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灰色の森  作者: 五月雨
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閑話休題4 リタ=イラリオの奮闘

 イラリオの集落は、エルフの森の西端にある。


 アトルムの住処としては、枝分かれしたブラッドに次いでニンゲンの領域に近い。


 この村の歴史は特殊だ。枝分かれしたと言ったが、あまり正確な表現ではない。ブラッドの体質に嫌気が差した者達と、様々な事情により帰る場所を失くした者達が集まってできたものだからである。


 ブラッドの掟は一つ。力なき者は力ある者に従うこと。いかなる隷属を強いられても敗者は甘んじるしかない。まだ命が惜しければ。死にたくなければ。集落の名前も普通は創始者から取るが、ニンゲン達が使う共通語の『血』を意味する。


 一方のイラリオは個人名だ。ブラッド生まれの棄民二世、掟に疑問を感じて村を出たまま戻らなかった。そして故郷を追われたが弱肉強食に馴染めない者、やはりブラッドから逃げ出した者。それら寄る辺のない者達を受け容れ、ただ静かに穏やかに暮らしの範囲を拡大していった。


 こうなると面白くないのがブラッドである。捨てられた者達を力ずくで集め奴隷とし、自らは外でニンゲンを襲い欲しいものを奪う。その両方で彼らの生活は成り立っているが、最近はニンゲンの側も警戒していて思いどおりにゆかないことも。このうえ奴隷の補充が滞っては粗略に扱えなくなる。飽きても気軽に捨てられなくなる。


 創始者イラリオは、ブラッドの主な支配者と相討ちになって斃れた。


 されどアトルムは、死しても生前の記憶が詰まった精神核を遺す。手間暇かけて再生してくれる仲間さえいれば、元の状態で蘇ることができるのだ。


 無論、弱肉強食の社会に競争相手を救う者はいない。これまで大勢の仲間を庇護してきたイラリオは、生き残った集落の者達の手によって、今も再生の途上にある。


 前より貧弱な小悪党の群れになったブラッドは、最近やや大人しい。内側は相変わらずだろうが、同族に喧嘩を売ることは減った。それでもニンゲン相手には勝手放題、ニウェウスの反感やアトルムの悪評を増幅させるという意味では変わっていない。


 そのような被害を未然に防ぐため、イラリオの若長リタはニンゲンの街ドゥオにいた。


 冒険者の店に出入りし、情報を集めている。アトルムによる犯罪の訴えがあれば、ひとり追いかけていって叩き潰す。どうせブラッドの半端者の仕業だろうし、ニウェウスの擬装だったとしても構わない。いずれにせよ同情の余地がない連中だからだ。


 リタには、それだけの力がある。彼女はブラッドから逃げ出したり、他の集落を追放された掟破りでもない。二十年前の大戦争『セシルの殲滅』を戦い抜いた生き残り。


 先日はニンゲンの知人と会った。


 数少ない、しかも恩人である。永の無沙汰を詫び、気になっていたことを訊ねる。その男とリタは、共通の復讐相手がいる。ニウェウスのネフラという男であり、実は既に復讐を果たした。果たしたはずなのだが。『姿偸み』と綽名される男は、謎めいたことを言う。ネフラはまだ生きていますよ、と。


 森と平原の境に造られたニンゲンの砦を壊しているとき、確かによく似た男と遭遇した。ドワーフとアトルムを連れており、創術でアトルムだとの確認は受けたのだろう。ニウェウスに擬装していたと考えられる。ネフラであるはずがない。


 それらのことも調べていたが、分かるのは部外者の適当な憶測だけ。しかもアトルムに対する悪意と偏見に満ちている。アトルムの女がニウェウスの集落に疫病の魔獣をけしかけ、果敢に立ち向かったニウェウスの若長は行方不明となった。その仇を妹の雇った冒険者が討ち、手駒を失った薄汚い妖魔は森の奥へ姿を消したという……


(原種が我らを蔑むのは今更だ。とりあえず今はよい)


 リタの役目は、二十年前イラリオに拾われた恩を返すこと。族長が再生されて戻るまで、彼の理想とその想いが生んだ仲間達を護ること。


 ネフラのことは私情。優先すべき事柄ではないと割り切った。



 ☆★☆★☆★☆★☆



 イラリオの暮らしは、平均的なアトルムの集落より貧しい。ライセンや他の始祖四氏族にあるような先人の遺産がないからだ。それでも何とかやれているのは、リタが稼ぐ冒険者としての報酬ゆえ。通貨は価値を貯めるものだが、そこまでの余裕はない。


