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月の夜晒し

 ――月の夜晒(よざら)し知らで着て、今は夜神の供をする。


「知ってるか?」

「え? いや全然……」


 オカルト好きな渡井がつむいだその唄のようなもの。おそらく、今しがた通った場所に関係しているのだろう。


「さっき歩いた道は、昔は六道の辻と呼ばれてたんだ。あの世とこの世の境道だとな」


 そんな道が本当にあるのならば、道を作ったのは誰だろうか。

 そう呟くと、左を歩く英がなんとなく硬い顔で言う。


「人も獣も……みんなが歩けばそこが道になるんだよ」


 誰ぞの名言、格言だったもの。漠然とカッコいいと思っていた言葉だけに、その裏にぞわりとしたものを掻き立てる。


「ま、実際は墓地へ続く道だったんだけどな」


 何でもないようにあっさりとネタバラシした渡井は、少しばかり消沈していた俺を見てニヤリと笑った。


「ん? もしかして怖かった?」

「……怖くはないですよ」


 あんなので怖がっていたら、俺はこの二人と行動していない。

 実際、民家の並ぶ道には点々と街灯が付き、満月と張り合っている。あたりにはどこかからテレビの音と、お父さんらしき誰かの笑い声聞こえている。

 ここは寂れた感じのない、暖かな下町なのだ。怖いと言う感情は込み上げてきたとしてもすぐに消え失せる。


「そうだな。良い場所だよな。……でも、万人がそう思う訳じゃないし、人ってのは変わるもんだ。それが、月の夜晒しさ」


 昔々、ある男に嫁いだ娘がいた。しかし、日が経つにつれ娘は何となく夫が嫌になっていく。


「なんとなくっすか」

「なんとなくっすよ。しのくん」


 初めは小さなことだった。くちゃくちゃ食べるところ、話し方、声……果ては顔を見るのすら嫌になる。

 しかし夫に何か落ち度があったわけでもなく、娘は離縁を言い出すことができない。そこで娘は、村の老婆の元へ相談に向かった。

 娘が何か言う前に、老婆は娘に覚悟を問う。こっくりと頷いた娘に、老婆は言った。


「月の綺麗な夜に虫の蛹から糸を紡ぎ、月の綺麗な夜に布を仕立て、月の綺麗な夜に着物を繕って、月の綺麗な夜に夫に着せなさい」


 ただし誰にも見られないように、ね。

 娘はやり遂げた。

 真っ白な美しい着物を嬉しそうに身につけた夫は、ふらりと家を出て行ってしまって、それきり戻らなかった。

 しばらく一人で過ごしていた娘だったが、なんとなく気になって、再び老婆の元へ行く。


「月の綺麗な夜に、あの六道の辻に立ってなさい」


 言葉の通りにすると、ふらりと白い着物の男がやってくる。見ると何と、それは夫だった。

 夫は娘をチラリともせず、何かを口ずさみながら辻を歩いて行く。


「月の夜晒し、知らで着て、今は夜神の供をする」





「渡井先輩は、その男を見たかったんですね」

「まあね」


 それに、英と俺は連れてこられたのだ。

 ーーいや、しかしそれなら俺が一人で墓場まで歩かされたのはなんだったんだ。

 文句を言おうと頭ひとつ高いところにある顔を見上げると、街頭に照らされた顔が遠くを見つめていた。

 なんとなく言い淀んでしまったその隙に、渡井は呟いた。


「月の綺麗な夜限定でやるにはどれもとんでもない労力と時間がいる。なんとなくで嫌いになった割に、娘の思いは根が深かったな」


 再び、ぞくりと総毛立つ感覚が剥き出しの二の腕を襲ってくる。

 人間の怖さを垣間見た気がした。

 

「これは呪い話であると同時に、異類婚姻譚の一種ではないかと言われている。男は、月の夜晒しを着たことで夜神に婿入りしてしまったのだ、とな」

「でも、俺たちが見たのって……」


「女だったな。首だけの」


 辻の茂みの向こうに、顔だけ浮かぶように佇んでいた女。何の感情も見えない視線は、ぼんやりと道の向こうに向かっていた。

 あれは幽霊だろうか。だとしたら、何故あそこにいたのだろうか。


「……あの世に行こうとしてる人か、夫の姿を見にきてる娘、でしょうか」


 頭の中には、推理という名の妄想が広がる。

 ーー人は、失った時こそ大切なものに気付くのだという。

 夫をおかしなものに連れて行かれた娘は、自分の行いを後悔していたのではないだろうか。だから、夫の行く末が気になって、あそこへ立つようになった……。


「とか、どうでしょう」

「だったら面白いけどなぁ」


 せっかく念願の「お化けらしいもの」を見たと言うのに、渡井は苦く笑うだけだった。

 その反応に俺は少しムッとした。我ながら名推理だと、その時は思ったのだ。そして英はどうか、と様子を見ると、こちらは何故か呆れたように俺を見ていた。


「東雲くん……君はともかく、こいつに幽霊なんて見えるわけないでしょ。それに、僕の目にははっきりと黒いワンピースが見えた。だから顔が浮かんでるように見えただけで、あれは歴とした生きてる人だよ」

「俺はともかくって……全く、ひでー言いようだな」


 渡井の笑いが乾いたものになる。

 でも、と釈然としない俺は首を傾げた。


「それじゃ、あの人はいったい何であんな場所に……?」

「……真っ白な服を着た夫を待ってたんじゃないかな」


 え、と英の横顔をマジマジと見た。

 いやに整った顔は、想像を語っているにしては真面目だ。


「今までも、これからも……あそこを通っていくのは、ただの死者だけとは限らないってことだよ」

 

 ーーそういえば、その日は、恐ろしく月の綺麗な夜だった。

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