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チリチリ

 ――指がチリチリする。


 初めに意識したのは、ベッドに転がってぼんやり動画を見ていた時だった。

 左手の人差し指の腹のある一点。そこがなんだかムズムズチリチリする。痛くはないし麻痺しているわけでもないが、何か小さなものが皮膚の上を這っているような感覚。

 俺は、気にはなるが特に不快にも感じなかったために放っておいた。そんなことより、妹に食べられたプリンのことを考えてモヤモヤしていたのだ。

 再びプリンを買って帰る頃には消えていたから、それからしばらく忘れていた。


 次は講義中。

 試験前だというのに講義が全く耳に入って来ず、落ち着かない手でリズミカルに机を叩いていた時だった。

 人差し指の腹、やはり同じ場所がチリチリとして、俺は手を止めた。

 マジマジと指を見たが、やはり虫の類はいないし、腫れやできものもない。

 親指の爪先で突いてみたが、チリチリした刺激に埋もれて特に何も感じない。

 もう少し強い力で掻くように擦ってみたが、一時的に感覚が消えるだけですぐにまたチリチリし始める。

 数分くらいモヤっとしていたが、その後は佐渡講師の安眠魔法の呪文のお陰でなんとかなった。無事に起きた時には、佐渡もチリチリも綺麗さっぱりいなくなっていたのだ。


「神経になんかあるんじゃね? 知らんけど」


 話を聞いたぶっきらぼうな友人の言葉は目に染みた。




 三度目は、ラウンジでお菓子を食べている時だった。

 ポテチを摘んだ人差し指がチリチリし始めて、思わずポテチを取り落とした。


「気をつけろよ」

「……すみません」


 ぱっと見た左手に何も無いのを確認して、俺は人差し指が触れないようにしながらティッシュを取り出した。

 それを使って床のポテチを回収しながら、俺は内心ため息をついていた。原因はチリチリだけではない。


「渡井はまだ来ねえのか。英でも良いけど」


 この、俺のポテチを貪る山本という留年常習者のせいである。噂によると俺の四つ上だが、日々飲み会や合コンに勤しんでいるとのことなので今年も留年だろう。

 どうやらその合コンで「え、〇〇大(俺の大学)なの? 噂のイケメン二人連れてきてよ!」と言われたらしい。

 山本本人としては、参加されたら女の子全部掻っ攫われる可能性が高く御立腹のようだ。

 それでも本人達を訪ねてきたのは、知り合いであると女の子に見栄を張るためではないかと俺は睨んでいる。

 ただし、二人の目撃情報の多いラウンジにいたのは、お菓子を食べる後輩の俺だけ。山本は不機嫌な表情を隠そうともせず、勝手に俺の前に座り、俺のお菓子を食べ散らかしながら待つことにしたらしい。


「来る時もあれば来ない時もありますから……」


 おどおどとそんなことしか言えない俺に山本は舌打ちした。




 ――チリチリする。


 貧乏ゆすり、仰々しいため息、眉間の皺、ジャラジャラとしたアクセサリー。見れば見るほどチリチリする。

 山本に、こっちを睨んだ掃除のおばちゃんに、肝心な時にいない先輩たちに……そしてあの二人が合コンを嫌がると分かっていても何も言えない俺に。

 心がざわつくままに指の腹に爪を突き立てると、チリチリしたものは少しだけ治る。しばらくそうしていると、不意に山本がラウンジの入り口に目を向けた。


「東雲くん」


 俺は救われたような、悲しいような気持ちで英を仰ぎ見た。いつもの笑顔は、警戒からか少し硬く感じる。


「よう、英」

「……誰ですか?」


 馴れ馴れしい山本に、怪訝な顔で反応した英はその後も何か話している。俺は内心で英に謝りながらも、意識は何故か指に向かってしまっていた。


 くっきりとした爪の跡は、チリチリをピリピリに変えてしまっていた。やり過ぎたのだ。

 今度はそっと撫でてみたが、今更優しくしても無駄、と言わんばかりにその刺激もピリピリ来る。

 どうすれば良いのかわからないが、とりあえずややぬるくなったペットボトルに指を押し付け、少しでも、と冷やしてみた。


 ――もぞもぞする。


 本当に何かが指の腹にいる……いや、皮膚の下を蠢いているような感覚だ。つい想像してしまい、ぶわぶわと鳥肌が立って指を離すしかなかった。


「……くん」

「はえ?」


 ふと顔を上げる。指に気を取られているうちに、目の前には山本ではなく英が座っていた。山本の姿はどこにもない。


「あれ? 合コンの話は……」


 もう終わったのだろうか。おずおずと聞いてみると、英は眉間に皺を寄せる。


「行かないに決まってる。連絡先だって教えるもんか」

「ですよね……すみません」

「君が謝ることじゃないよ。あの様子じゃ東雲くんが何言っても聞かなかったろう」


 だから留年なんてするんだ……吐き捨てた英は落ちていた視線を上げる。その目は流れるように俺の指を映した。

 不自然にも一本だけピンと立てられた人差し指――俺はなんて誤魔化そうか迷っていたのだが、英はお構いなしに俺のその指を掴んだ。


 ――こんなことやるの渡井先輩だけだと思ってた……。


 このゆびとまれ状態で固まった俺は、悪戯が成功したような顔でニヤリと笑った英にますます困惑するしかない。

 渡井と中身が入れ替わったんじゃないのかと半ば本気で思っていた。


「凄いねえ。とんでもなく収まってないよ……余程、居所が悪かったんだね」


 そう言って、英はするりと指を解放した。


「居所って……」


 人差し指は、もうチリチリしていない。


「虫だよ」


 それからも、たまに体の一部がチリチリすることがある。それはホコリの所為かもしれないし、神経が過敏になっているのかもしれない。

 だが、俺は気分転換をする合図だと、努めて休むようにしている。

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