閑話休題1 エア=ライセンの日常
オオハラ商店からの帰り、エアとクララは白装束の一団と擦れ違った。
片や会釈、片や視線をはぐらかす。相手のほうも同じ、聖印を見止めて柔和に頷く。あるいは憐れみ、嘲りの嗤いを浮かべもする。
今日は天気がよい。空の彼方を東から西、飛べたらさぞ愉快だろう。
「…悪い人達ではないのですよ。エルフの皆さんも、豊作や狩りの成功を祈ったりするでしょう?」
「私達の偉大なる御先祖様にね」
名をラフィニア教団という。一般にそう呼ばれている。
主神や神々の王ではないが、とにかく至高なのだと分かりにくい教え。これから長い年月を経て、首座に相応しい一柱が選ばれるとか何とか。
傲慢な主張を聞き流したうえで、クララが言いたかったのはこういうこと。
豊穣の女神ラフィニアが守護するのは『豊かな実り』。耕作や狩猟採集、漁撈などの生産労働が含まれる。生きとし生けるもの食を要さぬ命はなく。魔神カスパルを崇めるドワーフでさえ敬意を表すのだから、ラフィニアの従属神から生まれたニウェウスはなおのこと受け容れやすいのではないか、と。
正体を隠しているが、エアはアトルムである。ニウェウスとは不倶戴天の敵、そのことを差し引いてもラフィニア信徒の態度は許せないと思う。
「それだけなら、いいんだけど」
ライセンを襲撃されたときのことが蘇る。
クララは夢見がちな冒険者の暴走だと言った。そのとおりなのだろうが、背後に誰もいなかったとは限らない。昨日捕まえたニウェウスは、本当に部族と関わりがないのか。ラダラムに食糧の手配を頼んだ支援者とは誰なのか?
敵同士ながら、アトルムとニウェウスは共にアウラを崇めている。そしてラフィニア教団が定義する神の中にアウラはいない。
「あいつら、礎の存在そのものを否定するの。言霊で散々頼るくせに、それはないんじゃないかって」
「……彼らは言霊自体、怪しげなものと見てますからね」
怪しげな術の力の源、すなわち邪悪。さも神に祈るような呪文を唱えるが、使う言葉からして魔族の日常語。神の奇蹟は普通、ニウェウス語の符丁を介して行われる。
術の系統を考えるに、言霊は異質な存在なのだ。
「それより許せないのはアトラです」
「へ?……ど」
唐突な否定と断罪に驚く。どうして――言いかけた言葉を飲み込む。
心臓が引き攣る。潜めた声も猛々しい。
「魔神の下僕が自衛なんて。邪悪は根絶、それ以外あり得ません」
「……あはは、は。……ふぅ」
「どうしました?」
「ううん。道は遠いなぁ、って」
☆★☆★☆★☆★☆
「お腹、空きましたよね。うどんでも食べていきませんか?」
「え、でも……」
無駄遣いは戒められている。ウィルが戻ってきたとき、有り金を使い果たしていたら何と言われるか。
「ここのお店は、安いんです。それにちょっと変わっていまして」
変わっているも何も、エアは『うどん』なる食物を口にしたことがない。
いつになく強引なクララ。手を引かれるまま、並んでうどん屋の暖簾を潜る。
元々エアは新しいもの好きだ。友人に誘われれば、誘惑に抗いきれるものではない。
(ちょっとくらいなら、いいよね。いつも遊ばせてくれないんだし)
店内には四人掛けの椅子に座る卓が四つほど、その他に履き物を脱いで上がる植物を編んだ敷物の高い床が囲むように三つ。卓はそれぞれ二つだ。要は一度に四十人食べられるのだが、まだ早いこともあってかエア達の他に客は五人程度だった。
「いらっしゃいまし。お薬味は何になさいますか?」
「刻みネギとみぞれ。二人前お願いします」
注文の仕方が分からない。うどん屋なのにうどんの名前が出てこないのは何故だろう?いずれ初めてのことゆえ、頼もしい先達に任せておく。
うどんが運ばれてくる間、客は手持ち無沙汰になる。長くはないが、それでも腹を空かせている者にとっては結構な責め苦だ。うら若き乙女なら腹の虫が鳴っただけで恥ずかしさのあまり死にそうになるかもしれない。
「あ~……鳴ってる。まだかな?」
「座ったばかりですよ。さすがに」
よくこの店に来るというクララは、エア同様気にも留めなかった。常連はそんなものだという。既にいる客、ちらほら増えてきている客は男。それもむくつけき船乗りや職人、冒険者崩れの浪人者がほとんどである。
「ほら、見てください。あそこに面白い人がいますよ……」
クララが視線で示す先、まだ崩れていない優男がいた。
