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灰色の森  作者: 五月雨
9/19

閑話休題5 ライセン氏族の明日

 ライセンという村がある。アトルム始祖四氏族のひとつに数えられる、ライセンの末裔たちが住まう土地だ。


 生物としてのアトルムは、実のところ自然に発生したものではない。ニンゲンと呼ばれる原種から特異な四つの個体が現れ、自らを人工進化した。男女同数の彼ら彼女らが互いに交わり、子を生し、生物種としての形質を定着させていった。


 四人の名はライセン、リアム、ウォルト、アンバー。偉大なる魔神王グランディスから基礎理論を授かった彼らは、それぞれの研究成果を持ち寄り、よりよき種族の祖たらんと設計を摺り合わせた。時には争い、決裂もしかけたが、たった一つだけ全員一致で簡単に決まったことがある。それは変異体発生の封印に関する事柄だ。


 容姿端麗、中背痩身。浅黒い膚に銀髪と紅玉の瞳。笹のように尖った耳。能力は原種より総じて高く、殊知能に関しては比較にならない。これらが概ね、アトルムという種を表す生物的特徴だ。彼らには、出自を違える非常によく似た近縁種が存在する。淡雪の膚に金髪と草色の瞳――共にエルフと総称される、神々の末裔ニウェウスである。


 アトルムとニウェウスの間に能力的な差はない。というのも魔神王が授けたエルフ化の秘法は、かつて古の聖神達が使ったのと同じものだからと言われている。


 唯一の決定的な違いは、それぞれが子を生したときに生まれる異形の変異体。狼のような姿をしていたり、もはや獣ですらなかったり。最も酷いときは、羊水が中途半端に固形化した粘液状の何かということも。


 これらは全て魔獣と呼ばれ、ごく一部の例外を除いてヒトの言葉を理解できない。できたとしても音声機能に問題があり、会話を交わせない個体がほとんど。後者は辛うじて村に留め置かれるが、前者は意思疎通すら難しいため、生まれた時点で捨てられるか数年と持たずに野生化してしまう。


 野生化した魔獣は本能のままに暴れる。ニンゲンがアトルムを恐れ、ニウェウスが同様に忌み嫌うのも当然の成り行きと言えた。


「もう一つ、アトルムとニウェウスには共通する特徴がありますよね?」


 火の回りで車座になる三人のうち一人、アトルムのフランが片手を挙げる。


「ああ。俺達エルフが繁栄できない根源的な理由だ。ゼクス?」


「……はぁ。一応は」


 もごもごと歯切れが悪い。ゼクスなる者、日頃は斯くも優柔ではない。無駄にはっきりした、何も考えていないのではと思えるほど剛直な男である。


 従兄のフランがくすりと笑って混ぜ返す。


「若長、ゼクスは『まだ』なんですよ。あまり苛めないであげてください」


「……なに?…お前、そうだったのか?」


「……………」


 若長と呼ばれた男――バルザが心底意外そうに訊ねる。一方のゼクスは気まずそうに俯いた。相手は男の若長、加えて将来の族長候補のひとりである。男尊女卑の彼をしても、無視するわけにはゆかない。


 子供だ。人工的な進化を施されたエルフの肉体は、極端に子ができにくくなっている。方法は違えど、アトルムもニウェウスも子孫繁栄の努力に余念がない。アトルムは番いに囚われない自由な恋愛を推奨することで対応しているが、個人の遺伝情報を調べる創術を使えないニウェウスは、それこそ徹底的な管理体制を敷いていると聞く。


「成人して何年になる?そろそろ一人は欲しいところだろう」


「いえ、ですから。そういう段階ですらなくてですね……」


 ますます黙り込んでしまったゼクスに代わり、再びフランが説明する。


 今年ゼクスは三十二歳だ。成人して十七年経つ。ちなみにフランは三十三歳である。精力的に励んでいるが、残念ながら子供はまだない。六十五歳のバルザも野生化した魔獣のみ、ルークのように知性を持つものやヒト型の子供はいなかった。


