魅入られたもの【後】
「本当に廃れてますね」
空が白んだ頃、24時間やってたカーシェアのレンタルサービスで急遽車を借りた俺たちは件の神社へとやってきた。
英の両腕をガッチリ掴んで進む様は、囚人を連行しているかのようで、英は歩きにくいのかちょっと微妙な顔をしていた。
「……今は何も感じないし、聞こえないや」
「ま、行けばわかるだろ」
階段は所々欠けていて危ないが、三人横に並んでギリギリ通れるくらいだった。……横から伸びる草木にズボンを撫でられたが。
しばらく黙って進むと、赤い塗装の剥げた鳥居が見えた。
「あーやだ。ほんとやだ」
「じゃ何で来たんだよ……」
苦い顔になっていく英に、渡井がげんなりする。
「……でも、相手は弱ってるかもしれないんですよね?」
「あくまで僕の感覚だけどね……それに、他にもいるよ」
「少なくとも、弱々しい何かと最悪な感じのする何かはいるんだろうな」
俺は誰もいない自分の左側が急に気になってきた。努めて見ないようにしながらまっすぐ鳥居の前に立つ。
神社は確かにボロボロだった。草木が生い茂り、もはや山の一部になりつつあるのがわかった。所々、ゴミみたいなのも捨てられている。
本殿の屋根なんか壊れて落ちてるし、手水舎の屋根も今にも崩れそうで、形を保ってるのが不思議なくらいだ。
「んー……あの井戸のとこ行ってくれる?」
英の視線の先、本社から右手に逸れた場所にそれはあった。積み石の隙間から草がびっしりと生えている。
そして、肝試しで踏み鳴らされたのか、倒れた草が道を作っていた。
「ここだよ。確かにこれだ」
石積みされてできた井戸は、ぽっかりとその口を開けていた。隣に蓋と、滑車らしきものが打ち捨てられている。
「……確かに、蓋して帰ったのにな」
俺は内心ビクビクしていた。二人はそっと中を覗き込んでいる。
だが、しっかと掴んだ英の腕も強張っていた。俺だけビビってはいられない。
俺はそっと井戸の上に顔を突き出した。
中は暗い。とにかく暗い。鉄臭さは少しあるが、そこまで強烈ではなかった。
英は身を乗り出すように中を覗き出し、俺は慌ててその腕を引くように固めた。
「……いる」
――何が、とは聞けなかった。
「……なんか、バケツでも持ってくればよかったな」
「取り出す気ですか?」
渡井はちょっとだけ笑った。
「やっぱり、俺も見て見たいんだよな」
「アンタって人は……」
変わらないその様子はちょっとだけ頼もしかった。
「そこら辺のゴミになんか使えそうなやつないかな?」
その言葉に揃ってゴミを見てみると、ちょっとアレな雑誌に古いビデオテープ、ラジカセと時代を感じるものが多々あった。それに紛れて、俺は穴開きバケツを見つけた……これでは意味がない。
「おや、虫取り網があるぞ」
虫取り少年はこんな不気味な場所に辿り着いてしまったのか……可哀想に。
同情する俺を尻目に、渡井はそれを取り、網の様子を確認する。
「まーちょっとくらい破れてても良いだろ」
「このくらいの穴ならいけるよ」
そのまま俺を置いて歩き出したので、俺は小走りに追った。こんな場所で一人離れるのは、ホラーゲームなどの死亡フラグだ。
「取れそうか?」
「んー……あと、ちょっと……」
虫取り網でも水底まではギリギリ足りなかった。大きく身を乗り出す英を、俺と渡井でガッチリ支える。
――これ、井戸から引っ張られたら俺たち死ぬ……。
必死で神やら仏やら、ありとあらゆるものに祈りながら、滑りそうな手で英の肩を抱えるように掴む。
渡井もめちゃくちゃ真剣で、手にかなりの力が篭っているのか、指先が白くなっているのが見えた。
「……来たっ!」
ぐん、と英が網を引く。
上がってきたそれは、俺にはてっきり見えないと思ったが、そんなことはなかった。
「やっぱ人形か」
渡井にも見えている。ちゃんと実態のある人形のようだ。