名をユリシーズという。エア達より半月早く冒険者稼業に足を踏み入れた、なりたての衛兵である。給金の安さを補うため、非番の日は副業に精を出すわけだ。
あまり真面目なほうではなく、しかしヒト当たりはよいため概ね好かれていた。しょうがない奴、というような意味合いだが、まあ恨みに思われることはなかったのである。
(…見つからないほうが、いいよね……)
こちらからは見えるが、彼の陣取る高い床――『ザシキ』からは見えにくい。クララは面白い人と言ったが、その表現は控えめだと思う。
ユリシーズは女好きなのだ。それも無類の。異種族だろうとお構いなしだが、ドワーフやホビットは対象外らしい。初対面のときクララだけ口説かれ、その後ひとりで店にいるときも全く構われなかったエアとしては基準というか原因が気になる。
「お待たせいたしました。うどん二人前でーす」
運ばれてきたのは、親指ほどの太さが皿の上でとぐろを巻くもの。
そもそも麺を知らない。これが普通ではないことにエアは気づかなかった。
「…では、いただきましょうか」
やや拍子抜けした様子のクララ。二本の木串を器用に使って食べはじめる。なかなか豪快であり、エアの中で少女神職の印象が若干修正された。薬味を真っ黒な汁に全て投入、箸というらしいそれを左手に持ち、見よう見真似で口へ運ぶ。
(…え?あ、ちょっ)
不慣れな道具で抓むには、少しばかり重過ぎたかもしれない。うどんはつるりとエアの箸を逃れ、真っ黒な汁の鏡面に激突した。故郷の服なら目立たなかったろう、しかし今は。白を基調とした外出着に赤黒い染みが広がってゆく。
「……………」
「大丈夫です。醤油で染めれば」
エアにその技術はない。できたとしても、どれくらい要るのか。
「……………」
「…ごめんなさい」
それからこの店では、三本に切り分けてうどんを出すようになった。
☆★☆★☆★☆★☆
半分出してくれるというクララを丁重に帰し、仕立て屋に寄ったエアは出来合いの服を二着買った。やはり暗い色は落ち着くと再確認。素性を疑われずに着る口実ができたため、これはこれでよかったのかもしれない。
一度戻れば着替えはあったが、そうしなかったのには理由がある。
クララ以外にも話を聞きたい。普段寝泊まりしている冒険者の店以外の場所で。今日はもう出てこないだろうが、知られるわけにはゆかない。昨日の事件とライセン襲撃の関係を調べていること。両者を結びつけて考えるのは多分アトルムだけだから。
ウィルの指示どおり、まずアトルムが犯人とされている事件の情報。
これが驚くほどあった。疑いようのないものから信憑性が低いものまで。
――二年前。街道筋で茂みから現れた男に七人が惨殺された。犠牲者はとある商会の使用人達だが、どういうわけか小女一名のみ生還。証言によれば物盗りはなく、術を使い殺すだけ殺して立ち去ったという。犯人は極端に膚が黒かった。
昨日の事件と似ている。というか、ほとんど同じだ。
命の懸かった状況、髪を隠せば素人は瞳の色まで見ないだろう。小女を残しているところも、ショウゴの証言と一致する。暗殺者は依頼人が憎む相手より娘の殺害を優先した。
――一年前。魔獣の群れを率いる男達が隊商を襲った。目的は金品や食糧の強奪。皆殺しにされるところだったが、別の隊商とその傭兵団に見つかり未遂に終わる。犠牲者四名と重軽傷者十一名を出した。
これは本物だと思う。目撃者を消そうとしたところ、物盗り目当てのところなどが。
ブラッドは特異な部族で、これほど嫌われていながら人的交流がある。むしろ嫌われているからこその交流だ。
毎年何人か、野蛮で獰猛な部族の体質を嫌った若者が出てくる。一方の始祖四部族やそれに連なる集落からも、掟破りや罪を犯した者が追放される。
そうした連中の行き着く先がブラッドなのだ。ただし弱ければ奴隷ゆえ、外で稼ぐ奴はそれなりと思ったほうがよい。
――半年前。正体不明の疫病がエルフの森に蔓延。原因を魔獣フンババと突き止めたニウェウスの娘から冒険者の宿へ退治の依頼。部族を代表するものではなく、個人の意思によるもの。魔獣は退治されたが、倒した側の冒険者達も一名を除いて全滅。その生存者が語ろうとしないため、何があったのかは不明。
これが一番酷い。フンババという魔獣は、身長が大人の倍を超える。変異の魔獣として生まれるのはヒトと同程度のものであり、異様に弾力のある一つ目一本足の怪人がアトルムの腹から生まれたとは聞いたことがない。
(それでもアトルムのせいにされている。依頼人のニクスが嘘を流した……?)