 畑を作ろうにも林檎は門外不出。苗木はおろか生の実さえ出てこない。蜂蜜と混ぜた酒かジャム、出入りのドワーフに手土産として持たせたパイなど加工品だけ。ニウェウスもマスカットを育てているが連中は論外だ。姿を見せた途端、殺し合いになる。


 となると考えられるのはニンゲンの作物。目隠しした森の中でも育ち、かつ手間がかからず栄養価は高く、保存が利き、欲を言えば取引も行えるもの。


 試行錯誤の結果、候補は二つに絞られた。トウフとやらの原料になる大豆と、それ自体が甘くて食べやすい芋である。ジャガイモとサツマイモの二種類あり、今回選んだのは後者。名前の由来はニンゲン達も忘れたという。


(まずは場所から。先月受け容れた若者のために幹を貰った一角があったな)


 倒木の群れを見つけたのである。大型の魔獣が暴れでもしたのだろう。


 エルフは自ら進んで樹木を切らない。どうしても今すぐという場合の外は、古材の再利用か自然に倒れたものを選ぶ。森からの贈り物として子々孫々大切にするのだ。


 倒木があるなら、そこに開けた土地もできたということ。砂利を除き土を運べば、もう立派な畑。大豆と芋は条件が厳しくなく、耕すだけで充分な場合もある。


(まずは試し……)


 今年百三十五歳を迎えるリタだが、実は農耕に詳しくない。セシルにいた頃は狩りに出ることが多く、野菜や林檎は友人に分けてもらっていた。とはいえ料理するのは自分の役目、持ち込む鹿肉のことを考えると損したようなしていないような。


(地底に棲むものよ。汝が腹の内を見せてくれ)


 緩やかに土が沸き、塊を泡のように弾けさせる。下から上へと掻き混ぜ、肥沃な土壌を地表に呼び出す。これで作付けに適さないなら客土するというわけだ。サツマイモは痩せた土のほうが育つゆえ、人参などを植えるときのため隠しておいてもよい。


 幸か不幸か、水捌けのよい砂岩質だった。触ってみたのと、少し撒いてみたのとで分かる。種芋を分けてくれた農婦の言を借りれば御愁傷様。芋を育てるのが関の山。


 教わったとおり、種芋を切り分けて砂の中に埋める。そこそこ日が当たり、雨も降るから簡単に増やせるという。秋には大きな実――正確には地下茎の塊を収穫できるはず。大豆のほうは小屋で発芽させてから苗を植えるつもり。あれは見たところ雨風に弱い。


 まだ先のことながら、準備だけはしておこうと計画を練る。


「土は私のところから持ってくるとして……村中の貝殻を集めるか?」


 原理は分からないが、砕いて撒くと作物の育ちがよくなるという。やり過ぎてもいけないため、適量を把握するまで試行錯誤の必要はあるが。


 北の海岸は砂浜がない。採っているとすれば、水場の川原に棲むタニシだろう。


「……あるよ。貝殻」


「!?」


 見当たらない。視線を巡らせると、やがて声の主が木陰から現れた。


 少年である。かなり痩せていた。歳は十二、三。村の外へ出るには少し早い。


 普通の部族なら、だ。普通ではない部族の村が、この辺りには二つある。


「……ブラッドの、子か?」


「……………」


 表情をほとんど変えず、少年はこくりと頷いた。



 ☆★☆★☆★☆★☆



「ここで何してるの」


「見れば分かるだろう。はた――」


 半ば自棄気味に答えかけ、リタは口を噤んだ。


 ブラッドの生業は略奪が主。ゆえに畑を見たことがないのかもしれない。


「…傍迷惑だからな。村の外で精霊と話していたのだ」


 信じたかどうかは分からない。それ以上、追及してこなかった。


「ならば次は、私の番だな。お前こそ何をしている?ここは他所の縄張りだぞ。立ち入るなとは言わないが、小石のひとつも持ち出せば報復されることは知っていよう」


 大袈裟である。役立つものはともかく、使えないものを拾ったところで制裁の対象とはならない。野生の茸や果実なら、充分脅かしたうえで叩き出す。手塩にかけた畑や果樹園の場合はどうするか?それは説明するまでもない。


