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033 騙し合い 大熊

 俺が先ほどまで背にしていた木が大熊の一撃で折れた。木こりなら切り倒すのに数時間は掛かる木を細い枝の様に吹き飛ばす様を見て俺の顔は引き攣った。


 その大きさと凶暴性からダイアベアかと一瞬思った。しかし眼がまだ赤くない。


「なりかけ?」


 普通の動物がモンスター化する現象だ。俗説として存在しているが、頑なにそれを信じない人が多い。この7年で法が変わっていなければ王国の公式見解では「そんな事はあり得ない」となっているはずだ。そしてルルブでもそんな面倒な存在は扱っていない。モンスター化の度合いでステータスと経験値が変わるGM泣かせの敵は実装されていない。何処かのハウスルールではやっているかもしれないが、前世でそこまで確認する余裕なんて無かった。


 それでも体長三メートルと思っていた相手が体長五メートルだとは笑えない。顔と体に深い傷が多くある事からかなりの修羅場を潜って来た戦い慣れた大熊だ。


 餌としか俺を見ていない大熊が執拗に俺を追う。俺だけなら全力で逃げるが、そんな事をしたらティグが取り残される。大熊が自分のテリトリーを出てまで俺を追うか、息を殺して隠れているティグを探すかは賭けだ。この状況でティグが逃げていれば良いが、まだ逃げていなければ単独で逃げるのは困難だろう。


「おら、来いよ!」


「グォォォ!」


 俺の挑発を聞いて腹が減って見境ない大熊がまた大振りをするために片腕を上げる。その腕を振り下ろす瞬間に『跳躍』を発動させて安全圏に逃げる。


「本来は懐に飛び込むスキルなんだがな」


 ルルブには回避に使えるとは書いていなかった。だがトビーを猪から助けた時は攻撃では無かった。なので跳躍目標さえ指定したらスキルが発動する事に賭けた。最初は死にスキルと嘆いていたが、『跳躍』が無ければこの五分間で三回は死んでいた。


 ただ死にかけたのも『跳躍』のせいだ。『跳躍』は発動、移動、停止が基本プロセスだ。停止した時の硬直時間で大熊は大振りの硬直から回復する。俺の理想とする動きは発動、移動、停止キャンセルからの振り向きざまに槍を構える事だ。この動きが出来れば大熊にラッキーヒットを当てる事が出来るかもしれない。


「グォォォ!」


「『跳躍!』」


 大熊の爪が俺の髪の毛を数本持って行く。どうやら大熊の方がこの状況への対応速度が早いみたいだ。俺の体力限界が大熊より早く来る事を考えるとかなりのピンチだ。俺が『マナ呼吸』に切り替えても気にせず食いそうな眼をしている。


 駄目だ。勝ち目がない。


 生命線であるアイテムボックスは隠したかった。だが使う事を躊躇して死んだらただのバカだ。俺が事態を打開出来るアイテムを取り出そうとしたその時!


「グォ!?」


 大熊の左足に矢が当たった。当たりはしたが毛皮を貫通して刺さった程度だ。厚い筋肉を通過するには至っていない。


「続けろ!」


 俺はそれだけ言って大熊から多少の距離を取った。大熊は矢に驚きはしたがすぐに俺の追撃に切り替えた。


 同じような攻防を五回ほど繰り返す。大熊の左足には三本の矢が刺さっている。他の矢は当たりはしたが地面に落ちた。だがそれでも、『跳躍』後に少しだけ余裕が出来た。


「はぁ、はぁ。結構疲れるな」


「グゥゥゥ」


 ティグの射程を出ない様に回避先を考えるのは大変だ。大熊もそれに気付いたのか、俺の回避先を読んで攻撃をしている。そろそろ決めないといけない。


 そう考えて槍を握り直したら、草むらから「ガサッ」と音がした。横目で見たらティグが立ち上がって矢を番えていた。


「隠れていろ!」


「うおぉぉぉ!!」


 俺の叫びを無視してティグは雄叫びを上げる。食いやすい獲物を見つけて大熊の狙いはティグに変わる。


「させるか!」


 俺は『跳躍』から大熊の至近距離に飛び込む。外したら大熊のカウンターで致命傷は避けられない。そして世界平均のレベル10なら死んでいた。俺は俺の槍術スキルを信じる! 本来なら通す事が不可能な一撃も通せる。通せなければ? 死ぬだけだ。


「グガァァァァ!!」


 初めて大熊が苦痛の叫びをあげる。俺が狙ったのは大熊にある無数の傷跡の一つ。俺の槍が滑りそうな毛皮が無く、他に比べて筋肉がもっとも弱い地点。幅が一センチも無かったから少しでもズレたら貫けなかった。


「見たか! くそっ、立ち上がるな」


 俺が大熊の体深くに刺した槍で傷口を抉ると、大熊は俺を振り落とそうと両足で立ち上がった。俺は宙ぶらりんになったが槍を手放さなかった。ただ安堵できたのはほんの一瞬だった。大熊は大地にボディスラムをかまして俺を潰そうとした。


「アッシュ様!」


 ティグの悲痛な叫びが聞こえた。あれだけの轟音の上に土煙がもうもうと舞う状況では俺の姿を確認する事は無理だ。


「俺はここだ!」


 近くの木を必死に掴みながら無事を知らせた。大熊が大地にぶつかる動きをした瞬間、俺は大熊の体を蹴って『跳躍』していた。上手く行ったのは俺でも信じられない。


「良くぞご無事で!」


「気を抜くな、大熊はまだ生きている!」


 槍を失っていよいよアイテムボックスから変わりの武器を取り出すしかない。


 俺の覚悟をあざ笑うように動きが無い。


「死んだふりか?」


 俺はティグに問う。


「それは無いかと」


 土煙が晴れた後には痙攣しながら口から血を引いている大熊が残った。

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