イヤフォンジャック
イヤフォンが壊れたのは突然だった。
その日、ラウンジでいつもの如く居眠りしていた俺は、耳元のシャカシャカと元気な音楽に目を覚ました。
お気に入りの曲だ。ノリが良いのにしっとりと歌い上げる男の美声は、まさに魂の叫びのようだと感動したことを覚えている。
俺のマイブームであるポップな洋楽を聴きながら寝ると、夢見が良くなる……気がする。耳にはよろしくはないだろうが、寝起きはちょっと良くなるのだ。
だが、その日は突然ブツリと何か弾ける音がして、音楽に沈んでいた俺の思考は歌と共に描き消えた。しかも一回だけじゃない。何度も何度もブツブツと、途切れ途切れに俺の耳を圧迫してきたんだ。
曲を掻き消すほどの容赦のない音量の異音に俺は驚き、ゾワっと背筋が総毛立って慌ててイヤフォンを取った。
あたりには拙い、だが楽しそうな軽音サークルの練習音が流れてきている。本人たちは楽しければそれで良いようで、週に一度、気持ちよさそうにギターをかき鳴らしては歌っている。いっそカラオケでやってほしいと思うのは俺だけでないはずだ。
隣のテーブルにいた渡井も、ヘッドホンでそれをシャットアウトしながら、謎の雑誌を広げていた。よく見るとワイヤレスヘッドホンで、買うつもりはないのに漠然と羨ましいと感じた。
俺のはそんなに良いものじゃない。良く2年も使えたと思う。
一応、もう一度耳につけてみたが、今度は何の音も聞こえなくなっていた。
だから、仕方ないと思って財布だけを手にすぐ近くの購買に行った。安物の良いところは、壊れたらすぐそこで躊躇なく買えるところだ。
丁度同じものが売っていたため、何となくそれを買った。特に意味もない小さなこだわりというやつだ。
ラウンジに戻ると、席を立った俺に気付いた渡井が不思議そうに俺を見ていた。
「しのくん。イヤフォン壊れたのか?」
「ええ。何も聞こえなくなっちゃって……」
渡井は眉根を寄せ、変な顔をした。
「今日は何も付けずにイヤフォンしてたじゃないか」
――え。
その瞬間、寝落ちする前に渡井に笑われたのを思い出した。
俺のイヤフォンは、スマホと繋げるのに専用の端子が必要だった。なのにそれを忘れてしまい、ほかにプレーヤーなんて持ってない俺は耳栓代わりにそれをつけていたのだ。
でも、俺はそんなバカなと思った。軽音サークルの人とは違うめちゃくちゃ良い声だったし、たしかに俺の楽曲プレイリストにはその曲が入ってたはず。だから、渡井が悪戯したんじゃないかと思った。
でも……
「俺は何もしてない」
こういうことに関して、この人は嘘をつかない。それに、そもそもワイヤレス派の渡井が専用端子なんて持ってるわけがない。こうなることをあらかじめ予測して……というのも無理な話だった。
それで、俺は机の上に無造作に置かれたままのイヤフォンを見た。そのコードは、机の下に向かっている。
イヤフォンを手に、コードを引っ張ってみると……するすると何の抵抗も重みもなく、接続部分が顔を見せた。もちろん、何にも刺さっていなかった。
――あの時、俺は何を聴かされていたのだろうか。
軽音サークルの調子っ外れの声が響く中、俺はあの陽気な男が何を歌っていたのかすら完全に思い出せなくなっていた。楽曲プレイリスト見てもどれのことだかわからなかった。
ちなみに、イヤフォンは壊れていなかった。
その後、渡井が新しいの買うからとヘッドホンをくれたため、俺の買った2個目は完全に無駄になってしまった。
今でも捨てられずに俺の家で転がっている。