変り種の奇妙な話 〜人食いの求愛者〜
この作品は W0964E よづは先生の M1396H 『蜘蛛の奇妙な求愛者』を本人同意の上、多大なアレンジを加え、小説化したものです。
いつなのかもわからない、あるとき――
その場所で、その人物は『行動』していた。
いつもと変わらない、何一つ変わらない、いつもどおりの『行動』。手にしたものもいつもどおり、身に纏った服もいつもどおり、目にするものもいつも通り、耳にするものも、鼻をつくにおいも、肌に触れる感触も、そして舌に触れる味も、いつもどおりだった。
目の前にいるのは、若い『獲物』。
おびえたように身をよじり、その人が作る影の中でうごめいている。
「お願いだ……見逃してくれ」
不思議なことを言う。
誰が皿の上に乗ったものの言う言葉に耳を貸すというのだろう。誰が目の前にある肉の死を悼むというのだろう。この『獲物』にしたところで、はたして目の前の皿の上に乗っている肉の元が何であったのか、考えたことがあるのか定かでもない。
「頼む……代わりを用意するから……」
目の前の『獲物』が言った。
その人物は、疑った。
「それがほんとうなのか、わからないでしょう?」
その人物は『獲物』を逃がさない。
それでも、その人物は腹が減っていた。
あと一日ぐらいは持つだろう。しかしこの場でこの『獲物』を逃がしてしまった場合、次にいつ『獲物』にありつけるかわからないのだ。
食べられる『獲物』は、食べておかねばならない。
そこで、その人物は良いことを思いついた。
「……つれてくるのなら、にがしてあげる」
「ホントウか?!」
大喜びしたかのように、『獲物』は跳ね起きた。
「ただし、にがしてあげるのはつれてきてから。それまでは、ぼくの『糸』をつけさせる。ぜったいにほどけないし、ぜったいにきれない。ちゃんとつれてきたら、はずしてあげる」
「ああ、それでもいい! 助かるのなら、何でも!」
その人物がポケットから取り出した『糸』の意味を、それほど深く考えることなく『獲物』は素直に体に巻きつけられるままになり、最後までその『糸』の意味を考えることなく走っていた。
その人物はその糸を眺めながら、空腹感をこらえていた。
人食い。
そう表現されるのが、その人物である。
世間によって『正しい』と表現された動植物の屍骸の切れ端ではなく、この世間の中に最も多く存在する動物を狩猟することで生存する人間。
その人物にとって、人を食う事はなんらおかしなことではない。そもそも普通の食事だって、入手の時点でこれから食べるものが『生きているのか死んでいるのか』程度の際しかないのだ。食事としては、対して変わらない。
人を食べて生きていくために、その人物は罠を張る。
あたかも蜘蛛が飛来する蝶を捕獲するかのごとく、その場所に足を踏み入れたものを容赦なく捕食する。
それが、その人物にとっての普通であった。
その日の夕方、よっつの『獲物』がその人物の家の近くにやってきた。
ひとつは昼ごろに捕獲して、代わりをつれてくるはずになっていた『獲物』。
残りのみっつは、このあたりに初めて来る獲物のようだった。
昼ごろに逃がされた『獲物』は、このあたりに何がいるのかを告げることなく、残りの三つに向かってこういった。
「このあたりに、いい店があるんだ。そこへ行こう」
そういって、残りの三つを連れて行く。
その人物の、家に向かって。
