163 闘技場 前哨戦
俺はメアとミリスに仕事を任せて町の中心に向かう。本当は色々と遠回りしたのだが、闘技場の方に進むのが安全だ。俺が気付ける監視だけで2組。リルの様に隠密行動が得意な監視が居たら俺では気付けない。この状況でマチアスが恐れる事は二つ。一つは俺が決闘をすっぽかして逃げる事だ。一つは俺がルビーとシーナの救助に向かう事だ。このいずれかをやろうとすれば監視者が暗殺者に早変わりするだろう。暗殺者を返り討ちにする自信はあるが、その時に怪我をしては決闘に差し障る。
マチアスの用意したレールには乗るが、途中下車はさせて貰う。頭の中で進めるルートを考える。クロードは孤児として長年ラディアンドに住んでいただけあって町内に詳しい。俺が寄るべき場所は3つ。倉庫、武器屋、飯屋だ。選択できるルートに倉庫は無いから何かで代用する必要がある。武器屋は2つ。両方とも飯屋に進めるルート上にある。となると倉庫の代わり次第で進むべくルートが決まる。
「おい、パンを1つくれ!」
「まいどあり!」
売店のおっさんに銅貨を払ってパンを買う。
「何かイベントでもあるのか?」
「なんか闘技場の方で催しがあるって噂はあるが……。市民には関係ないんじゃないか?」
「そうか」
それだけ言って俺は歩き出す。前世のブラック企業時代なら「宣伝不足だ、バカ野郎」と上司のかかと落としを食らう場面だ。辺境伯家と王家の話し合いがいつ終わるか分からず、俺がいつ釈放されるのかも流動的では事前に宣伝できなかったのは当然と言える。ガチガチに組み上げられた罠じゃないと知れただけ少し気が楽になる。ルビー達を人質に取れたのはただの幸運だ。それを除いてマチアスがズルをするのなら闘技場で何かするしかない。「武器に細工をする」辺りは思い浮かぶが、もっと畜生な事をやりそうで怖い。
しばらく歩いていると冒険者の宿屋が目に入る。一度はそのまま通り過ぎるが、思い直して180度向きを変える。俺が振り向くとは思っていなかった監視が急いで横道に入り、ゴミ山にぶつかった様な音を出す。俺は気にせず宿屋に入り、その主に問う。
「雑魚寝部屋は空いているか?」
「一人銅貨2枚だぜ」
「部屋そのものを借りたい」
「ああ? 銅貨40枚出すんなら」
宿屋の主は計算が出来ないのか、俺が計算出来ないと踏んで吹っ掛けて来る。
「分かった」
「おう、部屋は2階だ」
2階にあるらしい雑魚寝部屋に向かう。当然鍵なんて無いので誰でも入って来られる。
「12人部屋だけあって広いな」
俺は賭けに勝った事にほくそ笑む。急いでドアと窓をダイアウルフの毛皮で塞ぐ。ドアが中に向かって開くタイプなら槍をつっかえ棒として使えるのだが、外に開くタイプなので諦める。監視者がドアを開けるとは思わないが、余り時間を掛けられない。俺は『アイテムボックス』からヘンリーの魔導鎧を取り出し、早速火を入れる。魔道鎧はウォーミングアップに数分掛かる。無補給では燃料がアイドル状態でも一時間持つか持たないか。理論上、燃料を使わずに全部個人の魔力で動かせば魔力切れまで動くが、そんな膨大な魔力を持つ人間は存在しない。それにそれだけ膨大な魔力を持っていれば魔導鎧に乗らず直接魔法で攻撃した方が強い。
俺はウォーミングアップが終わった魔導鎧を『アイテムボックス』に入れる。決闘までの1時間半ほどは『アイテムボックス』の時間遅延を最大にすれば数分になる。これで俺は『アイテムボックス』から臨戦態勢の魔導鎧をいつでも取り出せると言う事だ。オークチャンピオンと戦う時に思いついていれば、と後悔しても仕方が無い。あんなTRPGのバランス無視の強敵はもう今後出てこないと願うしかない。
宿屋の主には何も言わずに宿屋を出る。「客を入れても良い」と言えば「返金するしない」で荒れるのは分かっている。金は割増しで払ったんだ。冒険者も一日くらい雑魚寝出来なくても死ぬ事は無いだろう。
