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呪い返し

一週間長かったなあ(棒)

「渡井先輩、あの、ちょっと良いでしょうか」

「……何? そんな改まって」


 気味が悪い、とばかりに引き攣った顔で俺を見たその人は、ラウンジでご飯の真っ最中だった。おいなりさんと温蕎麦という日本人丸出しのメニューには心惹かれるものがある。

 思わずお腹を押さえた俺は、ぐっとそれらから目を逸らして真剣にその顔を見た。――すると勢いに押されてか、さらに身を引かれてしまった。

 距離が離れたため、少し声を張るしかない。


「お、お知り合いに、お祓いできる人いませんか?!」


 張り過ぎた。

 渡井だけでなく、近くに(たむろ)していた数人がぎょっとしていた。


「なんかあったのか?」


 途端に心配そうな顔になった渡井に、俺は声を潜めてことの次第を話して聞かせた。




 さて、始まりは講義室で寝そべって、いつも遅れてくる教授を待っていた時のことだった。


「君……東雲くん、であってるか?」


 浮上した俺の意識は、聞き馴染みのない声に「?」を浮かべ、眩しい目を擦って相手を見た。


「そうだけど……えっ」


 俺の頭はとことん鈍い。その顔を認識した途端にポカンとアホみたいに口を開けていた。


「よかった。俺、名越っていうんだけど……」

「えっちょっとま、えっ……?」


 ――昨日雑誌で見た顔だ……。


 俺はまだ夢でも見ているのだろうか。だが、確かにそこには読者モデルの名越がいた。

 なんだろうか。ただのイケメンにはないこれは芸能人オーラだろうか。伊達と思われる野暮ったい眼鏡でも、キリッとした切れ長の目は隠しきれていない。

 雑誌では澄ましたような無骨さが印象的だったが、ここにいる名越は確かに人間らしく表情を変えていく。


「……もしかして、俺のことは知ってるけど、俺がこの大学だってこと知らなかったか?」


 悲しいかな、苦笑する彼に俺は黙って赤べこに徹するしかない。

 この大学は顔面偏差値上げてどうするのだろうか。何人かが底上げしているだけで、実際はほとんどのやつは俺みたいに冴えない赤べこだというのに。


「まあ、学部違うからしょうがないな」


 そんなことを言って、彼はあっさりと隣に座った。俺は身を引きながら、必死に口を回す。


「あ、あの、そんなお方が、何の御用でしょう……というか、なんで俺のこと知ってるんですか?」

「なんでって、君、渡井とかいう変な先輩と仲良いだろ? あの人目立つから、君のことも知ってる奴は知ってるぞ」


 「イケメンのオマケ」として見向きもされてないと思っていた俺はしばし愕然としていた。そんな俺の阿呆面を名越は面白そうに見ている。


「……あの、渡井先輩なら、大抵ラウンジに行けば会えますが」

「なんでそこであの人が出てくるんだ。俺は君に話しかけてんのに」


 名越はさらに面白そうに笑う。


「まあ確かに、本当はあの人にも話したいところなんだが、あの人と並んだら目立ってしょうがないだろ」


 そういえば、と俺は名越を上から下まで眺めてみた。

 モデルなのに服は黒一色の地味な物だし、手には帽子まである。……もしかしたら、騒がれるのは得意ではないのかもしれない。


「俺が伝えれば良いんですね?」

「……すまん。溝口教授はさっき事務方に捕まってたからもうしばらく来ない。今話すよ」


 申し訳なさそうだった名越だが、切り替えたのかさらに声のトーンを落とし、真剣な顔で話し出した。


「実は……俺には妹がいる」


 こんなキリッとしたイケメンの妹なら、綺麗系美人だろうか。

 そう考えて、俺は申し訳なさが出てきたーー自分の妹に。


 ――妹よ。兄がこんな破れ鍋のような顔ですまん。でもお前は綴じ蓋より断然可愛いと思うぞ。


「俺に似ず大人っぽい、冷静で物静かな子だ。それが最近やけに沈みがちで、高校を休むようになったんだ。風邪にしても様子がおかしいし、真面目な子で今までサボったこともなかったから心配でな……」


 逸れた思考を、俺は慌てて引き戻す。

 名越兄も雑誌に出ている分にはかなり大人っぽかったのだが、流石に言わないでおく。


「それは……確かに心配ですね……」

「ああ。もしや高校で何かあったのかと思うといてもたってもいられなくて、問い詰めた。そしたら……」


 彼は少し言いにくそうに俺を見た。それから再び周りを見ると、取り出したノートに何か書き出す。


『呪われてる』


「……これ、妹さんが言ったんですか」

「ああ。突拍子もなくて、流石に信じられなかったが」

「こう言うからには、何か変なことが起こってたんですか?」


 いくらなんでも、実害もなく呪いだと言い始めるわけがない。


「最初は些細なことだったらしい。ペンが無くなったり、本当にちょっとしたこと……例えば躓くことなんかが増えたりな」


 彼の妹はおっちょこちょいなのか。


「でも段々エスカレートしていって、席を外した隙にお金が消えたり、信号待ちしてる時に背中を押されて道路に倒れ込んだそうだ」

「押されたって……」


 おっちょこちょいな妹イメージはあえなく霧散した。こうなると、明確に犯人がいることだろう。


「怪我は? それに、犯人は……」

「間一髪、車が避けてくれた。……ただ、周りには誰もいなかったと言うんだ」

「そんな」


 ――本当に誰もいなかったのだろうか。相手は自転車に乗ってて、押してすぐいなくなったのではないか?