 つまり男やもめ?の野郎が三人、部族の繁栄を肴に囲炉裏端で猥談を繰り広げようとしているわけなのだが……


「……こいつは問題だな。思ったより深刻かもしれん」


 最年少の若長は、腕組みするともっともらしく頷いた。何がでしょう、と訊ねかけてフランに遮られ、怪訝そうな表情を浮かべるゼクス。彼はあまりにも解っていない――自覚が全くない。後進を導く者として、自分が何とかしなければ。


「悪いようにはせん。ここは俺に任せとけ」



 ☆★☆★☆★☆★☆



「…つまりだな。お前に欠けているのは気遣いだ」


 バルザ先生の恋愛講座。開始から小一時間、幼少期から現在に至るまで一つずつ取り上げた。いかに嫌われる言動を繰り返してきたか。


「分かるか?お前の言葉は、いちいちアレだ。喧嘩腰というか、攻撃的というか……そういうのが好きな奴もいるかもしれんが、お前はまだ実績がない。若造が粋がってるだけとしか聞こえんのだよ」


 ゼクスにとって、エアを除く全ての女性が歳上である。


 若さは未熟の元だ。当然のことゆえ、誰も責めようとは思わない。しかし同時に肩肘を張るばかりで甘えようとしないゼクスは、微笑ましいとか可愛いとかいう次元を超えている。心だけが不釣り合いに強すぎて、腫れ物扱いされているのだ。


 まだ実績がない、という表現は遠回しである。機会さえあれば活躍できる、とも受け取れるから。しかし現に、先の襲撃では大した働きもできなかった。そのあたり明言してもエアなら程よく凹むだけだが、このゼクスという青年は……


「若長が言いたいのはね。君が腫れ物扱いされてるってことだよ。要するにアレ、男として見る以前に関わりたくないと思われてるんだね」


「…にこやかにはっきり言ってくれやがりましたな?この色ボケの従兄殿はよ!?」


「まあまあ落ち着け、二人とも……いや。フランは落ち着いているか」


「はい。別にいつものことですから」


 襟首を摑まれた姿勢のまま、やたら陽気に振り返る。


「僕がいろいろ手伝っても、自分で駄目にしちゃうんですよねえ」


 エアのことである。それはバルザも承知していた。容認という意味ではなく、出かけるときのルークやウィルの態度から何となく。そのようなことが連日繰り返されているなど、本人は億尾にも出さなかったが。


 今までのところはバルザの思惑どおり。成人したての愛娘を、彼女自身が憎からず思っている相手と村の外へ遣わした。その間にゼクスを番わせれば、もうエアだけに付き纏うことはなくなるだろう。ウィルはバルザが見込んだ男だから、エアのほうで何か起こってもそれはそれ。問題は兄馬鹿のルークだが、アレよりは確実にマシ。妹の気持ちが固まれば無碍にはできないはず。


 十七年来の残り物を、さっさと片づけてしまいたい。そうすることで愛娘の自由な意思も尊重できる。要はゼクスの意思など関係ないのである。


 兄弟同然に育てられたフランは本気でゼクスを心配していたが、どうにも彼の感性はずれている。これまでの策も然り、明後日の方向へ飛ばされることが珍しくない。


 性格に難のある本人、頼りにならない協力者。


 だがバルザには勝算があった。一見あり得ない、でも想像してみれば意外と。そう思えなくもない女性がひとり。


(正直ゼクスには勿体ないヒトだが……)


