

 怪物。あなた。そんな呼び方では、大切な共を呼称するには失礼だ。けど、彼女は困った顔を見せた。


「わからないの。わたしはわたし。自分をどう呼ぶかの言葉って、そう言えばなにもなかった」

「なるほど……」


 自分の性質は理解しつつ、それが何なのかを知らない。この怪物は、そういうものらしい。


「いい名前はない? あなたがつけてくれるなら、なんでもいいわ」

「だったら……」


 フローティアは、自分の知識を総動員して考えた。あまり彼女を待たせるわけにはいかない。早く結論を出さないと。

 その結果。


「……ごめなさい」


 自分には、彼女のような素敵な存在に相応しい名前について、語彙がなかったことを認めないといけなかった。

 田舎娘の貧弱な知識で、この驚異の生き物の名付けをすることはできない。したくない。

 それを、素直に伝えるしかなかった。


 怪物は、そんなフローティアを見て笑みを見せた。優しい、慈悲深い笑みだった。


「なるほどね。あなた、普段からそんなに素直な子なのかしら」

「……どう、かな。家族の前ではそうかも。そうじゃなきゃ駄目だから」

「家族の前では、ね。それって、フローティアの本性は違うって言いたいのよね」

「あ……」

「フローティアはわたしの前では、本当に素直な姿を見せてくれる。家族に見せるまやかしの素直さじゃなくて、ね」


 そして怪物は、フローティアの顔に自らの顔を近づけた。フローティアも逃げようとしなかった。


 ふたりの唇が重なる。読んできた本の中で、こういうのは素敵な男性とやるものだと学んだ。けど、フローティアの初めては違った。相手は人間じゃないけど、間違いなく女だ。

 嫌な気は全くしなかった。


 口づけは、幸せな時間はあまり長い時間は続かなかった。


「素直ね、フローティアは」

「……ええ」


 名残惜しさを感じながら、フローティアはそれだけ言った。それ以上の返事をする代わりにに、彼女の体にもたれかかった。


「いいわ。いい名前を思いつくか見つけるまで、わたしのことは怪物って呼んで。それがあなたの誠意だと、よくわかっているから」




 翌日。フローティアは屋敷から何着か服を持ってきた。

 馬に自分が乗って、その上で別に荷物として運べる量には限りがある。だから数は揃えられない。けど必要なものだ。彼女に、ずっと裸のまま過ごさせるわけにはいかない。


 怪物はフローティアよりスタイルが良く、胸も大きい。フローティアのお古がサイズが合うというわけではないが、無いよりはずっといい。


「フローティアが着てたものなのね」

「ええ。嫌だった?」

「いいえ。嬉しいわ。あなたの温もりを感じられるもの」

「洗濯はしてるから、それはないと思うけど」

「気持ちの問題よ」


 この怪物が、そんな詩的な感情を理解できて、それを素直にフローティアに伝えてくれることが幸せだった。


「食事と衣服が揃ったら、あとは住処が必要ね」


 いつの間にか、フローティアは目の前の怪物を養うことに決めていた。怪物の方もそれに従っている。


 とはいえ、住処を用意するのは難しい。ふたりの力で、この泉の周りに家を建てるなんて、簡単にできることじゃない。

 たとえ魔法があってもだ。


 今、怪物は大きな木の下で野宿の毎日。ここ数日雨は降ってないが、降れば辛い思いをすることになる。

 大きめの木のウロを掘って、空洞を作るのが最も現実的なやり方だろうか。他になにかあるとすれば。


「わたしの屋敷に住まない?」

「そんなこと、できるかしら」

「できないかもね。使われてない倉庫に住むとかさせないと。家族に見つかったらまずいから」

「倉庫は嫌ね。……あなたと一緒にいられるなら、少しくらいは我慢するけど。でも、あなたの家族を納得させるのは無理でしょうね」


 偏屈な両親と傲慢な兄。弟は取るに足らない存在だけど、怪物の存在を許容はしないだろう。

 この街で、彼女の存在を受け入れられるのは自分だけ。その事実に、フローティアには自然と笑みが浮かぶ。


「そもそも、街にあなたを入れる方法がないわよね」


 ふたりで大きめの木を掘って空洞を作ろうとしたけれど、怪物はそれには及ばないと言った。

 配下の狼をいくつも作り出し、それらに木の幹を齧らせて穴を掘る。


 そして本人は、フローティアに寄り添うようにしながら両腕を体に回して抱きついた。