名前はリーネ。部族と関係なく動いたところが贋アトルムの事件と似ている。
だが違う。女は素性を明らかにした。ニウェウスが関わることを隠していない。
「ありがとね。面白い話、聞かせてくれて」
「御馳走様。楽しんでくれて何よりだわ」
千鳥足を見送る。依代という人種は、やはりエルフに対する防壁が薄い。他の職種とは違う仲間意識のようなものを持っているのだ。
依代とは心であり、ひとつの器を精霊と分け合える共感性が要。ゆえにエルフとて向かない者もいる。他人の言葉を顧みないゼクスなどのように。大半は自らを法創術師と捉え、格別な思い入れはなかった。
昼間は仕事探し、夜はこうして情報収集に努めている。クララは意味深に笑うが、エアにとっては苦しい任務。果汁で相伴しようとすると、酒好きの連中は何故か興醒めしてしまうことが多い。
「…んらァっ!俺の酒が飲めれェろかッ!?」
「そうじゃなくてね?私はお酒があまり……」
「ろっちれも同じらッ!つまんれぇッ!帰る!!」
これでも飲み代はエア持ちである。くだらない男を相手にすると、お足ばかりが無駄に出てゆく。
先輩冒険者達も助けてくれない。田舎から出てきた純朴な娘が都会に馴染もうと励んでいる、だから温かく見守ってやろう――とでも考えているのか。
深い溜息を洩らし、一人でカウンター席に座る。
今日はもう店仕舞いだ。懐はまだ大丈夫だが、徐々に頼りなくなってきている。このあたりでよさそうな仕事を見つけて、ひと稼ぎしなければ。
「ねえハリスさん。何か美味しい仕事ある?短期間で一杯貰えて、おまけに街の偉いヒト達とお近づきになれたら嬉しいかな~……なんて」
ぎょろり、と大きな目が動いてエアを見る。本当は空になったグラスを見ただけなのだが、ドワーフ並みの太い腕を自分のほうへ伸ばされると怖い。
「相棒には振られちまったのか?」
「え!?…な、何のこと?」
ウィルはウゥヌスの調査から戻っていない。ニンゲンの街に出てからはクララと一緒のほうが多かったゆえ、そのような理解に繋がるのか。実際はウィルがエアの保護者にしか見えないことを、彼女はまだ気づいていない。
「あー……いや、うん。ちょっと忙しそうだったし」
「そうか。それならお前さんに丁度いい仕事がある」
それはヒト探しだった。ここ数日で何名か行方不明になっており、衛兵が血眼になって探している。懸賞金まであるのだが、それというのも行方不明者のひとりが新人の衛兵というから驚く。まさかと思いつつ手配書を覗くと、案の定ユリシーズだった。
「…あいつ。本当に何やってるのよ……」
仕事は無期限。ただし犯人がいるなら捕まえたか、行方不明者を保護できたかで支払われる報酬の額が異なる。腕に自信がなければ情報提供だけでも可。さすがにエアひとりだけでは立ち回りが厳しそうだからと、仲間を一人つけてくれるという。
「…あの言霊使いじゃないでしょうね?」
「違うよ。あいつはウゥヌスに帰った。何でも頼めて便利だったんだがなあ」
助っ人は女で、郊外の小さな家に一人で住んでいる。冒険者稼業で家を買うくらいだから、相当な腕利きと予想がつく。
だからといって安心できない。ニンゲンは個体差が極端な生き物だ。絡ぎを取っておくから明日行ってみな、との言葉に不安を隠しきれないエアだった。
☆★☆★☆★☆★☆
翌日。エアは憂鬱な朝を迎える。
今まで気づかなかったが、結構ヒト見知りする性質だったらしい。異種族ということはあるにしても、初めて会う相手がここまで負担になるとは。
ミカゼに頼んで一方的に覗き見することも考えたが、彼女に対してだけは堂々たる態度を崩したくない。自分だけ人生をやり直すのは卑怯だと、偉そうに説教したことが嘘になってしまうからだ。
(あれから会ってないけど……どうしてるかな)
一度帰るという約束も、結局のところ果たしていない。それとは別に村への報告を欠かしているから、兄馬鹿と子煩悩が気を揉んでいるかもしれない。後者はウィルが戻ったら相談するとして、問題は前者のほうだ。せっかく一人の機会が増えたのに、何度呼び掛けても反応がない。礎の女神を害せる者などあろうはずもないのだが。
激しく頭を振って取り止めもない思考を追い払う。
周りに誰もいないときは、ミカゼのことを考えるのが癖になっていた。それほど心配だからだが、今考えても仕方ない。もうすぐハリスに教えられた郊外の家へ着く。どこにいても見ているという友人の言葉を信じて、今はやるべきことをやる。
街道を外れ、エルフの森とは反対側の西に広がる小さな林。そのほとりに住まいはあった。遠目に全体を摑めるほどであり、集落を丸ごと隠すのは無理だろう。すなわち、ここにエルフはいない。群れを持たない獣人や魔獣がいる可能性は捨てきれなかったが。