 こういう話は相性である。万一があるかもしれない。それに上手くゆかなくとも構わなかった。もしも彼女の何かを変えられるとしたら。


「…いいかお前ら、これは戦だ。生半可な気持ちで来るんじゃないぞ」


 百戦錬磨の気迫は、残り物はおろか恋愛巧者をも怯ませるに充分だった。


 これは賭け。成功すれば一石二鳥、二つの問題が一気に片づく。


 されど失敗すれば全てを失う。戦士の誇りも。男の矜持も。この村で生きてゆくのに必要な最低限の世間体も――主にバルザではなくゼクスが。


 そう考えると気が軽くなった。元よりゼクスに世間体などない。


「決行は今宵。夢魅せる者から恵みをもたらす者へ、刻渡る瞬間だ」


 誰からともなく集まり、粛然と額を寄せた。



 ☆★☆★☆★☆★☆



 森の夜は明るい。雲がなく、星に月が出ていれば尚更。


 親しくする精霊にもよるが、概ねアトルムは夜目が利く。堂々と道を歩いてゆけば害意のないことは明らか。誰に会ったとしても快い挨拶をして擦れ違うことができる。


 心に疚しいことがない限りは。


「あら、バルザさん。こんな時間に訓練ですか?」


「お、おう。アローナ。お前こそ散歩か?身重なんだから気をつけろよ」


 いつになく優しい言葉をかけてしまう。


 番いの筆頭若長グスマが聞いたら感づきそうな不自然さだが、天然気味のアローナは言葉の裏を読んだりしない。純粋に未熟な若者二人を気にかけ、夜戦か何かの教練を施しているものと思っている。


「はい。少しくらいは身体を動かしたほうがいいと思って……あまり無理をさせないでくださいね?エアがいなくて寂しいのは分かりますけど」


 不意に困ったような笑みを浮かべる。自分が言葉を切ったと気づき、ますます困惑した表情になる。さも誰かを傷つけまいと、会話の出口を探して。


 元相棒の幼馴染みは、まだバルザのことを心配しているらしい。番いに先立たれて二十年、今ではもう思い出さない日も増えている。


「…適当なところでお開きにするさ。子離れできてると思ってたんだがなあ……」


「全然。ルークもそうですけれど、傍から見て猫可愛がりですよ」


 くすくす笑いながら離れていった。


 アローナの姿が見えなくなると、大袈裟に溜息をつく。


「……バレたかと思った……」


「知られたら拙い相手なんですか?」


 その割に平然とフランは訊く。「やはり俺は……」などと言って逃げ出そうとするゼクスの襟首を捕まえながら。


 拙くはないかもしれないが、慎重を要する。過去に様々あったらしく、手を出さないことが暗黙の了解になっている。若長シェラより歳上、ライセンでは最年長の女性だ。


 名前はリシリア。とある事情により長年番いがいない。


「若長。この道って……」


「うむ。そのまさかだ」


「俺は帰る!帰りますッ!?」


「あら。男三人連れ立って、一体何を騒いでいるの?」


 次に現れたのは、哨戒中の若長シェラだった。


 近接戦闘を最も得意とする彼女は、ライセン防衛の中核を担う。ほぼ毎晩こうして村の内外を巡り歩き、脅威を及ぼす異変がないか調べて回っている。


 余談だが、フランは昼に小屋を訪ねることが多い。他の番いも同じであり、これまでに何度気まずい思いをしたことか。


 今度はお前の出番とばかり、バルザがフランの背中を押す。


「や、やあシェラ。星の綺麗な夜だね」


 下手な誤魔化しの例文のような挨拶である。


 しかしシェラは量りかねていた。この若い恋人は虐められて喜ぶ変態。きつい言葉を貰うために、あえて不審な挙動をしているのではないか、と。


 どのような叱責をするのがよいか、素早く頭を巡らせる。だが本来引っ込み思案のシェラは、そのような言動が性に合わない。


 彼女の素顔を知る者は少なかった。その限られたヒトビトの中に、フランはおろかバルザも含まれない。若い世代で知っているのはルークとエアだけ。宴から脱け出したシェラを好奇心で追い、独りごとの愚痴を聞いてしまった。


