094 冬至祭 クロードが死ぬ前日
「ルビーが冒険者登録できたのは不思議だったが、あいつの油断を誘うためだったか」
リルの話で以前からあった疑念の一つが解消される。俺が冒険者登録できなかったのは邪教徒絡みだろうが、ルビーもまた奴隷商人の横やりで登録できない可能性は常にあった。リルが変に思って調べなければ今頃ルビーとシーナは仲良く性奴隷になっていたはずだ。
「しかし奴隷落ち申請書の署名を偽造するとは悪辣な手だ」
この手の申請書は偽造防止のために一枚の羊皮紙に魔法で模様を描く。そしてその羊皮紙を半分に切り、甲が片方を持ち、乙がもう片方を持つ。ただし奴隷の場合は奴隷本人では無く奴隷の主人が乙を持つ。そしてルビーが奴隷になるのならその申請書には院長、奴隷商人、そしてルビーの三名が署名する必要がある。ルビーは筆跡が違うと抗議しただろうが、ここは奴隷商人の方が一枚上手だった。ルビーの冒険者登録申請書の筆跡を専門家に真似させて書かせたらしい。リルですら「偽物と知らなければ見抜けなかった」と言うくらいだ。
「裁判になったら負けるだろうな」
「たぶんゴホッ」
ルビーが冒険者生活に慣れた頃を見計らって衛兵が逃亡奴隷としてルビーを捕縛する流れが手に取るようにわかる。ルビーは抗議するだろうが、署名と首輪の一つでもアウトなのに二つがあれば勝ち目はゼロだ。孤児と二級市民二人が対立すれば二級市民が一方的に勝つ。「裁判官の時間を無駄にした」として孤児がむち打ちの刑に処せられても不思議ではない。俺からすると一切の法に守られない流民の方が身分制度の最底辺より生きやすい。無論『プロトブレイバー』のスキルが無ければ最速で流民街のジャンキーの仲間入りをしていたのは間違いない。
「で、気になってあの日は冒険者ギルドに居なかったのか」
「ゲホッ間違いならそれだけ」
ルビー達は院長を信用していない。院長を信じていた孤児なんて一人もいない。冒険者になれば院長との縁が完全に切れる。喜び勇んで登録して二度と孤児院に帰らないのが普通だ。院長が何かを仕掛けるのならルビーが登録する日だと思い、リルは急に体調が悪化したとして別行動を取った。
「そこで来客準備をしていた院長を陰から見ていたか」
「いつものように院長室から」
いつも、と言う部分に多少恐怖を感じる。リルは咳さえなければ俺に気付かれず四六時中俺をストーキング出来る。そんな事にはならないから杞憂のはずだ。
院長はいつもの隠し戸棚では無く、いつの間にか追加していた床下の隠し戸から施錠された上等そうな箱を取り出した。丁度その時に来客が会って、院長が部屋を出た。孤児を全員外に出したため、孤児院には院長しかおらず、玄関先での対応まで院長がやるしかなかった。リルの見立てでは「慣れた所作」だったのでこういう風に取引相手と密会していたのだろう。
「その隙に鍵開けから書類強奪とは恐れ入った」
「ゴホッゴホッ……得意!」
自信満々に言われては困る。病気が無ければ盗賊ギルドがスカウトしていたと言う噂は本当だな。リルの読み書きはお世辞にも良いとは言えない。それでも「奴隷」の単語とルビーとシーナの署名くらいは瞬時に分かる。奪わなかった他の書類が気になるが、時間が無かったリルでは読むことは無理だ。それに全部消えていたら盗まれたと露見する。2枚だけ無いのなら院長が無くしたか取引相手を裏切ったとしか思われない。そこら辺の心理状態を自然に理解できるリルは末恐ろしい。
「当然口論になったと」
「ゲホッ」
咳をしながら頷くリル。院長と取引相手はかなり激しい口論をしたため、リルが同じ部屋に隠れて咳き込んだ事にすら気付かなかったらしい。院長の余りの慌てぶりが可笑しかったとリルが言っていたが、俺には何となくその理由が分かる。これまで首輪の効果で院長だけは孤児の被害にあっていなかった。だから今回も必要以上に警戒しなかった。だが人間用の首輪は生粋のダークエルフには効き目が悪かったみたいだ。俺とルビーも多少の抵抗は出来たが、ほぼ完全に無効化出来ていたのはリルだけだ。
リルが後日調べた所によるとこの男はラディアンド最大の奴隷商であるキャスパー商会の第三番頭と判明した。奴隷落ち申請書にキャスパーの署名があったので、そこから調査したら一発だった。
困ったな。ルビーに奴隷を買って来て貰う計画がとん挫した。ルビーが奴隷商人を訪ねるのは鴨が葱を背負って来る様なものだ。メアとミリスは貫禄が足りないし、リルはダークエルフと言う事で門前払いだ。
「しかし奴隷商の男が去った後も院長は生きていたか」
「逃げ時……ゴホッ……失った」
そして次に来たのが俺を捕縛した衛兵だ。俺の冒険者登録が漏れたのはこの衛兵の差し金らしい。衛兵がそこまで影響力を行使出来ないからもっと上の奴が居るのか、冒険者ギルドに仲間が居るのか。予定通りなのを確認した衛兵が院長に褒美の銀貨袋を渡すと見せかけて、一気に腹を貫いた。その後は隣部屋で俺の帰りを待った。それからはクロードが体験した通りだ。
「道理で裁判が酷かったわけだ」
「……」
「気にするな。衛兵が殺人犯なら首輪付きが何を言っても無駄だ」
リルの頭を撫でながら言う。孤児時代はほとんど背の高さに違いは無かったのに、いつの間にかここまで差が出来てしまった。
「それでも……ゴホッ……ク……アッシュを犠牲に助かったのは変わらない」
変な所で義理堅いのはダークエルフの特性だとルルブに書いてあった。幼少以外は孤児院で育ったリルがそこまで種族の特性に引っ張られるだろうか? だが俺やマックスみたいに血筋で遺伝する何かがあると考えればあり得るか。
俺は必死に考える。あの裁判でリルが「真実は違う」と宣言しても無視される。ルビーに首輪が無ければどうにかなったかと思案するが、何も出来ずにルビーが一方的に損をするだけだ。キャスパー商会はこれを奇貨として裁判所の力を使ってルビーを奴隷落ちさせたはずだ。「虚偽の証言」辺りを主張すれば通るはず。シーナが懇意にしていると言う司祭は……分からない。シーナが『光魔法』を得られなかった元凶だから善人ではあるまい。そして宗教家として真っ当なら裁判に口は出さない。
「許すからこれ以上謝るな」
苦渋の決断だ。砂が歯に挟まった感じと言えば良いか? クロードしか許せない事柄を俺が代理で許すのは俺に多大なストレスを与える。だがリルの説明を聞いたらクロードは許したはずだ。頭を撫でずに一撃本気でぶん殴りそうなのが唯一の違いだ。
「殴らない?」
「殴らん!」
リルもそう思ったらしい。クロード、リルは意外と君の事を良く見ていた様だぞ?
次はどう動こうか迷っているとリルが突然俺の前で片膝を付く。
「クロードの死の責任は命で償います。死が我らを別つ時まで主君に忠誠を誓います」
余りにも予想外な言葉がリルの口から飛び出し、俺はしばし放心する。
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