「…お前に食わせるものなんかないって言うから……」


「言っておくが、ここにもお前にやれるものはないぞ」


 典型的なブラッドの子供だ。大人の奴隷なら使いようもあるが、子供は労働力として割に合わない。知識と技術、体力は劣るのに食べる量は大人と同じ。


 子供が経済的なのは、大規模農場などで働かせる場合だ。周りの真似をしろと言っておけばよく、つまりニンゲン社会の特徴でエルフには当たらない。


 弱肉強食のブラッドの水に染まった者だけが生き残り、そして次の世代にも同じことを言う。生きたければ濁った水を飲め。澄んだ水などあるわけがない、と。澄んだ水は知らなくとも、濁った水を手に入れる方法なら知っている。


「…さっき、何か埋めてたよね」


 内心ぎくりとする。よもや最初から見ていたのか。


「貝殻、要るんだろ。沢山ある場所知ってるけど。それとも誰かに教えたら、腹一杯食わせてくれるのかな……?」


「待て!」


 それとも誰かに。何と何を比べているのか、リタには理解できた。


 畑の場所を言い触らされたくなければ、腹一杯食わせろ。そうしたら黙っていてやる。畑に必要な貝殻が手に入る場所も教えてやる……


 典型的なブラッドの子供。忌々しげに荒く溜息をついた。


「悪いが、本当に今はない。だから、これで満足しておけ」


 小さな包みを放り投げる。中身は塩漬けのスグリと硬い干し肉。


 本日のリタの昼食だ。



 ☆★☆★☆★☆★☆



 少年は本当に遠慮なく、なけなしの食糧を平らげた。


 このままでは昼抜きだ。少年も物足りなさそうだったゆえ、適当にその辺を探る。無論、その間は目隠ししておいた。これ以上村の財産を知られるわけにはゆかない。


「ほら、食べろ。まったく……どれだけ腹を空かせているのだ」


 自分も野苺を纏めて三つ頬張りながら、貪り食う少年を半眼で見下ろす。


「親の顔を見たいものだな」


 言ってしまってから、もしかすると知らないのではと思う。


 親のほうは自分の子が分かるはず。力のない人物なら、捨てざるを得ないか取り上げられるか。違ったとして道具程度に考えるかもしれない。


(親は子を養うものだ。命懸けで護るものだ。私にあの子を託したクレオのように)


 昔のことを思い出し、ちくりと胸が痛む。そうして託された友の子は一緒にいない。戦火の中で離ればなれとなり、見失ったのだ。


 もう二十年になる。生きていれば大人に、現実は土の下だろう。


 食べ終えると、少年は立ち上がってリタを見つめた。何か言うかと思ったが、何も言わない。そのまま振り返り、元来たほうへ帰ろうとする。


 貴重な食糧を貰ったのだ。脅したとはいえ礼くらい言うべきだろう――リタの両親は躾に厳しかった。大人げないとは思うが面白くない。


「お前。名前は」


 小さな肩が震えた。それを見て少し後悔する。名前など次があってこそ。恨みを買ったばかりの相手に、名乗りたいはずがあろうか。


「…いや、いい。もう行け。そして二度と来るな」


 翌日、また畑へ行くと片隅に貝殻が積まれていた。


 思ったより多い。ブラッドの集落は、それほど頭数がいるのか。セシルが持っていた縄張りの一番よいところをせしめたにしても。ゴミ捨て場とはいえ、急にごっそり減れば怪しい。目立つことをしていなければよいが。