ハリスが推薦した助っ人は、こんな場所に住んでいる。実力は折り紙付きとのことだが、変人であることも間違いない。
「あのう……ごめんください。『不屈の闘志』亭のハリスさんに紹介されてきました」
返事がない。留守、または居留守でも使われているのだろうか。
「ヒルダさんのお宅ですよね?違うなら違うって、確認できないと困るんですけど?」
「…じゃあ、違う?そう言ったらあなた、どうする?」
「ひゃう!?」
いきなり後ろから抱きつかれた。
女の声である。シェラの演技とも違う、本物の艶。無邪気なようでもあり、同性のエアが聞いても嫌な感じはしなかった。さりとて懐に忍び込まれれば、あまつさえ耳元で囁きかけられたら。怖気を震う以外の何物でもない。
「こんにちは、可愛い妖精さん。私に何か用があるの?」
「…………っ」
すぐ解放されてしまえば、文句を言う気も失せる。それでも口惜しさだけは残った。こんな隙だらけなのに。格闘の初歩も知らなさそうなのに。どういうわけか不意を突かれ、相手の調子に巻き込まれて。この女は一体何者か。
浅黒い膚に量感ある蜂蜜色の長い髪。容貌は原種にしては整っているほうだろう。正直エアとしては安堵を覚える。やや薄いものの、今の自分より百倍馴染む。
「…あなたの名前。どこかで聞いたような……」
「そう?嬉しいな。いい噂?それとも悪い噂?」
「悪くても嬉しいの?聞いたのは間違いないんだけどね……」
ハリスに紹介されてきたと改めて事情を説明する。
ドゥオの街で行方不明者が続出し、その中に衛兵が含まれていること。行政府も本気になっているが、ミイラ取りがミイラになるのを恐れて今ひとつ及び腰なこと。それで便利屋の冒険者へ早々にお鉢が回されたこと。
「なるほどね。確かに丁度いいわ……今日のノルマこれで達成、と」
「へ?」
「気にしないで。こっちのことだから。それよりあなたの名前は?」
ただのエアと名乗った。
エルフに姓はない。出自を明かすときは、母親か集落の名を口にする。ニンゲンを相手に、その必要はないと思ったのだ。
☆★☆★☆★☆★☆
「私、二十七歳。あなた幾つ?」
街へ戻る間も、ヒルダは何かと話しかけてきた。
空気が読めないのである。素性割れを嫌ったエアが構ってくれるなという風情を誘っても、全く意に介さなかったのだ。わざと読まないのでは、との疑念すら浮かぶ。
「…十五です。最近、誕生日を迎えました」
「見た目どおりなのね。エルフさんは違うヒトが多いから」
どうせ別の意味で違うと思ってるくせに、とは言わずにおく。見た目を欺く術があるなら、いっそ顔貌まで好きなように変えられたらと思う。老化しないエルフの歳を読む方法は、表情に出る風格の差を感じ取るしかない。
(…私が族長の域に達するのは……?)
想像できなかった。せめて両親、子供っぽいと言われた父の歳まで九十年。地道に年輪を重ねてゆくしかないのである。
「それで、何か手掛かりはあるの?」
エアが分かるのは、数日前にうどん屋で見たユリシーズのことだけだ。他の行方不明者については、顔も名前も知らない。その若い衛兵とて、どちらかと言えば避けていたから本当に見かけた程度の話である。
ヒルダが前向きな姿勢を見せたのはここまで。あとは任せきりというか、エアが難しい顔をして通行人に訊ねてまわるのを微笑みながら眺めている。何が嬉しいのか、胡乱な視線を向けると満面の笑みを返してくる始末。
冒険者という人種は、変わり種が多い。その中でもヒルダは別格だった。助っ人として呼ばれたのに、仕事を全く手伝わないなど。
そして隙あらば抱きつく。これではいないほうがマシではないか。
「現場百回と言うでしょう?そのうどん屋さんに行ってみるのはどうかしら」
「現場かどうか、分からないけどね……っていうか、こういうのやめてください」
「ええ~?」
本気で拒む前に離れる。だからこれ以上文句を言えない。助言が適確なのも気に障る。エアがユリシーズを見かけたのは、最近ではそこだけなのだ。
名をトシマヤという店に行くと、今日もそれなりに繁盛していた。
「いらっしゃい……あら昨日の。今日はクララちゃんと一緒じゃないの?」
「こんにちは、小母さん。今日は仕事の関係で」
客がいる席の間を通り抜けるのが躊躇われる。赤黒い汁が跳ねるのではないかと、一着無駄にした切ない記憶がエアの足を鈍らせるのだ。
そんな気持ちを知ってか知らずか、ヒルダは悠然と空いた席に腰を下ろす。
「二丁お願いします。支払いは私が持つわ」