 俺にはどうも呪いだとは思えなかった。

 それは兄も同じだったらしい。


「もちろん俺は気のせいだと言った。……気のせいじゃなかったら、まあ……」


 ――いじめだろう。しかも酷くなっている。


 名越は苦い顔をするに留めているが、その拳は強く握られて白くなっている。


「でも、妹さんはそれを、その……だと思ってる?」


 『呪い』と言う言葉をこんな場所で発するのが嫌で、さらに声を潜めて吐息だけを吐き出した。

 名越はそれを察して頷くに止める。


「口数が少ないから誤解されることはあるかもしれない。でも、あの子は優しい子だ。そこまで疎まれるなんてあるわけがない。あって良いわけがないんだ」


 名越は強く言い切った。


「……それでも、藁人形が届いたんだって、泣きながら見せられた時は衝撃的だった。妹の名前が書かれてて、釘が刺さってた」


 そこまでするとは、どうも根が深そうだ。しかも、実際に呪いをかけてるというよりも、それを見せつけることで精神的に追い詰めようとしているように思える。

 きっかけはわからないが、犯人はかなりの恨みを持っているに違いない――そう口を開こうとした俺だったが、名越の方が早かった。


「で、だ。その、ここからが本題なんだが……」


 俺が中途半端に開いた口を閉じると、彼は口籠もりながら申し訳なさそうに言ったのだ。





「俺にお祓いできる適当なやつを紹介してほしいって?」


 渡井は呆気に取られて、まだ湯気の立つ蕎麦を伸ばしていた。

 俺も気分は同じだ。とても信じられた物ではない。なんというか、まるで狐につままれたような感覚に囚われている。


「その道の……ええと、いわゆる本職の方には失礼なお願いなんですけど」


 つまり、名越妹の持っている「呪いだ」という思い込みを解くために、形だけでもいいからお祓いをして欲しい――これが名越兄のお願いであった。

 そして、如何なオカルトサークルと言えど、モデルより激レアな職業人たちへのツテを持ってそうなのがこの渡井という人しか思いつかなかったというのだ。


()()()()()()()()()? それじゃ根本的には解決してないだろ」


 確かに、元々は名越妹へのいじめに端を発している。そこは名越兄もわかっていた。


「いじめの方は、名越が妹さんの友達に色々連絡をとって探ってるみたいです」


 俺なんかはすぐ他の大人に頼るべきと思ったが、名越はいじめの実態もわからない今は調査するしかないと言った。


「問題は妹さんの方で、完全に怯えちゃって部屋からも出られなくて、ご飯もあまり食べてないみたいなんです。この状況だけでもなんとかしないと……」


 何の話も聞かされていない母親も憔悴し始め、名越兄は藁にもすがる思いだったのだろう。今思えば、まさか渡井に光明を見出すなんて余程焦っていたようだ。


「まあそれなら簡単だが……」


 そう言って、渡井は財布から千円札……いや、同じ大きさの、何か模様の描かれた紙を取り出した。


「これ、妹さんに渡して。持ってれば呪いは効かないからって」

「まさか、いつもこんな怪しげなお札持ち歩いてんですか!?」


 思わず声を上げると、また周りの人が胡散臭そうにこちらを見る。

 渡井は居心地悪そうに身じろぎした。


「怪しげなんて言うなよ。それじゃないと多分効かないからな」

「は……まさかこれ本当に呪い解けるんですか?」

「ちょっと違う」


 そう言って、蕎麦を諦めた渡井は頬杖をつく。


「相手が藁人形なら、こっちも()()()()()()()じゃないとな。『呪いなんて効かない』と思い込ませるには、それなりに効果ありそうなものの方がいいだろ?」


 ひらりと揺れたそのお札には、達筆過ぎて読めない言葉に、赤い模様の判が押してある。どこぞの神社の御守りがこんな感じだったような気がする。

 そして、とにかく受け取ろうとしたのだが、それはあっさりと俺の手をすり抜けた。


「え?」

「これと引き換えに、その藁人形持ってくるように言っといて。こっちで処理するからって伝えてな」


 処理――それらしいことを言ってはいるが、恐らくその本音は違うところにある。


「……欲しいんですか?」

「欲しいね」


 あっさりと渡井は認めた。いつものように人懐っこい笑みを浮かべて。


「今回の件では、思い込みこそ呪いの正体だ――不可思議な現象が起こった上に藁人形が届いたから、その子は呪いを信じ切った。これで些細なドジも全部呪いのせいだ。おめでとうおめでとう」

