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山衣かぞえ唄【み】

「あの時、助けてくれたのは姉ちゃんじゃねえのかよ……?」


 うろ覚えだが、彰人は覚えていた――誰かの背中に揺られて山を降りたことを。

 姉でないのなら、あれは誰だったのか。その誰かは、山を降りられなかったのか。

 何故山に入ってはいけないのかもわからずじまいだ。危険は危険でも、子供だった彼が生きて帰れるレベルなのだからそこまで用心するほどではないのでは、とも思う。


 ――確かめてやる。


 早朝。空は白んできたとはいえ、藪深い山の中は懐中電灯がなければ進むのは困難だ。

 それを見てとった彰人はふと、首を傾げた。

 山に迷い込んだのは、夜だったはず。何故、明かりもない中、あの"お姉ちゃん"は彼をおぶさって山を下ることができたのだろうか。


 ――記憶の中を、ぼんやりと何かが光っている。


 そういえば、そこには小さな光が、いくつも舞っていた。あれが足元を照らしていたのだろう。

 聞いたことはないが、もしかしたらこの山には()()がいるのかも知れない。それか、きっと彼女は懐中電灯でも持っていたのだろう。

 そう結論付けて、彰人は歩きだした。

 山に入るのはこれが二度目となるが、一度目のことなんてあまり覚えていなかった。

 じっとりとシャツが体に纏わりつくのが気持ち悪い。さらには藪蚊まで纏わりつく始末だ。

 ゲンナリとしながらも、なけなしの記憶を探ってみる。しかし、山なんてどこの景色も似たり寄ったりで何もわからない。

 三十分も歩けば、何だかよくわからない虫の声にさえもイライラし始めていた。


 ――そういえば、あの時は虫の声も聞こえなかったような気がする。


「あーくそっ」


 しかし、それだけだ。どれだけ歩いても何もない。……もう良い。潮時だろう。

 彰人はくるりと来た道を見る。

 予想はしていたが、収穫ゼロどころか疲れと痒さでマイナスとくればボヤかずにはいられなかった。


「……やっぱ、祭りの日じゃねえとダメか」


 しかし、あの姉の鬼気迫る表情を思い浮かべてしまうとそれも躊躇われる。

 自分の朧げな記憶を探ろうと言ってくれた怜矢たちには悪いが、やはり山に入るのはこれきりにすべきか。

 考え事をしていると、つい足を止めてしまっていた。それに気付いて、また下山しようとした時――


「……?」


 がさりと、遠くの茂みを何かが動く音がした。

 体が強張る。


 ――獣……熊か? 鹿か?


 あるいは()()()()か。――後で思えば馬鹿馬鹿しいが、この時確かに彰人は真剣にそう考えていた。

 ピリピリと身体の毛が逆立つのを感じる。

 そっと、自分の体が隠れそうなくらいの木の影に身を寄せた。……木まで生暖かくてじっとりとしているように感じた。


「……なる……か?」


 誰かの声が聞こえてくる。

 ――なんだ、人か。

 ホッとしたのも束の間、こんな場所に、こんな時間にわざわざやってくるようなやつが自分以外にいるのかと考える。

 結果、彰人はじっと息を殺し続けた。


 足音――やはり複数人いるのか、会話しながら近づいて来る。


 ――武器が、せめて鎌があれば……。


 邪魔な草木を刈り取るための鎌は、本来なら山歩きの必需品である。しかしこの辺りにもう山に入る人はいないのだ。どの家庭にも、もう置いていなかった。

 足音はもうすぐそこに来ていた。……どうやら男が三人いる。せめて女ならば、無理矢理逃げられたかもしれない。

 男たちは付近をうろうろと歩き回ってるようで、一人だけ、彰人の隠れる木の側に近づいて来た。


「……この木かも」


 ――見つかったか。


 そう思って、彼はますます身を縮こませた。

 恐る恐る乗り出そうか、それとも一気に駆け出してしまうか――しばらく悩んでいたが、次いで聞こえた言葉に耳を疑った。


「ああ、やっぱり……りさちゃんだ」


 ――……誰だ?