悠長に食べている暇はないのだが、それだけに聞き込みのついでというのは効率的。
大人しく座って待つ。うどんが来るまでの間、エア達が来て以降ユリシーズを最後に見かけたのはいつなのか訊いておく。
「あいつ、よく来るんですよね?何か変わったことはありませんでしたか」
女将は困惑の表情を浮かべた。笑ってよいのか心配すべきなのか、よく分からないといった顔つきである。
どうせ女絡みだろうと思ったが、エアの見込みは外れていた。
「いえねえ。何て言ったらいいのか……付き纏われてたのよ。大柄なヒトに」
「それって男?強請りとか強盗」
「違うわ。あれはその……そういう、感じだったの」
意味深な苦笑を浮かべ、ヒルダは納得した様子で頷く。エアにはよく分からない。男が男に金目当て以外で付き纏う。そんなことをして一体何の得があるのか。
うどんが運ばれてきた。一本うどんが細長く三本に切り分けられている。
それ以降、ユリシーズに絡んでいた男は暖簾を潜らなくなったそうだ。どういうわけかユリシーズも。二人に何かあったのか、事件と何らかの関わりがあるのか。
「気味の悪いお客でねえ。何というか……色気があるのよ。外見がアレだから、客足が遠のきはしないか心配だったんだけど」
客の陰口は気が進まない様子だったが、現に他の常連客が行方不明になっている。評議会の依頼を受けた冒険者なら、話してもよいと思ったのだろう。
「ありがとう小母さん」
今度は失敗せず、三本のうどんを胃に納める。前にも来たことがあるのか、ヒルダは元どおりの一本うどんを所望して恙なく食べきった。
「その男のこと、できるだけ詳しく教えてもらえませんか?」
☆★☆★☆★☆★☆
女将の話では、ドゥオ市内の大店に出入りする算用者だという。算用者とは、売り上げや仕入れ、棚卸を計算して店の損益を確定させる仕事を請け負う者のことだ。
算用者には不似合いな体格であり、適当な大店に駆け込んでこれこれこういう男だと言えば出入りをしている店はすぐ見つかった。
その一つにオオハラ商店も含まれていた。娘を狙うサヤマは捕まり、暗殺者のニウェウスも死んだことからショウゴとアユミは元の暮らしに戻っている。ウゥヌスの祖父母の安堵と落胆は……推して知るべしだろう。
仕事そっちのけで娘を愛でていたショウゴは、意外そうに首を傾げた。
「…ゴドフリーさんですか?」
算用者と冒険者。その繋がりを想像できなかったらしい。
「名前は知らないんだけど。大柄で……色気が、あるなら間違いないと思う」
「ああ……まあ、そういう感じではありますね」
言葉を濁す。使用人は気味悪がっているが、間違っても娘に手を出すことはなさそうだから安心して出入りを認めたとか。
「それ、間違いかもしれないよ。他に頼んでる店を知らないかな」
異業種も含めて三軒ほど。ショウゴが知っているのはそれだけだった。塒はどこか、トシマヤ以外に現れる場所は。私生活に関わる情報は一切なし。
「充分よ。急ぎましょう」
「え、でも」
「大丈夫。私に任せて」
エアの手を引いて店を出る。きょとんとして見つめる幼いアユミに笑顔で手を振るのは忘れなかった。
「静かな場所へ行きましょう。ここは少し偏りが強すぎる」
「偏りって……精霊力のこと?」
「ええ。あまりヒトが多いと、その感情に引っ張られて出てこられない子もいるの。エルフのあなたなら分かるわよね?」
そういうものか。少人数のアトルムの村、それも普段は互いの家が見えないくらい離れて暮らしている。言われてみれば初めて出席したウィルの待遇を決める集会のとき、ゼクスやネロ族長ら発言者の感情――精霊の働きが読みにくかったような気がする。
「だから……こういう広い場所でなら」
家が二、三軒入る程度の小さな公園。ここには分化する前の全てがある。
ヒルダを風が取り巻く。光が揺らぎ影を纏う。熱く冷たく。微細な湿気や小石までも彼女と遊びたい、構ってほしいと幼子のように強くせがむ。
元素精霊は八柱と言われる。『熱』『地』『闇』『水』『凍』『風』『光』『火』、最後のひとつを除く七柱までもが味方だった。
ルークやウィルと同じことをしようとしている。友人達に働きかけ、この辺りにいるヒトというヒトを調べてもらうつもりだ。ユリシーズとゴドフリーが一緒にいるなら……ほとんどクロ。ルークは生まれながら全て、ウィルは六柱と契約している。ヒルダのことは知らなかったが、集まる濃密なマナから容易に察せられた。
旋風は嵐となり、豊かな蜂蜜の滝を舞い上げる。そのとき露わになった身体的特徴を、エアが見間違えるはずもない。
(…ハーフエルフ……!)
