ご近所付き合い
渡井の借りてるアパートは、築3年くらいでしかも広く、立地も良くてとても綺麗である。
さぞやお高いのだろうと思って、俺は下世話な話をしてみたことがあった。
「家賃? 三万だよ」
「はあ? そんなバカなことあります?」
「バカなことでもないぞ」
さぞやめちゃくちゃに割の良いバイトをしてるのかと思いきやそうでもないらしく、もしや本当にそんな激安家賃なのかと俺は目を丸くした。
「もしかしてこの部屋で誰か亡くなってたり……」
事故物件というやつだ。オカルト好きな渡井ならばあり得る。そう思うと、今いる渡井の家は決して安全な場所ではない……俺は少し身じろぎした。
「残念ながら違うんだな」
何が残念なものか。
「そんなことになったら英が近付いて来れないだろ。だから割と気を使って探したんだぞ」
「そこは気を使えるのになんで肝試しとか連れてくんですか……」
「大丈夫だ。マジで嫌がってたらあいつは来ない」
大丈夫ではないとは思うが、頭の中に嫌そうな顔をしながらも懐中電灯や夜食なんかを人数分持ってきてくれる人物が浮かぶ。
とてもツンデレには見えないのだが、そういうことなのかもしれない。
「じゃあなんでこんなに安いんですか?」
「なんでって、そりゃ……」
渡井の言葉を遮るようにチャイムが鳴る。
噂をすれば、コンビニに行っていた英だ。その手にはアイス入りビニール袋……渡井が早速飛びついた。
「いやーありがとな」
「……公正公平なるじゃんけんだからね。仕方ないよね、うん」
徒歩五分圏内とはいえ余程暑かったのか、滝のような汗に目も据わっていて、少々危ないところだったらしい。急ぎ水を持って行くと、ゴゴゴゴとエライ音を立てて飲み干した。
「なあ……見たか?」
「……そんな余裕あったと思う?」
「良かったじゃねえか」
訳のわからない会話に首を傾げる俺を尻目に、渡井はニッと笑った。
「それじゃゲーム大会始めようぜ」
「うおおおおおお!」
「○ねえ!」
「おまえがし○え!」
もう一度言おう。これはゲームである。
ここまでリアルで白熱した格ゲーは初めて見た。渡井はともかく、英までこんなに荒れるとは思わなかった。
早々にKOされた俺には、必死で脳内ご近所さんに頭を下げるしかできない。
「ぎゃああああ!」
「ふっ……まだまだだね」
渡井の悲鳴をバックに、俺はトイレに立つ。
廊下を進んだ先、玄関扉の磨りガラスから、西日がバッチリ入ってきていた。日当たりの良すぎる部屋である。
白から橙に変わる光に目を細めた俺だったが、視界の隅に異物を見つけて足を止めた。
暗い色の何か……手で日差しを遮って、玄関すぐの天井に目を向ける。白く綺麗に壁紙の貼られた天井だが、扉の上に一点だけ黒っぽいシミができていた。
――雨漏り? いや、ここ三階建ての二階だし……。
雨が吹き込んできたのかとも思ったが、雨が降ったのは一週間も前だ。それにしてはどうも色が濃くて、滲んでから時間は経っていないようだった。
だから、これは上から滲んできているのでは、と考えた俺は、急いでトイレに向かってから、リビングへと引き返した。
「渡井先輩、玄関の天井、なんか滲んでません? 上の住人ですか?」
「んー?」
次のゲームを選んでいた渡井は、「ああ!」と何かに気付いたように楽しそうに笑い出した。
「ごめんごめん。そういえば話の途中だったな」
「まさか、まだ話してなかったの?」
察しがついたらしい英は、少し非難するように渡井を見た。
「タイミング合わなかったんだよ。それでな、しのくん。あれはうちに何かするわけじゃないから放っといて良いぞ」
「は? ……シミに何か?」
「そう。この部屋の家賃はあのシミのおかげでまあ安いんだが……実は一番安いのはこの上の部屋だ」
「上で、何が……」
「玄関で、ストーカーに刺された」
つまり、あのシミは……。
「壁紙を貼り替えても変わらない。まあそういうこと」
渡井は何でもないことのように言って、「次だ次ー」とまたゲームを漁り始めてしまう。
俺の頭は取り残されたように停止してしまった。
「上の部屋には、先月から変わり者の刑事さんが住んでる。他はみんな引っ越しちゃったんだって」
英だけ、俺の心情を察してくれたのかポツリと話してくれた。
「玄関のドアを必死で閉ざしたり、電話を勝手に使おうとしたり……そうやって、まだ頑張って逃げてるんだ」
「え……?」
「僕、よく見るんだよね。……外をふらふらと、たまにドアを叩く人影」
その後、ぷよ○よで初めて俺は優勝して、勝鬨を上げた。……騒がしくした方が、上にずっといる住人にはありがたいのかもしれないと思って。