 フローティアは自然と、怪物の下半身を構成している狼の一匹の上に座ることになる。なかなか良い座り心地だ。

 木の幹を掘り返すなんて、面倒で泥臭い作業をするよりは、こっちの方が随分といい。彼女の温かさを感じられるし。


 それで、彼女を街に入れる方法だっけ。


「体を隠すのは無理があるわね。この狼さんは目立ちすぎるわ。なにか大きな箱とか……馬車の荷台とかに隠れて入れるしかないわね」

「どうしてわたしのこと、街に入れたがるの? ここで会うのは嫌?」

「嫌じゃないわ。けど、毎日街の外に出るのは、両親も兄もいい顔をしない。会えない日があるのは嫌。そんな日を無くすことはできなくても、減らしたい」

「なるほどね」

「それに、弟が最近森の中に入っているのよ。こことは違う場所で、剣術の訓練。……くだらないこと。外聞のために、応援している優しい姉を演じなきゃいけないのが、辛いわ」


 兄も両親も、そんな弟を雑に扱っているのに。嫁入り前の娘はお淑やかな態度でなければいけない。彼らはそう、フローティアに強いていた。

 本当に、くだらない考え方。


「この場所を知らないはずだけど、誰かに見られたくないから。同じ見つかる危険があるなら、わたしの近くの方がいいわ」

「そう。あなたは本当に、わたしのことを考えているのね。偉いわ。それに、理解のない家族に押さえつけられて、かわいそうに……」


 怪物は、フローティアの頭を胸に乗せて優しく撫でた。

 こんなこと、母にもされた覚えはない。そして、とても幸せな気分になった。


「あなたを屋敷に呼び寄せて、家族を皆殺しにできればいいのに。なにか理由をつけてみんな死んだってことにすれば、わたしが家督を継げる」

「そんなこと、できるかしら」

「魔法使いを殺すのは難しいわ。けど、あなたならできる。屋敷みたいな狭い場所に狼を大量に放って逃げ場を奪いながら、隙を作って襲いかかる」

「ふふっ。それに、あなたも魔法使いだものね。家族なら隙も作れるもの。ふたりが協力すれば、四人程度は殺せるわね」

「三人よ。弟はものの数に入らないから」


 けど、ふたりが協力すれば、か。なんて素敵な響き。


 肝心の、屋敷まで街の人間に見られることなく彼女を運び入れる方法については。


「商人にお願いするしかないわね。わたしたちだけの秘密を他人に教えるのは癪だけど、口の堅い商人なら言うことを聞いてくれるわ」

「それ、信頼できるのかしら」

「ええ。商人は、顧客に必要なものを持ってくるのが仕事だから。わたしが自由に動かせるお金でできる範囲で、なんとかできないか相談してみるわ」


 商人のあてならふたつあった。

 ひとつは、家が使っている御用商人。もうひとつは、幼馴染の家だ。これも商人の家系で、新しい客を常に求めている。

 ラトビアス家としてではなくても、フローティア本人を顧客として迎えることを拒まないはずだ。扱う商品に癖がありすぎることに、難色は示すかもしれないけど。


「幼馴染?」


 怪物は、そこに興味を持ったらしい。


「ええ、同い年の女の子」

「へえ……どんな子?」

「そうね、美人よ。お金持ちとしてのお淑やかさには欠けるけどね。あと、胸が大きかった。今は、もっと成長してるかも」

「わたしより?」


 怪物は、僅かに背中を逸して己の胸を強調しながら尋ねた。


 わかっているとも。彼女が、一瞬前まで存在を知りもしなかった人間に嫉妬していることを。

 フローティアは理解しながら、わざと迷う素振りを見せた。


「どうかしら」

「あんっ」


 フローティアが怪物の胸に両手を伸ばして掴む。なんとも可愛らしい声が、怪物の美しい口から漏れた。


「リーンの胸を、こんなふうに触ったことないから、単純に比較はできないけどね」

「んっ。だったら、なんでわたしのを触るのかし、ら。あっ。そんなこと、しても」

「触りたいって思ったからよ」

「もう。フローティアってば。お返しよ」

「ひゃっ!?」


 怪物の両手もまた、フローティアの双丘に伸びた。そのまましばらく、ふたりは飽きることもなくふざけ続け、疲れたら抱き合うように地面に倒れ込んだ。




「同盟?」

「ええ。どうやら、この世界には、あなたみたいな存在は大勢いるらしいの。ヘテロヴィトって言って、人と何かの生き物が混ざった姿をしている。そんな生き物を支援する組織らしいわ」