「背中にもう一人いるね」

「ずっとここにいたのか……後の二人も、同じようにまだここにいるんだろうな」

「嘘だろ……本当、なのか」


 他の二人の声も近づいて来る。

 彰人は混乱していた。侵入者が他にもいるのか、りさとは誰なのか、もう一人は彰人のことなのか……それとも、本当にヤバい薬でもやって幻覚でも見ているのだろうか。


 パニックになっていた彼は、男が自分を覗き込んでいたことに気付かなかった。




「へえ。君は戻ってこれたのか」


 男三人のうち、二人はすこぶるイケメンだった。ムカつくくらいイケメンだった。

 一人は柔和な笑みを浮かべた、一言で言うなら綺麗な顔。もう一人は、少々近付き難いつり目だが、笑うと一気に人懐こくなるカッコいい顔。

 そんな二人に挟まれた残りの一人は、大柄で角張った顔つきの、がっしりした男だった。体格が良く、一番男らしいともいえる。

 そんな濃い見た目の三人に囲まれた彰人は、居心地悪く身じろぎを繰り返していた。


「んで、一緒にいた"お姉ちゃん"だけいなくなった。しかも、それがどこの誰なのかもわからない」


 つり目の男に頷く。


「そりゃまた変だな。特徴とか、年齢とか、何でも良いんだが、覚えてることはないか?」

「え、と……姉貴と間違ったから、多分八歳くらいで……」


 その人の姿形は実に朧げだ。どちらかといえば、その周辺の小さな光のことが頭に浮かんだ。


「――蛍みたいな光が、周りに」


 見えた、と続く言葉が思わず途切れた。

 それまで、柔らかく笑っていた両サイドの二人が真顔になっていたからだった。美形の真顔はなんだか迫力があって怖い。

 視線から逃れるように見た真ん中の厳つい男は、真顔ではなかったものの、複雑そうな顔をしていた。

 一人だけ何もわからず、置いてけぼりの気がした彰人は少し苛立った。


「……それが何なんすか。第一、なんでアンタらはこんな山に?」


 少し刺々しくなったのは許してほしい。


「……君と似た理由だよ」


 優男が呟いた。

 視線は落とされたままだ。


「僕らも、昔お祭りに来た。そこで友達の女の子が消えたんだ」

「りさは俺の妹分だった。同じように、弟分だった三人も消えた……あいつらは悪ガキだったからな。りさは多分、三人を追って山に入ったんだろう」


 誰にも言わないで――地を這うような低い声で語った厳つい男は、目を細めた。


()()帰ってこなかった。それから、俺たちは訳あってここを離れてたんだが、何度か示し合わせて山に来てたんだ。今の君と同じようにな。だが、誰一人、痕跡すら見つけられなかった」

「……でもさっき、りさちゃんって呼んでなかったか?」


 男たちは目配せ――いや全員が優男の方を見ていた。

 しばらくすると、優男は半ば諦めたように頷き、つり目の男が改めて彰人を見る。


「なんで山に入ってはいけないか、わかるか?」


 ゆったりとした声に首を振る。

 誰に聞いても「危険だから」と言うばかりで、いまいち釈然としないのだ。


「山神が木を数える日だからだ」


 ひーのふーのみー……


 よーのいーつむー……


 なーのやーのこー……


「山に入り、間違って木に数えられたら……そいつは木になる」


 ――嘘だろ。


「そんな……百歩譲っても、人間と木を間違えることなんてあるわけ……」

「山神の基準なんて、人間にわかるもんかよ」


 つり目の男は吐き捨てるように言った。


 ――そんな理由で、山は立ち入り禁止なのか。


「俺らも最初は知らなかった。誰も教えちゃくれない……いや、細かなことまでは知らなかったんだろうな。それでずっと()()()子供を探してた。だから見つからなかった」


 まさか、まさかとは思うが……。


「木、を、見つけた、なんてことが……」


 恐る恐る、彼は振り向いた。

 先ほどまでピッタリと身を寄せていたそれは、まっすぐな木とは言い難い。少し曲がっていて、ボコボコとしていて――見れば見るほど、そこに人の顔が、そしてまるで、誰かを背負っているかの如きシルエットが浮かび上がって来る。

 その木の生暖かさを思い出し、彰人は再び背中が粟立つのを感じた。


 ――気のせいだ。そんな馬鹿な話、あるものか。


 呆然とする彰人の耳に、再び地を這うような低い声が響く。


「信じなくても良い。あくまで俺たちがそうだと思っているだけだからな――これでやっと、二人見つけてやれた」


 恐る恐る視線を戻すと、厳つい男は口を歪めていた。――笑ったのだと気付いたのは、隣のつり目の男が、これまた口を歪めるように笑ったからだった。


「かってえ笑顔だな。その不器用なとこは全然変わんねえ……泥まみれで他人の家の塀に擦り寄った犬のことを誰にも言えなかった、なんてこともうないよな?」

「ねーよ。……お前らなんて別人レベルに変わり過ぎだろ」

「ええ? 俺、まだ割と可愛いままじゃね?」

「うるせーぜんっぜん可愛くねーよ。いたいけな少年の純情を弄びやがって……」


 二人は笑ったまま軽口をきいていたが、そこにはどこか無理矢理明るくしたような、ギクシャクとした空気が漂っている。

 その様子を見るに、彼らは確かに怪しくはあるが、ヤバい薬か何かを決めてるわけではなさそうだった。

 それを見て一人苦く笑っていた優男は、目を白黒させる彰人に気付いて穏やかな微笑に切り替えた。


「君を助けた蛍のお姉ちゃんは、りさちゃんだよ」


 小声で囁く。

 自然と綺麗な顔が寄せられて、思わずぞくりとして身をひいてしまった。


「だって、あの子は蛍の浴衣を着てたんだ」




 山に入ってはいけない。

 山神様がいるから。

 唄を聞いてはいけない。

 山神様の唄だから。

 唄を聞いたら、逃げなさい。

 間違ってかぞえられないように。




 彰人は山を仰ぎ見た。

 残り二人を探しに行った男たちの言葉を信じたわけではない。オカルトなんてやはり眉唾だと思っている。

 だって、何をどう考えても信じられないのだから。それは仕方がないのだ。


 それでも、想像してみた。

 山を覆う豊かな緑の衣が、これまで何人取り込んできたのか。取り込まれた人々は、まだあそこに――これからも木として生きていくのだろうか、と。


 彼の頭が、小さく下げられた。







 ――華奢だった君は、明るく男らしくなったね。

 ――悪戯好きな君は、綺麗で柔らかくなったね。

 ――拓ちゃんは強く、逞しくなったね。


 見つけてくれて、ありがとう。

しのくんはいない

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