 数日は何事もなく過ぎ去った。


 大豆の芽が育ち、そろそろ畑に移そうと考える。サツマイモ同様、あまり追肥は要らないとのこと。選んだ理由は、それに尽きる。


 作業をしていると、また少年が現れた。畑は見るからに畑、もはや言い逃れできない。


「何を植えたの?」


「大豆とサツマイモだ。と言っても分からないか……」


「知ってるよ。昔、母さんが取ってきたことがある」


 親の顔は知っていたらしい。しかも一応面倒を見るつもりはあった。ならば、その親は今どうしているのか。


「そうだ。貝殻の礼を言っておく。ありがとう」


「…別に。いろいろ食べさせてもらったし」


 習慣がなかったのかもしれない。気もそぞろ、だが穏やかな表情をしている。


 少年の腹がぐうと鳴った。今度こそ、ばつ悪そうに視線を逸らす。


「空腹か。それなら――」


「大丈夫。今日は自分で採ってきた」


 ――これを食べろ。先日のと似たような保存食。言いかけたリタの瞳が細められる。短剣の刃を喉元に当てた。


「…え……あ」


「それをどこで手に入れた。答えろ」


 嘘を言えば命はないと目で語る。内容次第では、本当のことを教えたとしても……


「言え。我らの縄張りから盗んだのではないか」


「…う……」


 野苺が零れる。腰を抜かす少年は無視、ひとつひとつ丁寧に拾って口へ入れた。それから再び包みを取ると、目の前に差し出す。


 受け取らない。面倒になり、頭の上から抛る。


「……どうして?」


「盗みはいけないことだからだ」


 短剣をするりと鞘に仕舞う。


「それが真実なら、我々はブラッドを制裁する。しなければならない。だがお前は、私のために集めてくれたのだろう?」



 ☆★☆★☆★☆★☆



 貝殻を砕き、粒状のものを撒く。こうすることで、土の質が変わるらしいのだ。作物が育たなかった場所でも収穫できるようになるという。


 今日は然程飢えていないのか、食べ終えるまでに必要な量の貝殻を割った。


 先日と同様、育ち盛りには足りないのだろう。気まずそうに、だが明確な意思を持ってリタの傍に居座る。


 野苺の場所は知られてしまった。リタ一人で見張るのは厳しいうえ、他の仲間に見つかればただでは済まないだろう。一計を案じ、やがて思いつく。


「働かざるもの食うべからず、だ。手伝えば収穫を分けてやるが、どうする?」


 少年は驚き、だがすぐ納得した表情に変わる。


 抱き込もうとしているのだ。自分の利益に繋がるなら、ブラッドの民も裏切らない。いやブラッドの民こそが誰よりも損得に聡い。


 だが本当に分かっているのだろうか?恐怖による支配は、時に計算を放棄させる。命が惜しくて。黙っていたとバレるのが怖くて。


 殺されておかしくなかった。ここで初めて出会ったときに。


 掌を返されたら?それでも少年は頷いた。捨てられるか裏切られるか、今更もう慣れている。次の乾季まで生きられると思えば悪くない。


「そうか。ならば、もう一つ条件がある」


「……………?」


「どちらかというと決定だな。逆らうことは許されない」


 付け足しておいて逆らうなとは随分な言い種。


「…話が違うよ」


 疑うのは当然だが、でなければ畑が見つかる。無意味な約束になってしまう。


「今日から村に帰るな。お前は、ここにいろ」


「え……」


「私が護ってやる。だから何も心配するな」


 リタには予想もつかなかった。どのような反応が返ってくるか。


 気分を害して去る。そして二度と姿を見せなくなる。


 平然と受け容れる。淡々と働くが、なかなか集落には馴染まない。


 泣いて喜ぶ。心から感謝し、堅実な努力を積み重ねてゆく。


「お、おい……」


「…サユキ。ありが、とう………」


 しがみついてくる。まるで目元を隠すように。


 一番あり得ないと切り捨てた、甘く苦い想像のとおり。



 ☆★☆★☆★☆★☆



 サユキはリタの小屋に来るのを断った。畑を見張っておいたほうがよいから、と。盗みは大抵、真夜中に行われる。暗視の利くエルフでも同じだ。


 木の幹と幹の間に縄の網を張り、刈草を載せて屋根と成す。その下に小さな砂利、大きな石、貝殻の順で積み上げる。敷き詰めると言わなかったのは、なるべく地面に触れる範囲を狭めたからだ。こうしておけば雨が降っても溶けにくい。目隠しの蔓草が寝藁を代替、住みよい環境となったのは単なる偶然。


「本当に大丈夫なのか?」


「寒いのは慣れてるから。誰か来たらリタに知らせる」


 そういうことではない。不審者が現れたら危険ではないかと言っているのだ。


「…やはり集落に」


「いきなり入れてくれっても信じられないだろ。使えるところを見せないと」


「いや……イラリオはそれで成り立っているのだが……」


 甘いと感じるかもしれない。だが、それこそ部族を興したイラリオの理念である。


 さりとて子供のやる気に水を差すのも憚られた。


(今すぐ何か起こるわけでもないだろう)