それにしてもかなり汚れている。着物は何色だったのかわからないくらい苔やカビに塗れ、とても手で触ろうとは思えない。黒々とした髪は顔面にべったりと張り付いていて、隙間から目が覗いている。……それだけでホラーだ。
――あれ……。
「先輩、井戸覗いたら目が光ったって言いましたよね」
「……言ってたな」
「……言ったね」
「……このタイプの目、光りますかね」
ガラスならともかく、小さな目はただの黒い塗料だった。
「……考えるのはよそうか」
結局、英は虫取り網からそれを出す気はないらしい。
「井戸に投げ込まれたのは大量の人形らしいが、一個だけか?」
「人形自体は他にもあったみたいだけど、多分これだ」
「へえ」
これは何が違うんかね、と渡井は首を捻っていた。
「んで、英……それはどうするんだ」
「んー……」
まさか、このままお持ち帰りはないだろうな……と俺はちょっとばかり怪しんだ。
「……人形供養やってる寺に送ろうと思う」
「配送センターが開くまであとだいぶあるぞ」
空は明るくはなったが、実はまだ朝の5時過ぎである。
開くまで、どうすると言うのだろうか。
「ま、一応、知り合いにお祓いに使う札貰ってるから貼っとくけど……」
「……ほんとに効くなら、一回仮眠取りたい」
英は草臥れた顔をしている。
まああれから眠れなかったのは確かだ。しかもこれから俺は運転しなければならない。
だが、俺はキッパリと言った。
「いやいやいや、それでもせめて同じ場所で寝るのは勘弁してください!」
部屋でも車でも、俺には無理だ。
一応借り物の車にそんなもの置いていたくもない。そもそも、こんなものを載せて事故にならない保証もないのだから運転したくもないのだが。
「あーじゃあ、俺ん家の宅配ボックス入れとこうや」
そして本当にお札をペッと貼り、俺たちは疲労困憊で帰路につくことになった。
――めっちゃお札濡れてるけど大丈夫……?
俺はやっぱりビビっていた。
「結局、最悪な何かはいたのか?」
「……嫌な感じはしたけど、出て来なかった」
「そいつは残念だ……俺にはわからんかったし」
「何が残念なものですか」
先を歩き出す二人の後をついて鳥居を抜けた瞬間、俺はふと背筋がぞわりとする鋭い視線を感じた……気付かなかったふりをして絶対に振り返らなかった。
「……」
「……」
英も渡井も何も言わないし、気のせいだ。
幸いにも、事故らず戻ってこれた俺たちは、宅配ボックスに虫取り網の先を突っ込んでそれを安置するところを確かに見届けた。
――やっと一息付ける。
そして、クタクタになって三人とも昼までうっかり爆睡したのだった。
目覚めはすっきりしていて、英もよく眠れたらしい。だから、よし、配送センターまでは歩くか、と出発しようとしたのだが……。
「……」
「……」
「……あー」
玄関の前で粉々になったソレを見て、渡井は困ったように頬をかいていた。
渡井の金槌が人形の顔にのめり込み、中身を露わにしている。
水に紛れ、人形の髪にしてはやたらと量の多い黒々とした髪が流れるように広がっていた。
「なんでこんなことになってんだよ……」
英はその言葉に首を振る。
渡井にも英にもわからなければ俺にわかるわけがなかった……内心、もはや金槌自体曰く付きじゃないかと疑い始めていたことは秘密だ。
「この髪……娘だ」
英のぼそりとした声に、俺は身震いした。
ちなみに貼っていた札は宅配ボックスの中に取り残されていた。
仕方なし、とビニール手袋をして全員で全て拾い集めると、渡井は「郵送しても良いか」と電話で寺に確認していた。
俺と英はその間、ずっと手を合わせていた。
「そうか……結果としては、これで良かったんだ。君は人形から……アレから解放して欲しかったんだね」
――お人形みたいになりたい。
その願いは、確かに叶えられたのだろう。