「ふうん……?」


 意味深にフランを見つめ、それからバルザ、ゼクスへ視線を流す。


「他の女のところへ行くのね」


 優しげな笑みを浮かべる。


 こういうときのシェラが一番怖い。変態であるフランに限っては。苛めて喜ばせようかと思ったが、他の女と会いにゆくなら愉快なはずがない。自分も公然と複数の恋人がいることは措いておく。アトルムの恋愛は自由なのだ。


「…いや。その……ぼ、僕は」


「何?はっきり言ってくれないと分からないわ」


「あくまで……付き添い……」


「分かってる。早く行ってらっしゃいな?」


「あう………」


 耳元で甘く囁かれ、フランはくたりと萎れた。恐怖のあまり気絶したのである。その事実に戦慄したゼクスが従兄の亡骸を担ぎ上げて走る。


 後には小さく手を振って見送るシェラと、苦笑いを浮かべるバルザ。二人に続こうと踏み出した彼を、神妙な響きが呼び止める。


「…本当に大丈夫なの?」


「分かりません。が、やるしかないでしょう。でないと永遠に今のままだ」


「あなたにそのつもりは」


「曾孫の番いに気分が出ますか?あのヒトにしてみれば、ゼクスも俺も似たようなものですよ」


 口調は投げやり。だが不貞腐れた様子はない。事実を述べている、そんな感じだ。


(…皆、あなたに遠慮しているのよ)


 不老長寿のエルフにとって歳の差など無意味。シェラとフランが九十五歳、グスマとアローナなど百二十八歳も離れている。リシリアとバルザはそれ以上に違うが、はっきり言って微々たるものだ。今更気にするような歳でもない。


 バルザの番いは、三代前の祖リシリアとよく似ていたのである。



 ☆★☆★☆★☆★☆



 リシリアの小屋は、ライセンの村の外にある。


 外れではない。族長ネロに次ぐ年長者ながら、あまりよい場所には建てられていない。安全性と利便性どちらの意味でも。元々そこに住んでいたのではなく、二十年前の戦と前後して現在の場所へ引っ越したのだという。


 その事実が、彼女の微妙な立場を物語っている。本来なら筆頭若長の地位に就くべきところ、血気盛んな兄貴分のバルザが見習いを任ぜられた。単純な年齢順ではないにせよ、それを覆すほどバルザが優秀なわけでもリシリアが愚鈍なわけでもない。


 割を喰ったのはグスマとシェラである。ヒト見知りのシェラなど言うに及ばず、温和なグスマも寄合での役回りを厭わしく思っている。


 そのことで二人が公に不満を口にしたことはない。エアとルークが偶然聞いたシェラの愚痴も、己の気弱さと不甲斐なさを嘆く内罰的なものだった。


「そろそろだ。警戒を怠るなよ」


 道なき道を進みながら、バルザが警告を発する。


 ここはもうライセンの外。どこに敵が潜んでいるか知れない。況してやセシルの滅亡以来、ニウェウスの領域と境界を接する最前線になっていた。


 フランとゼクスも二度、ライセンの内と外で一回ずつ戦争に出たことがある。慣れた頃が危ないというが、それでもどこか落ち着いている。必ず敵に出くわすと決まったわけでもないのに、何をそれほど構えているのかと。