 まだ作物を植えたばかり。盗人の心配は収穫の季節を迎えてからでよい。


 十日後、その甘さを後悔させられた。畑に侵入者が現れたのである。


 昼間は近寄らず、夜サユキひとりになるのを待っていた。


 賊の狙いは作物ではない。ブラッドを脱け出したサユキ本人。


 少年は、この侵入者に見覚えがある。


「やあっと見つけた……手間かけさせんなって」


 横柄なアトルムの女。一体何を食べたら――いや食べなかったら、ここまで痩せるのだろう。貝殻の小屋で眠るサユキを蹴り起こし、冷たく見下ろす。


 警戒しているつもりだった。よもや鍵を壊されて気づかないなどと。


 前置きもなく、女は威圧的に言い放った。


「帰るよ。美味そうなネタ見つかったから」


「帰らない。俺、そういうのもう厭なんだよ」


 思わぬ反抗に真顔となる。それから激しい怒りを滲ませた。


「は?一人で食い扶持も稼げない半人前が何言ってんの」


「一人前だ。この村で役割を貰った」


 畑の見張りをすること。畑に使う貝殻が雨に溶けて流れないよう管理すること。いずれ信用を得たら訓練を受け、イラリオ部族の戦士となること。


「嘘ね」


「嘘じゃない」


「嘘よ。だってあんた、ヒト殺したことないもの」


 一方的に決めつけ、それを拒む。同じ応答が繰り返された。


 大人と子供、実力差は歴然。そのくせ女のほうが焦って見える。


 苛立っているようだ。蒼褪めているが、少年は最初から落ち着いたもの。


「あたしに負けるようじゃ、半人前だって言ってんのよ!」


 短剣を素早く抜きはらって突き出す。急所を外しているが、当たれば大怪我をするのは確実。サユキはただの子供だ。当然、この攻撃に反応できない。


「……他人が寝ているのに、耳元で喚くとかどういう了見?」


 不機嫌な寝起きの声が降ってきて、凶刃による悪夢を防ぐ。


「誰だ!邪魔すると容赦しないよ」


「う・る・さ・い。だから夜中に騒がないでって」


 それは小さな影、頭や両手足に毛皮を纏っていた。


 いや――毛皮ではあるが纏っていない。元より体の一部だ。二つのエルフ族に先立ち、最も古くからこの島に住まうもの。アトルム、ニウェウス、ニンゲンに小人族。誰も彼らの存在を苦になどしない。


「…野良猫か。ビビらせやがって……!」


「あら。泥棒猫よりマシでしょう?」


 赤い視線が暗闇を過る。


 獣人だ。ドワーフやホビット同様、魔神の秘術で創り出されたもの。


 反撃が空を斬り、獰猛な舌打ちをした。アトルムの女だけではなく、何故かサユキも九死に一生を得たような表情をする。


「惜しい。間合いが違うのね」


「……化物め……!」


 圧倒的な身体能力差。獣人はそれを持て余しているように見える。だが襲撃者も、このまま大人しく引き下がらない。


 霞が立つ。水の精霊によるものだ。姿を隠して再び襲うつもりだろう。



 ☆★☆★☆★☆★☆



 その頃、リタは族長代理の元を訪ねていた。族長イラリオの復元がどこまで進んだか訊くためである。


 代理のヨルマは優れた創術師だ。穏やかな気性ゆえ荒事には向かないが、彼の公平かつ実直な人柄はリタも信頼を置いている。


「……道半ば、といったところだね。最近、マナの集まりが悪いんだ」


「というと?」


「分からない。でも直接的な原因で考えられるのは一つだよ」


 言霊使いの暗躍。連中が言霊を使うほど、礎の女神アウラの精神は消耗する。逆に精霊術は、浄化したマナを取り込むため好ましい影響を与える。


 ちなみに創術と法術はどちらでもない。偉大なる『プレゼンター』の奇蹟は、力の強さと関係なく礎の精神にほとんど影響を与えない。


 例外は、今まさにヨルマ達が進めている精神核の復元だ。生前の情報から肉体と記憶を再現、死者と寸分違わぬ存在を創造する秘法。


 紫煙を燻らせながら、ヨルマは悄然と呟いた。


「もしかしたら、他の誰かも同じことをしてるのかもしれないな……ここ百年、生きていてくれれば状況が変わったはずの方々もおられただろう?」


「ライセンのリド。しかし彼の精神核は見つかっていない。ネロ族長の後継が安泰なら、ここまでニクス共の跳梁を許さなかったものを……」


 他の始祖三部族にしても同様だ。よき後継者に恵まれてこそ、族長達は後顧の憂いなく我が身を投げ出すことができる。『魂消しの魔獣』の秘法は、創術の究極奥儀にして触れるもの全てを薙ぎ払う恐るべき諸刃の剣。


