インダス文明と玉国くん
「なぁ、玉国。インダス文明って知ってるか?」
なぜ俺がそれを知らないと思ったのか、なぜ仲良くもない俺にそれを話しかけて来たのか、それはわからないが、席に座って予習をしていた俺の横に突然立つと、そいつはそんなことを聞いて来た。
俺は答えた。
「なぜ俺がそれを知らないと思うのか? そしてなぜ仲良いわけでもない俺に聞く?」
「俺は知らなかったから、びっくりしちゃったんだ」
工口徹は首を勢いよく振って、油ぎった前髪が目にかかりそうになるのをどけると、嫌らしい笑みを浮かべた。
「すげーよな。インダス文明……。そんなことが普通に許される文明があったなんて。俺もそこへ行きたい」
だからなぜ俺に話しかけるんだ。あっちへ行け。
俺の名前は玉国光。よく苗字を一瞬『王国』と見間違えられるので、君がもしそう見えたとしても恥ずかしがることはない。
名前に反して俺はとても普通な高校二年生だ。おかしな話を親しくもないやつから突然振られたり、同級生の忍者から夜這いのレクチャーを受けたりするような、そんなやつではない。
「玉国。インダスというのは中に出すということだ」
工口は目をギラつかせてそう言った。
「俺と一緒に受け継ごうぜ、インダス文明」
「お前は何か著しい勘違いをしている」
俺は親切に、言ってやった。
「インダスというのは、何をかは知らんが、中に出すという意味ではない」
「ハァ? お前、ふざけんなよ?」
工口がキレた。
俺はコイツのことを何も知らないのだが、どうやら沸点のとても低いやつのようだ。
「俺はこの世にインダス・ハーレムの王国を作りたいんだ! そのためにお前の力が絶対に必要なんだ!」
あぁ。俺の名前が『王国』に見えるからか、そのせいか。なんか納得した。
「主に2次元の可愛くてエロい女の子をたくさん集めて、インダスの王国を作るんだ! お前も興味あるだろう!?」
もういやだ。俺のクラスはなんでこんな変態ばっかりなんだ。
「なぁ、エロ……」
「エロって呼ぶな! 工口だ!」
必死の顔つきがキモ怖い。
「青春は脂っこい。だからお前の気持ちもわからんでもない」
「『油っこい』はNGワードだからやめてくれ!」
そう言って工口はとても油っこい前髪を掻き上げた。
「しかしな」
俺は親切に教えてやった。
「誰でも知ってることだが、インダス文明というのはエロいこととはそれほど関係はない」
「なんだと!?」
悔しそうに唾を飛ばしてくる。
「それは古代にインドのへんで栄えた文明で……お前も聞いたことぐらいあるだろう、現役の学生なんだし?」
「聞いたことがあったらこんなに興奮してねーよ!」
顔を真っ赤にして怒る。
「初めてだったから、こんなにワクワクしながらもその裏にはちょっと怖い気持ちもあったりするんだよ!」
「未知のものは怖いよな」
「ああ! 怖い! でもドキドキするんだ!」
「知ってしまえばその怖さも薄れるものだ」
「だから知りてーんだよ、俺は! インダス文明のすべてをよ!」
「モヘンジョ・ダロ」
俺は唐突に言ってやった。
「何っ!?」
工口が後退る。
「ハラッパー遺跡」
「ええええっ!?」
愕然とした顔つきで工口が転びかけた。
「それがインダス文明だ」
「い……、いやだ」
真実を知ってしまった工口は、拒絶反応で髪を逆立てながら、わなわなと震え出した。その口がなんか『モジャモジャは嫌だ』とか『原っぱは嫌いだ』とか動いてる。
「俺はパイパンが好きなんだーーー!!」
一声そう叫ぶと踵を返し、工口は全速力で逃げ出した。それ以来、卒業まで俺と言葉をかわすことは、もう、なかった。
……ということになればよかったのに、次の日の昼休み、俺が一人で弁当を食べていると、再び工口がやって来て、こう言ったのだった。
「インカ帝国を作ったマンコ・カパックって、知ってるか? いや、これ、人名だからな? 俺は規約に引っかかることなんて言ってないぜ? しかも知ってるか? 彼の妻の名前はママ・オクリョって言って、マンコの姉妹にもあたるんだ。つまりマンコのママでありママのマンコという関係だ。わかるか? 玉国……、一緒に行こうぜ! そこへ!」
俺は突っ込んだ。
「どこへだよ」