 数日後、フローティアは早速家に来ていた御用商人に極秘に相談をした。すると、極秘の情報をもたらしてきた。

 ヘテロヴィトなる生き物と、それを使ってお金儲けをしている同盟という秘密結社について。

 その商人もまた、同盟の人員だという。



 人と別の生き物が合わさった姿。食料にできるのも、人かその生物だけ。奇形の尖兵を作り出せるのも特徴。

 間違いなかった。


「なるほどね。わたしにも、仲間がいたなんて」

「商人によれば、ここではない同盟の本部に行けば仲間に会えるって。王都の北にある街の、ここみたいな森の中に本部はあるそうよ。行ってみたい?」

「王都って遠いのよね?」

「ええ。気軽に行ける距離じゃないわ」

「そして、同盟とやらはわたしを手放そうとしない。支援とは言ってるけど、わたしたちでお金儲けをしてるよのよね?」

「ええ。あと、ヘテロヴィトの研究も。金儲けか研究の、どちらかよ」


 話をした商人も同盟の人間で、彼は金儲けをしている。この森に、もうひとつヘテロヴィトが潜んでいるらしい。

 ここよりもずっと奥にいるそれは、馬の体から人間の男の上半身が生えているという。


「どっちでいいわ。同盟の目的が、研究でも金儲けでもね。わたしはフローティアと離れるのが嫌。それだけよ」

「ああっ」


 その気持ちのこもった言い方に、フローティアは思わず怪物に抱きついてしまう。それから、どちらからと言うわけでもなく、唇を重ね合わせた。



 その商人の提案だけど、すぐに本部に行けというだけではなかった。

 フローティアを同盟の一員として、この森でヘテロヴィトを養い続ける。そして将来的に、フローティアが家を継ぐように仕向ける。


 フローティア自身は、ヘテロヴィトを使った金儲けに興味はなかった。金儲けがしたいのは同盟だ。

 だからフローティアが家の金を自由に使えるようになって、同盟に定期的な送金をする形で貢献をしてくれれば、それでいい。

 フローティアが同盟を支援する動機として彼女が必要なら、同盟にとっては十分にヘテロヴィトが金儲けに活用されていると見なせる。


 彼女を街に入れて家族を謀殺する。そんな計画の実行にも一歩近づいた。

 気がかりなことがあるとすれば。


「仲間に会ってみたいと思わないの?」


 同じヘテロヴィトに囲まれて過ごす道も、彼女にはあるのだけど。

 ふと思って、フローティアは彼女に尋ねた。彼女足、下半身を構成する狼の背中のひとつに頭を預けながら。

 これも、一種の膝枕なのかしら。


「思わないわ。全くね。例の商人の話じゃ、この森にも馬だけど、仲間がいるって話じゃない? それも興味がないわ」

「どうして?」

「フローティアとの時以上に、刺激的な出会いになるとは思わなくて。それに、あなたと離れるのが嫌だから」

「……わたしは幸せ者ね」

「お互い様よ。わたしはね、フローティアと一緒に街で過ごすのが夢なの。王都がなによ。興味ないわ」


 怪物は、きっぱりと言い切った。それから、すぐに続ける。


「フローティアの夢はなに?」

「わたしの夢? 兄を殺してラトビアス家の家督を継いで……どうしようかしら」

「成し遂げたいことはない?」

「あなたと暮らす以外に?」

「ええ。それも立派だと思うし嬉しいけど」

「そうね。……わたしは、楽園を作りたいわ」

「楽園?」

「あなたを受け入れてくれる女の子を大勢屋敷に住ませるの。みんなかわいい子がいいわね。そして、わたしたちの世話をさせる」

「なるほど。それは楽園ね。……あなたの幼馴染ちゃんも、そこに加わるのかしら」

「リーンのこと? 嫉妬してる?」


 彼女は、幼馴染については深く聞こうとする。その気持ちは、よくわかるとも。


「ええ。ちょっとね。わたしよりもずっと前に、フローティアと知り合った人間。フローティアと仲のいい人間。それに、あなたって女の子なら誰だって好きになる種類の人間でしょ?」


 クスクスと笑いながら言う彼女の口調からは、それを非難しているわけではないと読み取れた。

 好いた女の、少し困った性質を受け入れてくれている。


「誰でもではないわ。気に入った子だけよ。リーンはとびきりの美人。あなたほどじゃないけどね。それに、世の中にどれだけ女がいようと、一番はあなたよ」

「ふふっ。嬉しいこと言ってくれるのね」


 そして彼女は、またフローティアの頭を撫でた。



 件の商人の他に、同盟の人員とされる男が接触してきた。まずはフローティアと、それから怪物にも。

 彼女を男と対面させることに、フローティアはあまり気が進まなかった。なんとも芝居めいた、大げさな話し方をする男だ。

 元は王都で研究者をしていたらしいがヘテロヴィトの魅力に取り憑かれて同盟にはいったらしい。

 つまり、研究対象として見ているわけだ。汚らわしい。


 関わりたくない相手けど、この子との幸せな未来を築くためには同盟との関わりは必須。

 家を乗っ取るという、フローティアの計画にも了承してくれたし。


 それからもうひとつ、同盟の重要な秘密を教えてくれた。


「異世界に行ける穴?」

「ええ。この薬品を地面にぶつければ、穴ができるそうよ。人が大勢いて、技術が進んだ世界。もしこの世界で誰かに見つかりそうになったら、一時的な逃げ場にも使える。あとは、食料を得るためにも」