「……あれは最後の手段だよ。戦況を押し返す程度の目的で使うべきものじゃない」


 それゆえイラリオは死を選んだ。ヨルマとリタが復元してくれるものと信じて。よしんばできなかったとしても、二人なら自分の理想を引き継げると。


「君のほうは、どうなった?ブラッドの少年を抱き込んだと聞いたが」


 くっくっ、と面白そうに笑う。


「……ヒト聞きが悪いな。子供を手籠めしたみたいに……今のところ、よく働いてくれている。いや少々、思い詰め過ぎと言えるくらいだ」


「虐めたからじゃないのかい?君は厳しいからなぁ」


 今度は微笑みながら訊く。本気でそう思っているのではない。厳しくしたとしても、それは必要なことだったと信じている。


「それこそヒト聞きが悪いな。躾のなっていない子供に、社会の基本を教えただけだ」


 湯飲みを置くと、囲炉裏の傍から立ち上がった。そして全身を強張らせる。


「…どうした?」


「これは……」


 微かながら、精霊の働く気配がした。少年を残してきた畑の近くで。


 自然なものではない。明らかに意図的な術だ。


 理論家のヨルマは、精霊との対話を苦手としている。一方のリタは七柱の元素精霊及び二柱の現象精霊と契約しており、遠くで起きた事柄も多少は分かる。


 サユキが危ない。見張りの手持ち無沙汰に、少しでも強くなろうと依代の鍛錬をしているのでもなければ。


 若長が矢のように飛び出してゆく。留守番の族長代理は、戦士達に知らせるべく伝令の依代宅へ走っていった。



 ☆★☆★☆★☆★☆



 リタが畑に駆けつけたとき、サユキは潜伏場所を変えるところだった。


 侵入者は自分を狙っている。そして幸いなことに、安眠を妨害された獣人の女が機嫌を損ねて侵入者と潰しあう。ここにいるかぎり、逃げることはできないが不意を討たれることもない。膠着状態にしておけば持たせられると踏んだのである。


「よくやった。しかし、あれは何者だ?」


「分かんないよ。でも獣人のくせに術を使ってた」


「…獣人が、術を?」


 使えないわけではない。だが使うことは滅多にない。優れた身体能力と形状別の特殊能力だけで普通のニンゲンを凌駕するからだ。


 加えて目の前にいるのは猫の獣人。ルーマは名前のとおり飽きっぽく、儲けの噂ばかり追いかける天性の盗人だ。地道な努力を積み重ね、あまつさえ術を身につけるなどと。


「『変わりゆくもの』よ!我に白闇を見通す双眼を」


「『変わらざるもの』よ!viscosity=1.0」


「………?」


 リタは首を傾げる。この声、どこかで聞いたことはなかったかと。


 獣人の知り合いなど他にいない。『姿偸み』の死んだ仲間だけ。


「メリル……!?」


 猫の獣人がぎょっとして振り向く。


「あら?あなた、この子のこと知っているの?」


 字面ほど驚いているようには見えなかった。悪戯を咎められた子供のほうが、まだ慌てるだろう。双子を取り違えた、その程度の気楽さで。


「マズったかしら……では御機嫌よう」


 重さを増していた空気が元に戻る。文字どおり水の中にいるみたいだった。恐らく法術、だが同時に創術も使っていた。それと獣人の姿を一時的に借りたような台詞。


 『姿偸み』が法創術も使えるとは聞いていない。ならば別人なのか。


 霧が薄れてきている。元より精霊に働きかけて生み出したもの。術を継続しなければ、そのうち晴れる。まだ仕掛けてくるか?それとも逃げるか?追いかけて捕えるか?その判断をするために、熱の精霊を宿した。


 視界の片隅にヒト影がある。それが奇妙な動きをした。立ち止まって何かを振り下ろすような。誤解に気づき、咄嗟にサユキを押し倒す。


「伏せろ!」


 二人の上を通り過ぎてゆくものがあった。近くの幹に刺さる、刃渡りは掌くらいか。当たりどころが悪ければ死んでいたかもしれない。


 侵入者は身を翻して去った。牽制が狙いだったのだろう。


「行った……?」


「ああ」


 やはり尾けられていたか。


 ここの畑は使えない。リタが賊なら作物が実ったところで盗む。


 サユキに危険を冒させるつもりはなかった。見張りを続けさせるつもりもない。


 あれを逃がしては駄目だ。恐らく何度でも同じことをする。


(……ツカマエテコヨウカ……?)