「大丈夫ですよ若長。僕達も少しは役に立ちます」


「いかにも。我々とて無駄に辛酸を舐めてはおりません」


「少しや無駄では困るのだがな、っと……」


 早速、現れた。向こうもバルザ達と同じ三人。


 堂々と姿を見せている。何故なら彼らは敵ではない。


「やはり来られましたね。バルザ様」


「リシリア様の眠りを覚まされるのは、あなたではないかと思っておりました」


「ついに恐れていた日が……しかし、それも仕方ありますまい」


 無駄に強力な闘気を放っている。それゆえ敵と誤認したのだ。


 ニウェウスではない、紛うことなきアトルム。知らない顔だが一応同族。フランとゼクスの肩から力が抜けた。一方バルザは全く警戒を解いていない。


「時に若長。その二人は何でしょう?」


 三人のひとり、中央に立つ男が睨みつけてくる。


「あなたほどの実力があれば、我々の警護を抜いて想いを遂げることもできるはずだ。然るに無用な足手纏いを連れてきた存念をお聞きしたい」


 言下に切り捨てられたゼクスが気色ばむ。だが事実であり、フランはそのことに反論しない。むしろリシリア含めた四人を寄合で見かけないことのほうが気になる。


 とりあえず戦闘にならないと判断し、バルザも身構えを解いた。


「謙遜だな。お前達三人を相手したら、肝心なときに疲れちまう。こいつらじゃ勝負にならねえから、俺が連れてきたんだよ」


「何と……!」


「そやつらをリシリア様のお相手に!?」


「あなたがそれを仰いますか!いいえあなたが認めても、我々は断じて許しませぬ!」


「…いや、だから。なんでお前らの許しが必要なんだよ?」


 呆れ顔で脱力する。


 リシリア様親衛隊――ナガメ、ノワキ、フキョウが幼い頃、リシリアは三匹の面倒をよくみていた。ゆえに母か姉のごとく恋い慕うのは無理もないことかもしれない。


 だが、それを言うならライセンの民は多かれ少なかれ似たようなもの。愛すべき子供であり、歳の離れた弟妹であり、そして男または女。特別な者などいないのである。村の誰を番わせたとて、何の不都合があろうか。


 あの三匹でも構わないのだ。むしろバルザにとっては、比較的近しい立場にいながら手を拱いている彼らの不甲斐なさこそがいただけない。


「お前らこそ何度も誘いを断ったそうだな?調子が悪い、用事を思い出したなどと偽って逃げる。それぞれ違う女から複数の訴えが出ているぞ」


 シェラに聞いた。同性の人気も高い彼女は、あらゆる女性の相談を聞く立場にある。


 一方、男性はバルザを頼る。六十五歳と若く、視点が近いのかもしれない。昨夜は駄目だったの、あいつは誰のところへ行ったのと。それら男の噂と女の情報を足したらどうなるか。ゼクスなど比較にならない残念な実像が浮かび上がる。


「お前らが義務を果たしたと、俺は寡聞にして知らんのだが。成人して三十余年、これまで何を……いや、まさかだよな?」


「わ、若長……」


「あいつら、もしかして俺と同じ……?」


「ある意味、お前より性質が悪い。据え膳喰わぬは何とやらって云うだろ」


 古いニンゲンの諺だ。しかしアトルムの事情に合っているため、何かとよく使われる。ニンゲン社会のと少し違うのは、これが男女を逆にしても使われること。


 義務を果たせないのと、果たすつもりがないのは別だ。


 三匹がリシリアの小屋に踏み込むことはない。雨が降ろうと風が吹こうと軒にも入らず、寒空の下で警護を続ける。それと同様に、他の女性の元へ行くこともなかった。仕える女神様への裏切りと考えたのである。


 無論、リシリアのほうから頼んだことはない。ただヒトを遠ざけたがっている――特にも男性を、ここ二十年は前にも況して。その気持ちを三匹は勝手に酌んだ。


 ここにリシリアを始祖とする新たな部族が生まれる。気持ちのうえではライセンに属していながら、実質的には巣分けをしたのと変わらない。


 ただし、その部族は歪だ。未来へ繋がらないのである。


「今更、主義を変えろとは言わん。だが他人にそれを押しつけるな。本当にリシリア様は誰にも会いたくないと言ったのか?」


「口に出さない心情は無視しろと?それこそ一方的な押しつけというものです」


 平行線だった。


 今の三匹は、リシリアを想うばかりに客観性を欠いている。口に出さない心情が真実である保証はなく、自分が見たいものを見ているに過ぎない。もっとも口に出したからといって、やはり真実とは限らないのだが。


(これ以上は無駄か)