大きさはニンゲン並み、しかし僅かに先の尖った耳朶。こうなると親しみを覚えた膚の色が俄然意味を帯びてくる。
ヒルダはアトルムの血を引いているのだ。原種とアトルムの親から生まれた子。忌み嫌われる魔族との交雑種が、ニンゲンの社会でどう扱われるか想像に難くない。
「……終わったわ。さ、急ぎましょう」
気負わず微笑む。依代の瞳は、澄んだ湖の淡い色をしていた。
☆★☆★☆★☆★☆
エアとヒルダが手掛かりを摑んだ頃。そう遠くない町屋の奥座敷で宴が催されている。盗賊にヒト攫い、ヒト買いといった外道共の饗宴だ。
一際逞しい、妙に色気のある大男が嘯く。
「…うふふふふふ。俺が思うさま可愛がってあげる。お前は売らないことにしようか」
「ふぐッ!?んむぐんうむぬぐぅ~ッ!」
「大丈夫。優しくするから心配しないで?」
明らかに違う心配をしているユリシーズ。それもそのはず、非番で武装が軽かったとはいえ着ているものを脱がされ、下着一丁という頼りない姿。ここに至るまでどれほどの屈辱を受けたか、涙目で暴れる気力もなくなった様子。
「素直じゃないところも可愛いな。お愉しみは後に取っておくとするか」
大男――ゴドフリーの性癖に慣れているのだろう。配下の連中は何も言わなかった。金になるかならないか、そして自分に類が及ばなければよい。
名の知れた算用者である彼は、今どこの大店が売掛金を回収して肥え太ったか熟知している。加えてどこの小女が見目麗しく、闇に流せば儲かりそう等々。決して自らの手を汚さないことが捜査を惑わせてきた。所謂、嘗役というやつである。
金にしづらい男を攫わせたのも初めてではない。裕福な算用者、それが悪事の片棒を担ぐ理由。やはり表沙汰にできぬ昏い願望を満たしたいがためなのだ。
それにしても、現役の衛兵を狙ったのは無理がある。傲慢と油断は綻びを生み、その綻びが今、勝手口の隙間から無粋な行状を窺っている。
「うぇええぇえ……何て格好してるのよ」
と胸元を押さえ苦しげに呻いたのはエア。別に見慣れているわけではない。
「…このまま見てても面白いよね」
年齢はヒルダのほうがユリシーズより上。あるいは言い寄られたことがあるのだろうか。本気かどうか分からなくて怖い。
「値が落ちるから……そういう、ことはしないんじゃ?」
「うーん……理由はヒトそれぞれだと思うし」
男は労働奴隷、女は観賞奴隷と概ね相場が決まっている。
「踏み込みましょ。応援を待ってたら逃げられる」
「え、でも……」
元々そうすべきと言ったのはエアだ。しかし、さすがに敵の数が多い。ゴドフリーとヒト買いを除いて六人。もしかすると他に護衛がいるかもしれない。
「大丈夫。あなたのこと信じてるから」
その先を続けられなかった。答えになっていない、そもそもいつ応援を呼んだ――言いたいことは沢山ある。しかし今は、勝手に飛び出したヒルダを援護するのが先。
「なっ!どこから」
「静かにしてね?」
ヒルダが手を触れると、見張りの男は動かなくなった。
凍てつかせられたのだ。見ればヒルダの膚、髪、光彩――全身が白く変わっている。
時間をかければ殺さない方法もあったが、悪人の身を気遣って謂れなき被害者を危うくするのは冒険者の流儀ではない。
あと五人。戦力外も含めて七人。幸い、助けを呼ばれることはない。ある程度数を減らしたら、騒ぎを大きくしたほうが有利になる。要は人質を取られなければよいのだ。
(私に同じことができるんだろうか)
原理的には可能である。更に修練を重ね、ルークやヒルダの域に到達すれば。触れただけで全身の体液を沸騰させられるようになるのかもしれない。しかし火傷を負わせる程度の力では、複数の敵と戦うなど無理。依代の腕とは別に優れた格闘技術が要る。
ヒルダの背中を護ること。それが今のエアにできる精一杯だった。
「じゃあ、行きましょう」
言葉を発すると同時に、先程までいた勝手口の扉がひとりでに開く。風の精霊に陽動を頼んだのである。そちらに注意を惹きつけ、二人は正面から乗り込む。不意討ちということもあり、ここはエアも攻撃に加わる。
「あ……」
「ぅうげっ!?つぁああッ!?」
一人は見張り役の男と同じように動かなくなった。もう一人は苦しみ悶え、火傷を負わされた右腕を振り回す。が、致命傷ではない。
「…『混沌の魔女』だ……!」