「頼む」


 ざわり、と風が哭いた。森は水と土が作り出した闇。それらを友とする者の目からは、何物も隠れることはできない。


(ツカマエタ……)


「案内してくれ」


 風の声が導く。見えざる熱の光を放つ源へ。


 茂みを分け入ってゆくと、冷たいものに絡まれ足搔く温かいものが一つ。熱の精霊を去らせ、色彩を元に戻す。サユキと言い争ったアトルムの女が縛られている。


「意外と若いな……?」


 思わず漏れた正直な感想に、女はリタを激しく睨む。


「何だいあんた。少しくらい術が使えるからって偉そうにすんなよ!」


「事実だ。顔を見れば分かる」


 エルフの年齢は、老いという形で現れない。言動や態度、ふとしたときの仕種。顔の表情は、それらの源たる心の働きを最も端的に表す。


 そして女は水の精霊以外に助力を頼まなかった。白闇の中でサユキの居場所が見えたのだから、熱の精霊とは親しいのだろう。だがそれで全部となると、成人したての見習い――将来を嘱望されながら未だ修行不足の、とある四始祖の直系と変わりない。


「若くないのか?だとしたら怠けているな。見通しが甘いうえに雑だ」


「煩いな!とにかく他人のもん盗るなって!あれはあたしンだからな!」


「サユキは奴隷で、お前が主ということか?…ならば諦めるのだな。食事も満足に与えられない主がどこにいる。お前は主失格だ」


 女は反論できない。黙って見ていたサユキが割り込む。


「その辺にしてやってよ」


 お前を傷つけようとした奴だぞ――視線で訊ねたが首を振る。表情に乏しく意味するところは分からなかったが、別に物騒なことは考えていない。何故この侵入者を庇おうとするのか、そちらのほうが謎だった。


 太々しい態度の女を横目で窺う。


 かなり癪だ。ここは自分の立場というものを思い知らせてやるべきか。


 乱暴に歩を詰めてゆく。それだけでリタのしようとしていることが分かったらしい。賊の表情が一瞬強張り、元の不遜な態度に戻った。隠そうとしているが、本音は怖いのだろう。取り繕いきれていない。


「駄目なんだって!」


「いや。こいつは一発ぶん殴っておいたほうがいい」


 縋るサユキに構わず、背中に反りを入れて思いきり拳を振り上げる。


 だが、そこで振り下ろす場所を失った。


「…メンタル紙で、そのヒト俺より弱いから」


「……言いつけ守れなくなる。ソレ持ってかれたら困るんだよぉ……また虐められる。穴蔵に閉じ込められて、あいつらの気が済むまで、何度も、何度でも……」


 涙を溢れさせ、縮こまって震え出したのである。



 ☆★☆★☆★☆★☆



「そこ。しっかり押さえてて」


「ここかい?」


「ん。じゃあ、行くよ」


 少年の手で木槌が振り下ろされる。小気味よい音を立てて支柱が地面へ潜り込む。


 新しい小屋を建てているのだ。貝殻や他の肥料、道具などを仕舞っておくための。夕立に遭ったら雨宿り、いざというときは見張り用に。


 結局、畑は移転した。場所を知られたこともあるが、やはり村から遠すぎた。謎の獣人もどきがいなければ、少年は賊にやられていたろう。サユキ達に畑を任せることを考えると、誰かが駆けつけられるようにしておかなければ村を離れることもできない。