残りの三つは疑うことをしない。その人物の巻きつけた糸はとても細く、目に見えないのだ。それに『獲物』は残りの三つから信用されており、残りの三つは疑うことをしない。
いとも簡単に、残りの三つはだまされた。
残りの三つは、その人物の家に到着し、
そしていとも簡単に、その人物に捕らえられた。
瞬きの間。
その人物は手にした『爪』を振るう。
残りの三つがそれに気づく早さがトンボの引こうとするのなら、
『爪』の速さは、鷹のそれである。
まさに一瞬、その速度で、
その人物は、残りの三つを捕らえた。
「……ちゃんとかえってきたね」
その人物はつぶやくように言った。
その僅かの呟きを捕らえたのか、地面に転がる『ひとつめ』が言った。
「そんな……俺たちを、売ったのか?」
「自分が………助かりたくて…?」
残り一つは何も言わなかった。
もうすでに、『お肉』になっていた。
その人物は何気ない様子で地面に転がる『三つ』と、正面の『獲物』を見、
「ちがうよ」
ポツリといい、
そして正面でほうける『獲物』の『糸』をつかんで引き寄せ、
「このひと、ひとりでしぬのは――いやだったんだって」
神速で、『爪』をつきたてた。
その日、その人物は当分餓える事のないであろう程の『お肉』を手にした。
季節が春へと移って、別の日。
暖かい日だった。
そんな日でも、その人物の狩りは行われる。
その人物は、少女を待っていた。
うら若く、まだ穢れを知らないような女性。その存在を狩猟するときほど満たされるときはないし、そして何より肉が柔らかく、見かけがいいから調理もらくだ。
すると待っていたことが功を奏したのか、一人の少女がその人物の家へとやってきた。
家にやってきた少女はその人物の姿を見るなり、家を見るなり、恐怖に駆られて逃げ出そうとするが、その人物は逃がさない。
その人物は神速の速さで『爪』をふるい、少女をただの『お肉』へと変えた。
やはり少女は、美味しかった。
春になれば、食事がいいものに変わる。
無防備な『獲物』や、若い『獲物』が増えるからだ。
次の日も次の日も、何も知らずに迷い込んでくる少女や少年を『お肉』へ変える。罪悪感が付きまとうわけもなく、その行程はその人物にとって見れば買い物に出るのとまるで同じ次元にくくることの出来る行為だ。
週に一度ほどやってくる『獲物』を『お肉』に変え、それを一週間ほどかけて食べつくす。
その日も、その次の日も。
その人物は、若い『肉』を食べる。
そんな、ある日のこと。
一人の少女が、その人物の家にやってきた。
美しい少女だった。
黒い髪、青い目。肌は絹のようにしっとりとした印象を受ける白いもので、その下に存在する肉の味を否応がなしにその人物の頭の中に思い起こさせ、食欲をわきあがらせる。
いつもどおり、いつもどおりに狩るだけ。
そう思い、その人物は手にした『爪』を振り上げ、その少女を『肉塊』に変え――――
「私は、あなたが好きです」
――――ようとした、その瞬間に、『爪』が止まった。
「………なに、言ってるの…」
ひどく初々しい仕草でその人物を見つめる『少女』。その瞳の中に邪気はなく、むしろ光にあふれているぐらいである。
恐らく、その人物と出会うことがなければこの先数多の幸いに恵まれたことだろう。
にもかかわらず、わけのわからないことをいいに来るためにその人物に会いに来る?