答えは氷雨交じりの暴風。浴びた者を病ませてしまう。温もりを捨てた蒼白い膚、鋼を思わせる鈍色の髪、沈む泥濘の曇りし瞳。全ての色から赤だけを除き、混ぜ合わせた結果は無数にある。
赤き炎が司るは激情。ゆえにヒルダは怒らない。過剰とすら言える七つの衝動を手懐けつつ、感情表現豊かなひとりの女性を作り上げている。一方、暗き潜熱が宿すは忍耐。足りないものを補うために一つか二つ招き入れるのとは違う。
(…そっか。だからあんな……)
誤解もある。元からヒルダは捉えどころのない性格をしていた。精霊が輪をかけた部分はあるにせよ。言葉より接触を好むのも、抑圧された幼少期の裏返しである。
いずれエアの力は不要に思えた。それがあってはならない油断を生む。
賊の突破を許してしまい、そやつがヒルダの後頭部を打ち据えたのである。足元で呻く蜂蜜色の隙間から、褐色の突起物が覗く。
「あんだぁ?こいつ半魔だぜ」
「そっちのガキはエルフか。依代は金にならねンだよな……」
「少しは頭使えって。身代金て方法があんだろがよ」
皮算用を終えた下種共が雁首揃えてせせら嗤う。三対一なら勝てると思っているのか。術者はいない。動きも鈍っている。これならエアひとりで十分。
問題は人質だ。彼らを盾にされては手も足も出ない。逃げることはできるが、それでは報酬が貰えなくなる。賊は警戒を強め、表に出てこなくなるだろう。
(危険だけど、やるしかない)
ヒト買いには逃げられたが、応援は来ないはず。利益のみで繋がる無頼の仲間意識など、その程度のもの。残るは賊二人と、ユリシーズを嬲っていた算用者。
「ゴドフリーさんよ。あんた、そっちの伝手もあるのかい?」
「ああ。『混沌の魔女』には仲間がいる。二人とも有力者だから、金に糸目はつけないだろう。ただ……」
穢いものでも見るような視線をエアに向けた。
「そっちはニソクサンモンかな。エルフは面倒なんだよ……大切なお得意様を悩ませることはあるまい」
古の言葉を使ってまで侮辱する。
我慢の限界だ。そして今は、これ以上我慢しなくてよい。
(怒れ。起これ。興れ。熾れ……!)
幻の都で力を借りたときは、気持ちを重ね過ぎた。
今度は大丈夫。自分を投げ出したりしない。狙う獲物を、仇為す敵を、不甲斐ない自分を内なる炎で灰に帰せ。恥ずべき過去は死に、新たな未来が生まれ変わる。
「お、おい……」
異変に気づいたようだ。熾火の瞳、陽炎の揺らめき。
「止めろ!させるな!」
一斉に襲いかかる。だが、もう遅い。
焔が舞う。賊共に纏わりつき、腰から下を焦げつかせた。死に至らしめる程ではないが、足止めには充分。肉の焼ける不快な臭いに皆が閉口する。のたうち回る三人と、不慣れな精霊に手を焼くエアを除いて。
「…あ、う………?」
神宿りにはなっていない。周りの状況も解る。どこか他人事だが、手足は動きそうだ。言葉を話せるまで戻れば、ヒルダを起こすこともできる。
エアが一歩踏み出すと、算用者は恐怖のあまり気絶した。
賊二人が悲鳴を上げる。かえって注意を惹くが、このときは幸いした。それでヒルダの意識が戻り、瞬時に状況を察したのである。
☆★☆★☆★☆★☆
「…レヴィアタン。行って」
水の精霊は、そう呼ばれる。巨大な海蛇または竜に見える者が多いという。噂に聞く『ウンディーネ』なるエルフの変異種を見る者もいるが、数としては少ない。
火と水の精霊力は相反する。同時に内包するのは難しい。無理に押し留めようとしない限り、優勢となった一方が残る一方を追い出す。
「…戻っ……た………?」
肩で息をつくエア。へなりと床に座る。
微笑むヒルダは俯せのまま。あの一撃が余程効いたか、顔を上げるのも辛そう。顎を床に乗せ、視線だけでエアを捉える。
エアもつられて笑った。言いたいことはあるが、協力して上手くいったのは嬉しい。
が、その幸せな気持ちは瞬く間に萎んでしまう。親しみの正体と、それが持つ意味を思い出したのである。疲労も忘れて立ち上がり、誘拐された者達の元へ歩いてゆく。そして半裸の間抜け面を見つけると、乱暴に猿轡を毟り取った。
「な、何だよ?」
「ここで見たこと聞いたことは他言無用。余計なこと言い触らしたら」
上着の襟を締め上げる。だが下を穿いていないため、あまり効果はなかった。
「んなことしねぇよ!?評議員を敵にできるかって」
格好を何とかしようにも、折悪しく賊共の下半身はエアが焼いてしまった。そもそも助けられたのだから、怒るのは筋違いである。
「公然の秘密なんだよ。知らないのはお前が新参者だからだろ」
