089 ヘンリー視点 アッシュとクロード
今回でヘンリー視点を終わらせるためにいつもより少し長いです。
明日が最後の別視点です。
「偽名なのは予想通りだ。で、名前は分かったか?」
カーツは特に驚きません。傭兵なら偽名の一つや二つは常に名乗れるそうです。私が知っている「カーツ」ですら偽名かもしれません。
「候補は3人居たっち」
15歳前後の孤児。殿下がゴブリンに囚われる数日前から当日までに処刑された男性。該当しそうな人物が3人も居るのは多いのか少ないのか。
「本命を言えよ」
「状況が完璧に合致するのはクロードって言う孤児っち」
ダニクは自信が無さそうに言います。状況が完璧なら彼で決まりでしょう。
「クロードですか。少し頭が痛いですね」
殿下に何と言えば良いか。殿下、そして王家が抱えている問題に関係する人物と遊歴中に出会うとは天の大精霊の祝福でしょうか? ですが気を付けないといけません。大精霊は大精霊の都合を優先します。その行動に王家の幸せは勘案しません。王位継承が絶望的な殿下の個人的な都合なんて見向きもしないでしょう。
「そいつで当たりなのか? 二人は何か知っているのか?」
俺が頷くのを見て、ラルフが軽く礼をして話し出す。
「では私が説明を。クロードが偽名で無いのなら彼はゲイルリーフ男爵家の正統後継者になります。ただし彼はとある準男爵家の養子となる手続きが取られており、その場合は準男爵家の当主と言う事になります」
「準男爵? それは知りませんでした」
「非常に珍しい事態です。王政府の方で手続きは終わっていますが、寄親の伯爵からの返事が8年経っても来ていません」
「それは異常事態と言うのではないですか?」
「寄子を王政府直轄にするのですから、寄親には異議を申し立てる権利があります。寄親の後継予定者と養子縁組すれば王家は伝統的に引き下がります」
ユーグリン王国は階層型の貴族制度を持っている関係で、誰が誰の寄子なのかは非常に重要になってきます。大抵の伯爵以上なら叙爵権を持っていますし、王政府が把握していない男爵と士爵が大量に居る可能性が常に指摘されています。10年に一回発行される貴族名鑑に名前が載っていれば貴族と分かりますが、貴族名鑑発行の一年後に叙爵すれば最大9年はステルス出来ます。名鑑発行前に爵位を寄親に自主返上して、発行後に再度叙爵すれば半永久的に露見しません。それに毎年最新の情報を纏めて各貴族に送ってはいますが、手続きの不備を理由に名前が載らない新貴族は一定数居ます。
帝国の様に王のみが叙爵権を持てば多少事態は好転します。しかしユーグリン王国は中小8つの王国を武力で併合して大きくなった国です。戦争で活躍した王国貴族や併合前の旧王族に配慮する形で叙爵権はばら撒かれています。そして叙爵権は裏金を稼ぐにはちょうど良い利権です。取り上げようとすれば私の実家を始め大半の貴族が結託して陛下の首を挿げ替えるでしょう。
「その様な動きはあるのですか?」
「ありません。それにこれだけ時間が経過しています。王政府が一言言えば伯爵は折れるでしょう」
「なら早速手続きを……」
「待ちやがれ!」
ラルフの考えを聞いて早速動こうとしたらカーツが横やりを入れました。
「何か?」
苛立つラルフを無視してカーツが続けます。
「そんな見え透いた罠に食いつくバカが居るか! ちったぁ考えろ」
「罠ですか?」
「塩漬け案件に王政府が動いた。アッシュが生きているって伝える様なものだ!」
「それが目的ですから、当然です」
ラルフが言う事はもっともです。
「ならなんでアッシュは黙っていた? 処刑されそうになった時にそれを言えばもう少し時間を稼げたはずだ」
「はっ!?」
カーツの言う通りです。苦し紛れで罪人が「王のご落胤」だと主張する事はあります。ほぼ全員が嘘をついていますが、確認のために数日を要します。
「それは無理っち」
そこで今まで黙っていたダニクが急に声を上げます。
「俺が何か変な事を言ったか?」
「カーツじゃないっち。アッシュの裁判は捕縛から処刑判決まで3時間で終わったっち。実際の処刑も日が昇ってすぐっち」