 バルザが手近な老木に寄りかかって座る。さも落ち着いて話すといった具合だが、これは事前に決めておいた合図だ。三つ数えたら走れ――ゼクスは脇目も振らず小屋へ。フランは三匹の後ろへ回り込み、最も有効な手段で支援を。


「行くぞ、お前らっ!」


 バルザの全身が土気色に変わった。足元の土が盛り上がり、三匹の動きを封じようとする。だが読まれていたのか捕らえるには至らない。それぞれ素早い身のこなしで土塊の手指を躱し、逆に蹴りつけて破壊する。精霊に実体はないため痛くも痒くもないが、この方法は通じないということ。やはりマナを節約して押さえられる相手ではない。


「卑劣な。まだ話は終わって」


「お前らの魂胆などお見通しだ。要は時間稼ぎだろうが!」


 同時に舌打ち、ナガメ、ノワキ、フキョウ三者三様の精霊を宿す。


 ナガメは透明な蒼、ノワキは淡い翠、フキョウは銀。それぞれ『水』『風』『凍』の特徴だ。相性もよく、連携して戦うときにこそ真価を発揮する。


「もはや猶予はなりませぬ。若長、お覚悟召されい……」


 ゼクスは小屋に十数歩のところまで近づいている。背中を一瞥、無感動に呟いた。


「「「……三位一体。出でよ『テュフォン』!」」」


 三匹の声が揃う。三種の力が等しく混じり、強大な一つの力として顕現する。


 現象精霊『嵐』。その怒りに触れし者は、遥か海の彼方まで飛ばされるという。


 明らかに非常識だった。協力して現象精霊を喚ぶなど、普通では考えられない。


 バルザにも現象精霊を宿すことはできる。だがその場合、元素精霊それぞれの力は三匹の半分。また自然な条件に近づくほど、精霊が呼び込めるマナの量は多くなる。すなわち三匹が召喚した『嵐』の力は、単純な二倍ではないということ。


「…嘘だろ……!?」


 地底の大蛇ミズガルズは土の元素精霊。地面を隆起させて突風を防ぐも、天から雹が降ってくる。いや向こうが本気を出せば、瞬間最大出力の決定的な差は埋まらない。防壁ごと粉砕され、撥ね飛ばされて激突する。もはや逃げ回るのがやっと。


 リシリアを護ることだけを考え、そのためにこれほどの力を手に入れた。ナガメ、ノワキ、フキョウの三人が重ねた努力を想像すると驚嘆を禁じ得ない。


 三属性の力を均衡させなければ、現象精霊を喚ぶことはできない。依代の技は主観によるところが多く、個人であっても均衡させるのは難しいというのに。


 フランとゼクスはどうなった?視界が風雨に遮られて煙る。


 今夜は失敗だ。作戦を変えて出直すしかない。


「お前ら、生きてるか?今日のところは」


 不意にぴたりと風が止んだ。肌寒く雨は降り続いたままだが、不穏な空気の流れだけが不気味に静まり返っている。


 放心して仰向けに倒れるノワキと、その傍らで余裕の笑みを浮かべるフラン。


 よもや彼がやったのか。隙を突いたとはいえ、若長見習いのバルザに次ぐ実力者のひとりを一撃で……?


 平衡を崩されては、もう現象精霊に頼れない。二人に減ってしまったが、とはいえゼクスも小屋まであと数歩のところに倒れていた。背中から何らかの攻撃を受けたのだろう。気を失ってぴくりとも動かない。


「くっ……だが、まだ二対二だ。そやつを先に倒して、それから若長を討つ!」


 フキョウが馬鹿正直に戦略を明かす。ナガメは一瞬どきりとしたが、その作戦に否やはないようだ。相棒の冷気を活かして霧を呼び、フランに『フェンリルの吐息』――凍える右手を押しつける隙を生み出す。


 作戦は成功し、フランの利き腕が赤黒く変色した。原理はエアの『ケルベロスの舌』と一緒。局所的な重度の凍傷にかかったのである。三つも手跡がつけば、火傷と同じでまともに動けなくなる。それ以上は致命傷だ。