「褒めてどうすんですか」

「褒めてねえ。讃えてやったんだ。どうせ三日天下だろうから」


 首を傾げる俺に、渡井は視線を落として言った。


「呪いが思い込みならまあ……な」


 そしてとても悲しそうな顔をした。

 そこにあったのは決して思い込みなどではなく、確実に伸び切った蕎麦だった。




「おはよう。東雲」


 翌週、名越は同じ講義室の同じ場所に来た。

 周囲の視線を感じながら、俺は名越に向かって手を上げる。

 俺のお気に入りの窓辺の席は、今や周囲に名越の友人を名乗る人が増えて落ち着かないのだ。とばっちりを受けたような気分になっていたところ、名越が同じ歳と知って喜んで敬語をやめた。


「それで、あれからどうだったんだ?」

「御守り持ってなら高校行けるようになった。いじめらしき被害も出てない」


 名越は肩の力が抜けたのか、座るなりだらりと机に身体を伸ばした。

 それにしても、渡井の出鱈目な嘘は効果があったようだ。名越はもちろん、それが本当にお札の効果だなんて信じてはいないだろう。


「で、あれは結局なんなんだ? 適当に書いてもらったやつとは思えないんだが」

「……金運のご利益のある神社で買ったお札だそうな」

「金運」


 そう。普通は家に飾っておくだろうお札だった。

 それをあの人は何を考えたか――いやお金が欲しかったのだろう――財布に忍ばせていたのである。

 それを知った名越は必死に笑いを堪えていた。


「今度、お礼を言わないとな……ついでに宝くじでも買って行くか」

「是非。最近どうもお財布の機嫌が良くないみたいだから」


 あれから家電が壊れたり、後輩にたかられたりしたことで、すっかりヘソを曲げたらしいお財布が金を吐き出しまくっていたのだ。

 これこそ何かの呪いに違いないと嘆いていたが、英曰く、日頃の行いが悪かった結果らしい。

 ますます笑いが止まらなくなった名越は、それから数分してやっと落ち着いた。

 その頃合いを見計らって、俺は気になっていたことを聞いてみた。


「そういえばさ、何で渡井先輩に頼んだんだ?」

「どういうことだ?」

「もっとちゃんとした神社に行ったら、そこで妹さんの思い込みは解けたんじゃないのか?」


 名越は真顔になった。何か思案しているようにも思える。


「……」

「……名越?」


 しばらく名越は黙っていたが、やがて根負けしたようにため息をついた。


「すまん。その通りだ。……実は、ギリギリまで悩んでたんだ」


 相談するかどうか、神社に行くべきかどうか、だろうか。


「これをやってもらえるツテがないかって聞きたくてな……俺は本当は、あの人を笑えるような人間じゃないんだ」


『呪い返し』


「おお……」


 名越が紙に書いたそれに俺は慄いた。

 かなり物騒な相談をするつもりだったようだ。確かに、神社でそんなことしてくれる気がしない。

 だが、呪いを返された方がより悲惨な目に遭うと聞く。それを知ってて返すなら、それは呪った方と同じではないか。それに呪いはまた返ってくるかもしれないのに……。


 だが、俺には「やめろ」なんてことは言えない。

 大切な家族が、酷い目に遭わせられてる――俺が同じ立場になった時、そして、目の前に呪いに使っただろう藁人形があったなら……やってしまわない自信がなかったのだ。

 今、その藁人形は渡井の家にある。持ち帰って何をしているのかは知らないが。


「でも、私怨のために赤の他人にそんなことさせるなんて烏滸がましいだろ。だからやめたんだ」

「……そうか」


 名越は、無骨な印象から勝手に思っていた通り、男らしいさっぱりとした男だったのだ。俺はまた勝手にそれを尊敬した。

 名越は、そろそろ教授が来るだろう講義室の扉に視線を向けた。


「あんなもの信じてなかったが、これで良かった。本当に感謝してる。例え犯人がいなくても……」

「ちょっと待ってくれ。結局、いじめの犯人は見つかってないのか?」


 俺はひどく驚いた。それでは解決してないも同然ではないのだろうか。

 俺の視線を受けながらも、名越は遠くを見たままで、ぼそりと呟く。


「実は、通学を始めた妹と入れ違いで、交通事故に遭って入院した女子がいる」

「……」

「困ったことに、俺が協力を頼んでた妹の友達だ。……考えたくはないが、思えば妹が学校に行かなかったあの日、真っ先に母でも妹でもなく()()連絡してきたし、あれからちょくちょく家にも来るようになっていた」


 俺は、嫌な想像に苛まれる物憂げな表情のモデルを見た。

 親しい友人の兄……妬みか、羨望か。向けられる方は、しかもそのせいで妹が傷付けられたかもしれないと考えると、その苦しみは俺には想像もつかない。


「……まだわからないじゃん。事故なんて起こる時は起こるものだし、そもそもその子がいじめてた証拠もないんだろ」


 そう言うのが精一杯だった。

 名越は「そう、だよな」と歯切れ悪く再び机に突っ伏す。


「でも、変なんだよ……その子、誰かに押されたって言ってるけど、周りには誰もいなかったらしい」


 それは――


「名越くん……思い込みだよ。きっと」

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