ダニクがあり得ない事を言います。王国の司法は足が遅い事で有名です。ただの窃盗で数年牢屋に放置される事例が年に何回か報告されます。殺人ほどの重要案件なら審議開始は早いでしょうが、10日くらいは牢屋暮らしです。証拠の検分もあり、殺人を吟味する裁判で即日結審はあり得ません。
「ラルフ、あり得ますか?」
「あり得ません。司法の冒涜です」
私の知らない事例があるのかと思いラルフに問うと、顔を真っ赤にしたラルフに否定されます。
「じゃあ殺人の件はどうなんだ? アッシュはやったのか?」
「分からないっち」
「通常の3倍の予算を使ってそれは無いだろうが!」
怒鳴るカーツに堪えた素振りを見せないダニク。ちなみに「3倍の予算」は父上に請求されます。ラルフの小言が増えそうです。
「孤児院の院長はとんでもない糞野郎っち」
ダニク曰く、孤児院予算の着服は当たり前で孤児は満足に衣食住すら与えられなかったそうです。更には綺麗な孤児を無理やり奴隷商に売り飛ばし、小遣いを稼いでいた証拠も得たそうです。ここまで来ると何でもっと早く殺されなかったか疑問が浮かびます。もしかしてあの首輪の効果でしょうか? でもそうなると首輪をしていたアッシュが院長を殺す事は出来ないはずです。
「孤児院の予算は王政府が出しています。この件は調査が必要です」
ラルフが心底うんざりした感じで言います。殿下の悪評とドワーフ氏族長の襲撃事件。ラルフが知りえない首輪の事が無くても辺境伯に疑いの目が行くのは止められません。
「で、なんでクロードがハズレだと思っているのよ?」
ここまで黙って聞いていたキスケが突然口を開きます。ゲイルリーフの名を聞いてからずっと複雑な顔をしていましたが、何か気になる事があるのでしょうか?
「クロードとアッシュの姿が一致しないっち」
クロードが謂れのない暴力で武器すらまともに握れない体にされていたと聞いて皆驚きます。私の知っているアッシュは眼も足も指も健康そのものです。
「面妖な」
ラルフの発言に密かに同意します。
「別人か? だがそうするとアッシュは何処から出て来た?」
カーツが頭を抱えます。
「上位者の介入よ」
キスケが自信満々に言い放ちます。
「風の大精霊ですか?」
「私は甥っ子から風の精霊の気配を感じなかった。死の魔神……人間風に言うのなら冥の精霊の感じがした」
「いつの間に甥になったんだ?」
驚く一同を代表してカーツが言います。初見で毒殺を試みたハーフエルフは誰でしたか?
「ゲイルリーフ初代の母は私の異母姉だから。流石に彼女に会った事は無いけど父さんなら詳しいわよ」
エルフなら余裕で千年以上生きます。となるとあの時代の生き証人になります。是非とも一度会って話を聞きたいです!
「何らかの超越者がクロードに力を貸し体を修復したのですか。まるで誰かが『奇跡』を行使した様な眉唾です」
ラルフとしては受け入れ辛い事みたいです。ですがユーグリン王国は異世界から呼ばれた勇者と八大精霊の力で建国されました。そう言う過去があり、奇跡が起こりやすい地とは昔から言われています。
「一度アッシュから話を聞くべきです」
私がこれ以上の詮索は無理そうだと宣言します。
「その前にラディアンドでクロードの調査をもう一度したら?」
「賛成です。アッシュを詰問する前に周りを完璧に固めるのが上策」
キスケの発言に意外にもラルフが同調します。
「また行くっち!」
「つうかお前らドワーフ嫌いだからラディアンドに行きたいだけじゃね?」
「……」
カーツの鋭いツッコミにキスケとダニクは無言で返します。
「はぁ、俺とヘンリーは動けないのは確かだ。気を付けて行ってこい」
「勿論!」
「ヘンリー様、急ぎ準備をして明日の朝には発ちます」
「アッシュに会ったら失礼な真似だけはしてはいけません。事の真実を判断するのは殿下です」
ラルフが暴走しないようにしっかり釘を刺します。クロードが本物なら私達が判断を下せる状況ではありません。最悪、陛下がラディアンドに動座する事態になります。
次の日、3人はラディアンドの冬至祭に間に合うように急いでデグラスを発ちました。雪溶けの後に合流する旨を伝えて彼らを見送りました。彼らが冬至祭の最中に首無し死体としてラディアンドの中央を流れる川で発見されたと知ったのは3月になってからです。
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