渡井先輩は変わってる
「渡井先輩、なんか変ですよね」
「元々あいつはだいぶ変だけどね」
木曜日。
英と俺は、ラウンジで緊急会議を開いていた。
「……でも、何があったんでしょう」
「その前に、東雲くんは何を見たの?」
始まりは今週の月曜日。俺は渡井のいるだろうラウンジに暇潰しに遊びに行った。
いつもの通りいつものごとく、彼はそこにいた。
いつもと違ったのは、その顔と反応。
「ずーっと難しい顔で宙を睨んでて、何してるのか聞いたら、冷たい声で『何も』って」
いつもなら彼は適当な雑誌の類――大抵はオカルト系――をパラパラと見ている。
そして、結構な寂しがり屋なので親しい人物に声をかけられるとすごい笑顔になる。
だから俺は酷く驚いた。
この先輩でも虫の居所が悪い時があるのか、と思い余って英に連絡したくらいだ。そして英も「天変地異の前触れか」との返信を寄越したので、やはり余程のことがあったのだろう。
俺はそっと邪魔をしないように早々に退散した。
そして、火曜日。
今度は構内を歩く渡井を見かけた。ずっと何かを探すように辺りを見回していた。
そこへ、声をかけるタイミングを見計らっていたのか、女子が数名近付いていく。こんな時、いつもならば笑顔で対応してさっさとその場から逃げていく。
だが、その時は違った。
彼は女の子一人一人の顔を覗き込んだのだ。笑顔一つない、真顔だった。
いつも笑顔な美形の真顔はちょっと怖い。渡井の場合、ちょっと目つきが悪いから尚更だ。
女子たちは赤くなるやら青くなるやらで固まっていて、やがて渡井が興味を失くしたように顔を離すとダッシュで退散して行った。
残された渡井は、どうでも良いのか一瞥もせずまたキョロキョロしながら歩いて行った。俺は思わず後を追った。
「わ――……」
わたらい先輩、と声をかけようとしたのだが、突然彼がぐるりとこちらを見て、俺は声が出なくなった。
冷たい目で、ギロリと睨んできたのだ。
彼にそんな目で見られたことは一度だってない。とてつもなく怖かった。俺は何かしたのだろうか。
しばし目を細めて俺を上から下まで検分すると、渡井はまた興味を失くしたように歩いて行った。
ついていく元気はなかった。
「あいつ、視力でも落ちたのか?」
英はそう言った。
ちなみに、その年の健康診断では渡井の視力は両目とも1.5だったそうだ。
そして、水曜日。この日は英が窓から目撃した。
雨の中、傘をさした渡井は、ふらふらと当て所なく人混みの中を歩いていた。
次の講義は、今英がいるこの部屋で行われるはずだったのだが、渡井がやって来ることはなかった。英は、俺に渡井がおかしいと聞いていたためにチラチラと窓の外を見ていたそうだ。
「あいつ、多分構内を延々と歩き回ってた。何度もおんなじ場所を通って、何か探してるみたいだった」
「……外にある何か、なんでしょうか」
英は首を振る。
「歩いてる人を見てた気がする」
「探し人?」
「わからない。金曜日は普通だったから、土日で何かやらかしたのかもしれない」
むう、と俺は考え込む。
そういえば、あんな真顔で話しかけてもろくに返事もしないことがあった。
確か、血塗れバレンタインの日だ。お菓子を処刑していく顔はまあ真顔だった。あの状態と今回は似ているといえば似ている。
「あいつは集中してる時はそりゃあ真顔だし、話しかけるとどうもあの集中力が切れるみたいなんだよ」
そんな英の方が今は真顔だ。
「四六時中、集中なんてしてられない。講義にも出ないし話しかけた時の反応もなんかおかしいし……何やったんだろ」
「呪いでもかけられたんじゃないですか?」
「あいつに呪いなんて効くもんか」
謎の自信で英は頷いた。
「ドッペルゲンガーだって言われた方がまだわかるよ」
「そんなにですか」
それならば、本当にドッペルゲンガーなのかもしれない。
「ドッペルゲンガーだったら、どうすれば良いんでしょうか……?」
「わからない」
ネットで検索してもお手上げだ。
二人でだんまりと考え込んでいたちょうどその時――