そのまま武器屋に寄って数打ちの槍と剣を買う。ガングフォールどころかモーリックの足元にすら及ばない粗悪品だ。当初の予定を捨て、ラディアンドのドワーフ作の武器を扱っている店に行こうかと一瞬本気で考える。俺は頭を振ってその誘惑に打ち勝つ。決闘するのに武器を持たないのは不自然だ。それにマチアスがズルをするのなら俺が持ち込む武器か闘技場が貸し出す武器に細工をするはずだ。『アイテムボックス』に入っている本命の犠牲になる武器に金を掛けるのはよそう。
最後にミリスが美味しいと言っていた飯屋で軽く昼食を取る。大衆食堂なんで食べ物に何か仕込まれる可能性は低い。
「兄ちゃん、賭けたか?」
「賭け?」
目が血走った男が俺に話しかける。一瞬刺客を警戒するが、前世で親交があったギャンブル狂いで身を持ち崩した男の特徴に似ているのを思い出す。
「北の砦の大英雄マチアス様が辺境伯に暴言を吐いた世間知らずの騎士爵を決闘で打ち負かすのよ! で、誰が勝つか賭けているってわけよ! どうだ一口?」
「レートは?」
「それが騎士爵に賭ける奴がほとんどいなくて賭けが成立するか微妙だ」
「良い事を教えてやる。俺と貴様の秘密だ。良いな? 騎士爵に全額賭けろ。必要なら借金しろ」
「おいおい、騎士爵が勝つ未来なんて無いぞ?」
「信じるか信じないは貴様の勝手だ。だが騎士爵が勝った時の配当金を考えてみろ」
ギャンブル狂いなら賭けずにはいられないキーワードをポツポツと会話の中に入れる。どうやらこの男は俺の説得を聞いてくれるみたいだ。マチアス有利のレートが変わる事は無いだろうが、俺に賭けた奴はこぞって闘技場に来る。奇跡の瞬間をその目に焼き付けるために。
腹ごしらえが終わったので余裕を持って闘技場に到着する。俺の姿が伝わっているのか、選手用のゲートをすんなり通過する。順番が来るまで一時間弱はあるので待合室でゆっくりしようと思った矢先に声を掛けられる。
「おい、出番だ! とっとと出ろ!」
「時間よりだいぶ早いぞ」
「つべこべ言うな!」
俺を無理やり掴もうとする大男の手をひねり、地面に転がす。
「王国の準男爵相手に大きく吠えたな。死ぬ覚悟は出来ているか?」
「うぐ……」
この男の行動そのものはどうでも良い。ただこの男の行動はラディアンドを治める辺境伯の責任問題になるだけだ。そこまで行く前に闘技場の支配人の首が飛んで手打ちになるだろう。
「も、申し訳ございません! こいつは頭が弱くて、とんでもない失礼を!」
最初から事態を見ていた支配人が飛び出してくる。
「許そう」
俺は男の腕を離し、一発脇腹に蹴りを入れる。蹴る必要は無いが、最低これくらいしておかないと貴族の面子が傷つく。普通の貴族なら腕の一本を斬るか、いっそ首を落とす。貴族として優しすぎるのは美徳では無いと頭では分かっているが、前世の記憶があると中々この世界の常識に適応できない。
「実はアッシュ卿の戦闘予定が入っておりまして……」
支配人は滝のような汗をかき、平身低頭で俺のご機嫌を取ろうとする。
「時間を早めるとはマチアスらしい卑怯な手だ」
俺の準備期間を潰すために決闘を早めたか。せこい手を使う。
「こ、こちらに……」
俺は支配人に案内され闘技場のリングに出る。ガチャンと音を立てて俺が使った入口に鉄格子が落ちて来る。
「これよりキマイラ対挑戦者の戦いを開始します!」
何!?
「人違いだ」と叫びそうになるも既にキマイラは反対側の扉から出て俺目掛けて走っている。
決闘をする前に俺をモンスターに殺させようとするとは、マチアスは見下げ果てた男だ。当然とはいえ、闘技場が中立の建前を完全に捨てているのが分かって逆に良かった。マチアスと戦う時にはもっと相手の言動の裏を読まないといけないと気を引き締める。
前世のインド象並みに大きい3つの頭を持つモンスターが迫る中、俺は「こいつの素材は高く売れるな」と笑みを浮かべる。
応援よろしくお願いします!