 次で終わらせるべく迫るフキョウ。だが蹲るフランの前に起きた爆炎を避けて一度退く。バルザにとっては完全なお荷物。二対一より性質が悪い。


 それでもナガメとフキョウは踏み込めずにいた。ノワキを一瞬で沈めた攻撃の正体は?フランにそこまでの力があるとは思えないが、見極めなければ危険である。不意討ちに成功したとはいえ、二度も同じ手が通じるのか。


「来ないんですか?じゃあ僕から……」


 先程までのノワキと同じ、髪と光彩が淡い翠に変わる。

 鎌鼬で斬りつけるのかと思ったが違う。倒れたノワキに外傷はなかった。何やら囁いているように見える。ナガメやフキョウ、バルザの位置からは遠すぎて聞こえない。


「貴様。何を――」


(エリカは虐められたがりだから、先に言葉で責めておくと反応が可愛いんですよね)


「!?」


 フキョウの耳元から、いきなりフランの声がした。


 音運びの術である。さほど難しいものではなく、風の精霊と契約を結べば任意の相手に音を届けられる。言うまでもないが、フランの囁き声に殺傷能力などない。


(…マヤは意外と積極的っていうか。普段とまるで違いますよ。正直、こっちが先に参ってしまうくらいです)


「……………」


 フキョウの足が止まり、両腕がぶらんと垂れ下がる。落ち着きなく彷徨う視線、半開きの譫言を吐き出す口。誰がどう見ても正常ではない。


(トリシャは近々成人ですけど、まだまだかな。まあエアより背が高いし、期待はできそうですよね。ケイトとマレーネの双子は四年後が愉し)


 最後まで聞かず地面に倒れ伏した。


 白目を剝いている。急激な精神負荷によるものだが、短時間で三匹の性格を察したフランの作戦勝ち。とはいえ普通は気絶などしない。免疫がなさ過ぎたのである。


 残るナガメはバルザが圧倒。元より一対一では勝負にもならない。


 凍傷の手当てをしつつ、ライセンの兄貴分はぼそりと呟いた。


「……お前。最低だな……」


「えっ!僕、今回お役に立ちましたよね!?」


 心底意外そうに、抗議したものである。



 ☆★☆★☆★☆★☆



「…終わりましたね」


「ああ」


 暗闇の中、男女が差し向かいに座っている。


 闇の精霊と親しむ者は多いが、やはり一般的には明かりを点ける。アトルムとは『闇のように暗い』のであって、『闇』そのものを意味する言葉ではない。


 それほど気の置けない間柄。普通に考えれば番い、しかし二人の間に流れる空気は――どちらかと言えば親子。それも長年里帰りしない孫娘の様子を、祖父が心配して見にきた。相変わらずの無表情だが、そう捉えるのが適切か。


 族長ネロ=ライセンは、微笑を絶やさない伏し目がちな同胞の顔を見つめた。


 言葉は発さない。そこにいるだけという奇妙な客だが、そのことにリシリアはもう慣れている。


「たまには、賑やかなのもいいです。いつも静かすぎますから」


「……………」


「あ。族長のことではないんですよ?もう二十年も経つのに、いつも気にかけてくださってありがとうございます」


「…ここには我らしかいない。遠慮は無用だ」


 ネロの言葉に、今度ははっきりと笑顔を浮かべた。そして新たな客を迎えるべく、囲炉裏端から立ち上がる。酒を用意するためだ。


「……来るでしょうか。大伯父上?」


 大伯父と呼んだが、随分控えめな表現である。順調に世代を重ねた末裔のリシリアはネロの妹から数えて五代目。正確に表す言葉がなかったゆえ代わりとしている。高祖伯父が一番近いのだが、どうせ間違っているのならということらしい。