「なるほどね。向こうには人間が大勢いるのね。しかも、向こうの誰かが食われていなくなった人間を探そうにも、わたしはこっちに逃げているから捕まらない」


 彼女は、穴を使う意味を即座に理解してくれた。賢い子。


「じゃあ、今度ふたりで行かない?」

「すごく行きたいわ。けど、穴を使えるのはヘテロヴィトだけなんだって。人間は、誰ひとりとして戻った者はいなかった」

「そう。じゃあわたしも、向こうにはいかない」


 拗ねたような口調で、彼女はそう言った。

 可愛らしい顔だ。けど、そんな彼女にフローティアは優しくなだめるような声をかける。


「行ってきて。向こうがどんな世界だったか、教えてちょうだい。わたしも、家族のせいで森に何日も行けない日はあるから。その期間を狙って、ね?」

「そう……わかったわ」


 彼女はフローティアの体をぎゅっと抱きしめた。




「すごいわよ。石と鉄でできた……何十階もある建物がいくつもあるの。それに人も大勢。鉄の箱が人を乗せて走っていて、馬なんて誰も使ってないわ。道路も、石畳よりもずっと綺麗に舗装されているの。しかも街中、どこもよ。土の地面なんてほとんどない」


 数日後、彼女は異世界に行って、帰ってきた。そして約束通り、見てきたものを語った。

 興奮気味にしばらく喋り続けた彼女は、しかしふと寂しそうな顔を見せる。


「けど、あの世界にフローティアはいないわ。だから色あせて見えた」

「そう。……ええ、そうよね。わたしだって、あなたがいない世界はつまらないわ」


 ふたり、見つめ合って笑う。

 向こうの世界もさぞかし魅力的だろう。もし、フローティアにも穴を超えることができたなら、向こうでふたりで生きるのもありかもしれないけど。



 彼女は気乗りしないながらも、向こうの世界には何度か行った。


 人を食うためだ。狼よりも人間の方が、彼女の口に合うらしい。そしてこの世界で人間を食べるには、森から出ないといけない。

 森に入る人間もいるだろう。フローティアの弟みたいに。けど、彼らは街の人間。あまり食って行方不明にしてしまえば、やがて騒ぎになる。

 弟のような取るに足らない人間にも、知り合いはいるようだし。だから、知らない世界の知らない人間を食べてもらおう。

 騒ぐのは、こちらの存在を知らない向こうの世界の人間だ。勝手に混乱してなさい。


「そういえば、この前食べた男の子が、変なことを口走ってたわ」

「変なこと?」

「ええ。父親とふたりでいた、子供だったんだけどね。わたしの姿を見て、スキュラって言ったの」

「……スキュラ?」

「ええ。スキュラ。なんのことかは知らないわ。もしかしたら向こうの世界にも、わたしに似た生き物がいるのかもね」


 なるほど。スキュラ。スキュラか。


「ふふっ。その男の子、自分が食い殺されるってなった時、なんて言ったと思う? お姉ちゃん、だって。そこにいない姉に助けを求める、なんてね」

「いい名前じゃない。スキュラ」

「え?」

「わたしの知識の中に、あなたにつけるに相応しい名前はなかったわ。けど、今知った。スキュラ。優雅で美しくて、神秘的で。いい名前じゃない」

「本当? 本当に、そう思っている?」

「ええ、本当よ」

「じゃあ、決まり。わたしの名前は今日からスキュラ。そう呼んでちょうだい」


 彼女は、スキュラは本気で喜んでいるようだった。それから。


「わたしも、ティアって」

「え?」

「特別な名前ができたのだもの。わたしだってあなたのこと、ティアって呼びたい。親しい人にはそう呼ばせてるのでしょ?」

「ええ、そうよ。……呼んで。もっと呼んで」

「ティア! ティア!」


 そしてスキュラは、勢い余ってフローティアの体を押し倒した。少し重い。けど、気持ちよかった。

 この重さはスキュラの強さ。彼女がいれば、なんだってできる。家族も殺せるし、家を乗っ取ることもできる。



 わたしたちなら、勝てる。フローティアの頭には、明るい未来しか浮かばなかった。

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