「おー。珍しいな。そんなしかめ面で何やってんだ二人とも」
重たい空気を吹き飛ばす能天気な声に、俺たちは逆の意味で耳を疑った。
怪訝な顔で声のする方を見ると、やはり渡井だった。いつものような人好きのする笑みを浮かべ、首を傾げて俺たちを見ている。
俺は驚くと同時にひどく安心した。
「いやいやいや、珍しいのは先輩の方じゃないですか。昨日まで別人過ぎるでしょ。俺たちめちゃくちゃ心配してたんですよ?」
「?」
ぱちぱちと、渡井が瞬く。
心底不思議そうで、俺は不安になった。
「あの、先輩?」
「……俺、今週来てないけど」
「は?」
「昨日まで、家で寝込んでた」
何を言ってるのか、理解できない。
思わず英の顔を見ると、瞬きも忘れて唖然としている。
「あれ? 俺、英に連絡……したよな?」
「……来てないし、メッセージ送っても返信ひとつよこさなかったじゃないか」
呆然と呟いた英に、渡井は眉根を寄せてスマホを取り出す。
「あ、エラーで送れてない」
「マジかよ。何やってんだお前……って僕もエラーじゃん。何これ?」
「いや二人して何してんですか!?」
「いやごめんごめん。マジで、全然起きれなかったんだって!」
ベッドから起き上がることもできず、英にメッセージを送ってからひたすら眠っていたのだと渡井は必死で弁明した。
「じゃあ……あれは、誰?」
「どこからどう見ても、渡井だったよね」
渡井はそれを聞いて少し目を輝かせる。
「マジでドッペルゲンガー? どんな様子だった? 触ってみたか? 何してた?」
相変わらずの様子に「ああ、やっぱりいつもの渡井だ」と俺は嬉しくなった。
「すっげえ。会いたい!」
前言撤回。危なっかしい。
「ドッペルゲンガーに会ったら死にますよ!」
冗談冗談、と渡井は笑った。
「寝てる間に出たドッペル君なら、もしかして俺が幽体離脱でもしてたのかな?」
「お前の生霊にしては愛想悪過ぎるんだけど」
本当にそうだ。まるで鏡のように渡井と正反対な人物だった。
そう言うと、渡井は少し困ったような顔に変わる。
「……鏡と言えば、今朝俺が起きた時、鏡が部屋で割れてたんだけど。関係ある?」
俺と英は顔を見合わせた。
聞けば、日曜日に買ったばかりのものだという。
「……もしかしなくても曰く付きだったりしますか?」
「知らないけど、この近くの中古販売店で買った。一目惚れってやつだったから、ガッカリだよ」
その言葉によって向かった件の中古販売店は、アンティーク専門店といった方が正しいかもしれない、なかなかお洒落なお店だった。
作業着を着て、猫足の机にニスのようなものを塗っているのが店主だろうか。渡井は迷わずその人に声をかけた。
「すみませーん」
「はいはい……ああ、君か。どうしたんだ?」
「俺がこの間買ったあの鏡なんですけど、不注意で割っちゃって……それで、元の持ち主のものらしきメモが出てきたんです。渡したいんですけど、誰だかわかりますか?」
ペラペラとよく回る口だ。
「んー……女の子だった気がするけど……どんなって言われるとわからないなあ」
ーー結局、それ以上辿ることはできなかった。
中途半端だが、この話はここで終わりとなる。
割れた鏡も、何も知らない渡井の手によって既に処分されていて、結局何なのかわからなかったのだ。
ただ、渡井は語る。
「そういうものだったからあれに惹かれたのかな」
そういうものだとしたら、あれは誰を、何のために探してたのだろうか。
俺たちにはもうわからない。わかるのは、恐らく以前の持ち主だけだろう。
だが、俺にはあの冷たい目が忘れられない。鏡の如く渡井と正反対とはいえ、俺を睨みつけたその目は、突き刺すようなものだった。だから、恐らくは何かしらの恨みを抱えていたのかもしれない。
そして、もう一つ。
――何故鏡は割れたのか。
「そういえば金槌も何故か枕元にあったんだよ。俺が割ったのかな。なかなかヤバいよね」
そう笑った渡井先輩は、やはり変わっていると俺は思う。