「分からぬ。だが、立っているのは二人のようだ。片方は動けないに等しい」


 ルークほどではないにせよ、ネロも精霊の技に長けている。創術、野歩き、格闘……四百五十一年の長き生は、朴訥な青年を恐るべき戦士に鍛え上げた。


 話を続けながら、精霊の声に耳を澄ます。


 足音が近づいてくる。片方は重く、残る片方はふらつく足取り。健在な一人が倒れた一人を担ぎ、負傷した一人は辛うじて自分の足で。


「…エアのところへは?」


「対処済みだ。問題ない」


 リシリアの勧める酒杯を断り、やおら立つ。


「リドのときは油断した。腕の立つ賢い子だったゆえな。が、二度と同じ轍は踏まぬ」


 ネロの目から見ても、ナガメ、ノワキ、フキョウの三人は使い手だ。協力して一柱の現象精霊を召喚するなど前代未聞。明らかに敗れると思えたバルザ側が勝ったのは、何か知恵を回したのだろう。彼の末裔は遠く及ばない、どちらも見事である。


 だが番いを得るのは簡単なことではない。彼の若い頃は、母親の――分かっていれば父親もだ――妨害を掻い潜り、慌ただしく密やかに事を成就したもの。


 最後の試練だ。戸口に立つ勇者達が扉を押すより先に、そっとこちら側へ引く。並ぶ者なき先達の姿が、来訪者の前に明らかとなる。


「ぞ、族長……?」


 それきりバルザは固まってしまった。悪戯が見つかった子供の風情ではない。なおゼクスを背中から落とさないのは流石と言える。


 興味本位でリシリアを垣間見しようとしたフランは、マナが切れた泥人形の如く崩れ落ちた。白目を剝いており、あれは朝まで目を覚まさないだろう。


 元々、彼の役目はここまでである。余計な邪魔が入らなくて好都合と、バルザは気を取り直して当座の障害に向き合った。


「…夜分にすいません。リシリア様にお願いがあってまいりました」


 ひとまず合格だった。無言で道を空ける。見ただけで気絶するのは話にならない。奥の暗がりからリシリアが顔を出す。


「何もないけど、とりあえず入って」


 族長は瞑目している。言葉に従えということだろうか。だがバルザは肩の荷を下ろし、その場で自らも片膝をついた。


「…こいつを、朝まで置いてやってくれませんか」


 族長の眉がぴくりと動く。リシリアも意外そうだ。まさかバルザがとは思ったが、実際にそのことではないとなると驚きもする。


「え……?」


「親衛隊に潰されちまって。俺の指示が悪かったせいもありますが……小屋の片隅にでも転がしといて構いません。こっちのエロガキは引き摺って帰ります」


 ここで初めて、昏倒したゼクスの顔をまじまじと見る。


 噂には聞いていた。ライセンの女性全員から腫れ物扱いされている男の子がいると。


 まだ若く、何をするにも一生懸命だが空回り。もう少し可愛げがあれば、もう少し素直ならと話しているのをナガメが聞いてきたという。あなた達も似たようなものじゃない、と揶揄うと赤くなり、それはあなたがとか何とか呟いていたが。


 自然と笑みが浮かぶ。子供というものは、やはりいつの時代も可愛い。


「分かった。その子は私が面倒みるよ。任せて」


 慈愛の込められた言葉に、今度はバルザが慌てる番だった。


「あ、いや……そういうことでは」


「では、どういうことなのだ?」


 黙っていたネロが訊ねる。他意はないのだろうが怖い。


「失礼しますッ!明朝、受け取りに来ますんで!」


 逃げるように逃げ出した。とどのつまり逃げたのである。


 フランはしっかり持ち帰っている。見かけによらず、慌てても几帳面なところのある男だった。先達の目から見て、やや繊細過ぎると思わなくもない。


 揃って月の下へ。挨拶は要らなかった。


 ふと、若者達が消えた方角を見遣る。


「……どうか、なさいましたか?」


「いや……」


 四百年後の闇も、今より淡いのだろうか、と。

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