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水面で待つモノ

ほんのり女性向けのかほり

 ――や、しのくん。どうした?


 ――なんでもない? なんだよ、つれないな。なんでも言ってごらんなさい。優しい先輩が応えてあげよう。


 ――英と最初に会った時のこと? あんまり記憶にないな。


 ――川に遊びに行ったのは覚えてる。一人で行ったら怖い思いをして……いや英と一緒だったかな。とにかく泣きながら家帰ったことだけ覚えてるぞ。


 ――川といえば、別の意味で怖い思いをしたことははっきり覚えてるな。……聞きたい?




 あれは、中学の時だった。あの頃は思春期真っ盛りで、俺も英も女子に遠巻きにヒソヒソ話されたり告白されたり、環境が変な方向に変わった。

 男子も男子で距離取るやつも出てきちゃって、俺たちはクラスで半ば孤立してた。

 それで、俺たちはいつも一緒にいたんだ。


 事が起こったのは、修学旅行の班行動の時だ。班ごとに、京都を自由散策するっていうな。

 まあ俺は気が気じゃなかった。

 何故って、当時の担任がいらん気を回して、俺たちをバラバラの班にしたから。

 俺はいいよ。多少は男子の友達もいたし、女子とは当たり障りなく距離を取れてたから。

 でもアイツは人見知りで、今みたいな笑顔装備もなかったから、ますます居心地悪そうだった。

 最終的には、見てられなくて友達に謝ってアイツの班を追いかけた。


 英の後ろ姿を見て、声をかけようとした時、アイツは何故かふらりと横道に逸れた。

 一人でだ。班の一番後ろにいたから、前の連中は誰も気付いてなかった。


 仕方なく、俺もその後を追った。そしたらアイツ、あろうことか後ろも見ずに全力で逃げやがった。


「英っ!」


 声かけたけど、聞こえてなかったなアレは。

 ひょいひょいと曲がりながら逃げていくアイツを見て、俺はどこか行き先があるのかと思った。動きに迷いがなかったんだ。

 でも、碁盤のような街並みの京都でくねくねと動き回られちゃ流石に見失う。


「あっつぅ……くそ、アイツ覚えてろ」


 六月とはいえ、京都は暑かった。滝のような汗が目にきて、視界がぼやけて大変だった。


 ――めちゃくちゃ走った後の感覚って独特だよな。


 空気は熱いのに、思い切り吸い込んだ肺はちょっと冷たい。湿度高いのに喉はからから。それでいざ生唾を飲み込もうとしたら咳き込むし、何より自分が熱を発してる感覚。

 でも、だからといって追いかけない選択肢なんてなかったからな。適当に曲がって、とにかく名前呼びながら進んだ。

 小さな公園もあって、そこで休んでるかと思ったけど見つからない。

 ヤバいかもって思ったよ。アイツもこんな暑いのに全力疾走してたんだから、どこかでぶっ倒れてるかもしれないってな。

 とりあえず公園近くの自販機でスポーツドリンク買って、また探した。ここまで来るともう勘だ。

 まあでも、この時ばかりは自分の勘の良さを心の底から自慢したかったね。


「英!」


 案の定、ふらふらのアイツが遠くに見えたんだ。

 でもおかしいんだよ。脇腹押さえて、左足引きずってて、それでも止まらなかったんだ。


 なんだかよくわからないのと安心したのとで、俺は最初ゆるゆる走り出したけど、またすぐ全力疾走になった。

 あの時の走りが自己ベストかもしれない。


 ――アイツ、すぐ隣の柵を越えようとしてたんだ。


 左半身を庇うように、柵に右手をかけて体を持ち上げて……柵を越えるというより、鉄棒の前回りみたいに、体を預けてそのまま前に落っこちそうな感じになった。

 柵の向こうに何があるのかはわからなかったけど、頭の中が一瞬白くなって、次にビービー警報が聞こえたよ。

 もう必死になって飛びついた。熱いアスファルトに押さえつけたのは悪かったと思ってるけど、あの時ばかりは許して欲しいところだ。