「次で最後。準備いい?」


「あいよっ!」


 威勢のよい返事に不安を覚え、一旦振り上げた木槌をゆるりと下ろす。


「…本当に?そろそろ何かやらかすんじゃ」


「大丈夫だって!あたしを信じなさい!」


 得意満面の相方を胡散臭そうに見遣る。こうしていても始まらない。最後の一本を打ち込むべく、再び木槌を持ち上げる。


「よし来いっ!…うぁ?ぅあああぁっ!」


 朝露で濡れる草に滑った。支柱に寄りかかってしまい、そのまま倒れる。転んだ粗忽者の頭が丁度よいあたりに挿し込まれた――渾身の木槌が振り下ろされる場所に。


「ちょっ……何やってん……!」


 だよ、と言い切る前に火花が飛んだ。腕が軋むのも構わず引き戻したゆえ、致命傷ではない。だが無事では済まないはず。得物を放り出し、慌てて駆け寄る。


「母さん!」


「…ほぇ~。大丈夫、らいじょう……あらしはれんれんらいじょうぶ……」


 命に別状はないようだ。後で若長に診てもらったほうがよいだろう。半人前のサユキとサツキは、深刻な怪我や病気を治せない。


 くるくるくる、と無駄に三回転して倒れた女を溜息と共に見下ろす。


「……だから言ったじゃん。そろそろ何かやらかすって」


「だってさぁ。何度も上手くいってたし」


「あんたの勘は当てにならないって言ったろ」


 年齢不相応に唇を尖らせる実母をサユキは無碍に切り捨てた。


「そんなんだから誰も認めてくれないんだよ」


「…うぅ。サユキのいけず。ここではちょっと先輩だからってぇ……」


 賊の女は、今もイラリオの村にいる。


 サユキを連れて帰れない以上、サツキにブラッドでの居場所はない。あまり戦士として有能ではない彼女に求められたのは、奴隷を産み育てることだけだった。その管理も満足にできないとなれば、彼女自身が奴隷に堕ちるしかない。元より半奴隷の母親から生まれたサツキは、そうなった者の末路を熟知している。


 気弱な母親は、サツキを救ってくれることなく死んだ。危うく自分もそうなるところだった。しかしサユキは、誰かも分からない父親の気質を受け継いだようだ。自分の意思で動き、自分の身を救い、結果として母親の運命すら変えてみせたのである。


(あんたは、あたしに過ぎた子だよ。勿体なくて涙が出るくらいさ)


 そんなこと絶対に言わない。腐っても母親としての意地があるから。


「あ。若長だ」


「え!?どこどこッ!?」


 俄かに活気づくと、周囲を警戒しながら歩いてくる姿を捉えた。


 イラリオの縄張りに道は少ない。歴史が短いのもあるが、それ以上に身の安全を考えてのことである。


「リタ様、見回りですかッ!?」


「あ、ああ。お前もいることだし一応な」


「感激です!あたしに会いに来てくれたんですね!」


「…いや。まあ……そうだな。どのように考えてくれても構わん」


 明らかに監視なのだが否定はしない。先日の件以来、サツキは異常なほどリタに懐いていた。殺さなかったこと、黙って村に受け容れたことが主な原因である。


 最初は真意を疑ったが、そのうち馬鹿らしくなった。今では若干引き気味というか、率直に言って気持ち悪い。


「あたしの全てをリタ様に捧げます!…何ならコレもお好きなように」


 勝手なことを宣ったのが二日前。言うまでもなく当の本人にぶん殴られたが。


 他の仲間とは普通に話す。ただし女限定、相手が男だと豹変する。族長代理であれサユキに対するのと変わりがない。最初は怯えていたくせに、ヨルマの柔軟かつ鷹揚な性格を知るや掌を返した。傍若無人な母親の代わりに、息子が肝を冷やしたものである。


 まだ怖いのかもしれない。とはいえ時間が解決するだろうと安易に思う。心細さと寂しさによる肌恋しさが、今は唯ひとり頼れるリタに向かっているだけ。


(来年の今頃は、どのように過ごしているだろう)


 ふと考えて笑った。故郷を失くし、族長に拾われた頃の彼女ではあり得ない。今更ながら、随分余裕ができたものだと。


「いいことでもあったんですか?」


 目聡く見つけたサツキが訊ねる。サユキもそれに口を挟む。


「母さんが馬鹿すぎて呆れたんだろ」


「そっかそっか……って、何だとぅ?」


 小突きあう二人を見て、また可笑しくなるが表情は崩さない。


 緩みを正す。畑で騒いだ罰である。


「二人とも帰ったら私のところへ来い。組手を五本、夕餉までに追加だ」

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