「なら訊くわ。評議員じゃなかったら、どうなってたのよ?」
沈黙。そしてここには、冒険者と衛視以外の被害者もいる。
「ほら見なさい!」
生まれではなく彼女のしたことを恩に着てくれたら。だがヒトの口に戸は立てられない。だからヒルダは、それ以上何も言わなかった。
「いつまでも閉じ込めてたら悪いわ。そろそろおうちに帰してあげて?」
図ったように衛視隊が現れる。風の精霊に頼み、ヒルダが呼んでおいたのだ。
潜入に失敗したなどと下手な言い訳をするユリシーズ。よもや自分が狙われたとは恥ずかしくて言えまい。いろいろな意味で危ないところを救ったのだから、報奨金の手配はしてくれるだろう。催促する気はないが、もしかすると自腹の上乗せも。
ヒルダに肩を貸し、ヒト攫いの隠れ家を後にした。
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夢見心地の音色が囁く。
「思い出したわ。母さんの話……私の父さん、火を扱うのが上手かったって」
ヒルダの両親は、父がアトルムで母がニンゲンだったという。
「でもね。身体の色を変えてた。ニウェウスのふりをしたアトルムだったの。それが分かったのは、いつの間にか父さんが消えて私が生まれた後だった」
「…お父さんのこと、恨んでないんですか」
「ほんの少しだけ。二十年前の大戦で死んだ、そう思うことにしたの」
死者の責任は問えない。問うても役に立たない。それが親なら尚のこと。結論によっては有害ですらある。
「稼ぎはあった。でも半魔の子を庇いきれるほど強いヒトじゃなかった」
リトラに渡ってきたのは十三年前。母が心を病み、自ら命を絶った十四歳のとき。エルフが全員リトラの生まれと知り、下働きという名の奴隷を求めていた武装商船の船底に潜り込んだ。危うく本当に売られそうになったが、依代の才能があったらしく光と闇の精霊達がヒルダの姿を隠したりヒト買いの足を踏み外させるなどして助けてくれた。
エアにはそこまで詳しく言わない。母と死に別れ、当てもなく父の故郷へ渡ってきたことさえ伝われば充分である。
ヒト混みに紛れて暮らす。そう考えたとき、父譲りの膚は不安だった。事情を知る故郷の人達は、忌み嫌いこそすれ石持て追おうとはしなかった。よくも悪くも大雑把な船乗り達と違い、臆病な街の住人はヒルダを殺さずにいてくれるのか。
ドゥオの街に着いてからは、母譲りの髪が役立ってくれた。
蜂蜜色の髪をしたアトルムなどいないからである。尖った耳を隠し、頭巾の類を被らず髪の色を強調すれば白人種と黒人種が混血したエレン人と見てもらえる。そもそも魔族のアトルムはニンゲン社会に出てくるはずがないのだから。
「でも結局バレちゃった。最初は上手く隠してたけど、ひと月もしないうちに」
セラ教の神職には、そんなこともあるわな、で済まされた。世事に長けた短剣使いは、衰えて俺達より先に引退することはないわけだな、と。
それから順調に成功を重ね、財も成し、名声や地位まで手に入れた。仲間は他にもいたが、生き残った三人とも今はリトラ行政府評議会の議員を務めている。このときエアは、どこでヒルダの名を聞いたのか思い出した。
四人いる評議会の有力者のうちの一人。エルフ社会なら若長に匹敵する権威だろう。しかし態度を変える必要はないと、悪戯好きの魔女は首を振った。
「あまり行かないの。ヒト混みは苦手だから」
ならば何をしているのか。実績があるとはいえ、タダ飯を食っているわけではあるまい。名誉職に甘んじる者を、有力者とは呼ばないはず。
ヒルダの仕事。それは森から出てくるエルフ達と会うこと。一人ずつ全員と話し、生活の不便はないか、揉めごとに巻き込まれたりしていないか確かめること。
滞在するエルフの総数は二十五名、毎日一人ずつ会えば一月足らずで全員と会える。定期的に顔を見せ、何するでもなく世間話。もし困っていれば、今日のエアのように助けることがあるかもしれない。
「どうして?」
「秘密。教えたら意味ないもの」
治安上の理由だ。それも内向きではなく外向きの理由。アトルムとの混血と明かしたときの反応、それが全てを物語る。本当はどちらなのか、聞き出すまでもない。
「報酬は折半。それ以上受け取れません」
「うん。じゃあ、いただきます」
笑った。触れるほど近く、エアの瞳を覗き込んで。
「今度はお酒に付き合ってね。甘い香りの妖精さん?」