「何してんだよ!」


 とにかくありとあらゆる罵詈雑言吐きまくった。

 まあ気の抜けた顔してたな。でも顔色は、真っ赤でも真っ青でもない、土気色になってた。


「おぇっ」


 そしてアイツは、あろうことか俺の顔見て吐きそうになってた。身体が限界だったんだろうけど、流石に失礼だろ。

 人が吐いてるのは流石に見たくなくて、柵の向こうを確認してみたんだ。そしたら、そこは川だった。いや、用水路といった方がいいかな。

 肝が冷えた。

 見るからに浅そうで、下はコンクリ固め。そこそこの高さで、まず頭から落ちたらひとたまりもないだろう場所だった。

 一通り吐いたアイツを木陰に引きずってスポーツドリンクを渡したら、ようやく落ち着いたよ。俺が。


「なんだってこんな場所であんな馬鹿なことをしてたんだ?」

「……わからない」

「はあ?」

「わからない。自分でもわからない……」


 土気色から真っ白になった顔は固まってた。だから、嘘じゃないなって思ったんだ。あんな余裕のない顔で嘘なんてつける男じゃない。


「自分が何してたのかは覚えてるよな?」


 頷いた。


「行かなきゃいけないって、思った。どこかわからなかったけど、とにかく走り続けて……」

「身体は大丈夫なのか?」

「今は。でも、あの時は……身体の左側が痛くて、熱くて……冷たいところに行こうとしてた」


 それが、あの用水路だったってわけだ。


「水面を覗いたら……男がいた。僕を、呼んでた」


 若干震えてた。あんなアイツを見たのは初めてだったな。


「でもあれは、あの顔はーー僕だった」

「……」


 こんな時、なんで声かければいいのかなんてわからなかった。今でもわからない。


「……帰ろう」


 とりあえず、人のいるところに行けば大丈夫だと思ったんだ。


 ――あれ? よく考えたら「戻ろう」って言うべきだったんだな。なんだ、それでか。アイツ呆けたような顔でしばらくマジマジと俺の顔見てたんだ。


「見惚れてんじゃねえぞ」

「……お前気持ち悪いな」


 ーー酷くない? ね、酷いよねアイツ。


「でも、まあ……ありがとう。流石に死ぬとこだった」

「ほんとだよ。もっと讃えろ」


 引き攣った乾いた笑いが返ってきたよ。……おい、しのくんまで笑うな。


 戻る時、公園の近くを通ったんだけどな。それまで全然人いなかったのに、その時は何人か集まってたんだ。老人が多かったな。

 花束持ってて、何かと思った。


「ここは、空襲があった場所なんだよ」


 そこにいた爺さんが教えてくれた。


 ――京都に空襲なんて知らなかったか? 俺もだよ。


 重要な文化の残る地だから、被害を免れたとばかり思ってた。でも京都にも空襲はあったんだ。

 最初は気付かなかったけど、その公園には慰霊碑が立ってたんだ。


 ――1945年の、丁度その日だったんだ。意味深だろ?


 アイツの左半身が痛んだのは、そういうことじゃないかと思ってる。


 ――話はこれだけじゃ終わらない。


 流石に、班行動中に二人も消えたんだから大事になってる……と思ったんだ。でもな。


 ――何故か、俺たちはずっと()()ことになってた。


 訳がわからなかったよ。英の班の子に聞いてみたけど、強張った顔で「ずっといたじゃないか」の一点張り。


 ――俺たちの代わりに、一体誰が参加してたって言うんだ。





 ちなみにその後、告白回数が減った。不思議に思って女子にしつこく聞いてみたんだが……。


 ――俺たち、何故か修学旅行で逢引きしてたことにされてたんだよ。


 いや、あれもめちゃくちゃ怖かった。あのギラついた目は今でも忘れられない……。

友人の命の危機と、思春期のとある「目覚め」という恐怖のダブルコンボ。

そして意図せずヒロインになってしまった英。

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