その人物には、理解できなかった。
「ですから、私はあなたが好きなんですよ」
言葉の意味がわからないとでも思ったのか、『少女』は繰り返した。
その人物は『爪』を一度引き、
「どうして、『食べ物』がぼくをすきだっていうの…?」
つぶやきの中にこめた、僅かの感情。
それを向けられても、『少女』は笑っていた。
「私はあなたが人食いだとか、人殺しだとか、私を食べ物とだけしか見ていないこととか、そんな事は気にしていません。どうしてなのかはわかりませんけど、好きだからこうしてここに来て、こうして好きだって告げているんです」
何度言われても、理解できなかった。
あきれ返る以前に、あれだけ存在していた食欲が消えうせてしまう。
「………かえって」
結局、その『少女』を食うことは出来なかった。
次の日も、『少女』はやってきた。
「………なんのよう?」
その人物は『爪』を向けもせずに、『少女』に問いかけた。
『少女』はその人物に対し、昨日と同様まるでおびえた様子を見せずに、こういった。
「用なんて、ありませんよ。ただ、あなたに会いに来たんです」
蝶を思わせる笑みを『少女』は浮かべる。
その人物はそれを見、
「…たべられたくないなら、かえったほうがいい」
「どうしてですか?」
不思議そうな表情を浮かべる『少女』。その人物の家の入り口から、その人物の隣までやってきて、身長をあわせるように座り込んだ。
「……きみのせいで、きのうなにもたべられなかったんだ。すごくおなかがすいているから、たべられてももんくいえないよ」
「………………」
『少女』は沈黙した。そして意味深な表情でその人物の手にする『爪』を眺め、
「………………」
あまりにも、あまりにも自然な仕草でその人物の手から爪を取り上げ、そして自らの心臓へと付き立てた。
「――――――――」
苦悶に歪んだ表情。しかしその口元に浮かぶのは笑み。
突き立てられた『爪』。しかしその手は止まらない。
そのまま、『少女』は『爪』を引き抜いた。
あふれ出てきたのはその人物にとっての日常の色、『獲物』の内側にあふれている命の色だ。
「……なんの…」
つもりなのか、といいかけたとき、
『少女』の体が地面に崩れた。
そのまま、『少女』が告げる。
「私を……食べてください」
そして、『少女』は苦悶に歪んだ表情のまま蝶のような笑みを浮かべ、
「何でも――したかったんです…あなたの……ために……」
「………………」
そのまま、
その人物は考え込むように赤い池の中に身を横たえた『少女』を眺めていた。
しばらく、考えた後、
その人物は、『少女』を食らった。
その味は今まで味わったどの『肉』よりも柔らかく、どの『肉』よりも味が深く、どの『肉』よりも旨かった。
いつもなら積み上げて自分の家の一部にする骨も、叩き追って髄をしゃぶった。
全てを食らいきるのに要した時間は、僅かに一日。
そのとき、
その人物は今までにないほどの充実感を味わった。
それから、その人物は何も口にしなくなった。
口に出来なくなった。
どれだけ若い『獲物』でも、味がよくない。普通にまずいだけではなく、口に入れた瞬間自らの味覚全てを破壊せんばかりのすさまじい感覚に襲われ、次の瞬間には吐き出してしまう。
食べられないのなら、『調理』する意味もない。
その人物は、やってきた『獲物』を逃がすようになった。
何も食さない日がしばらく続いた後――
一人の少女が、その人物の家にやってきた。
黒い髪に、青い瞳。荒れ狂わんばかりに食欲が発生する肌に、あの蝶を思わせる笑み。
あの『少女』にそっくりな少女が、やってきた。
ああ、これなら食べられるかもしれない。
そう思ったその人物は、いつもどおり『爪』を振るった。
その「少女」は逃げることがなく、蝶の笑みを浮かべたまま『爪』をその身に受ける。
これでいい、そう思い、ためしに地に飛び散った血を舐めてみた。
外見ばかりでなく、味もあの『少女』によく似ている。
だが、食欲は相変わらず鳴りを潜めたまま。この「少女」も、食べることが出来なさそうだった。
とりあえず人気のなくなる夜になれば、元の場所へ帰しに行くことにした。
時間は、まだある。
だから、
「………きみは、にてるね」
会話を、楽しむことにした。
血に転がったまま、「少女」は言う。
「……やっぱり、あなたは私の姉を食べたのですね」
その人物はその一言に反応し、身を震わせた。
「しまい、だったの……?」
ええ、とか細い声で「少女」は言った。
「少女」が続ける。
「ちょっと変わった姉妹なんです、私たち。人よりも多くの喜びを味わうことが出来、そしてどんな些細なことでも喜びを感じることが出来ます。あなたと同じ、変り種ですね」
変り種。
初めてそう表現されたことで、その人物は少し困惑した。
「結構多いんですよ、私たちみたいな、変り種は。人食いだったり、喜びを受けやすかったり、憎みやすかったり、人の心が判ったり。私たちは喜びを感じやすい変り種、あなたは人食いの変り種ということになりますね」
そこで「少女」は寝そべったまま、空を見上げた。
「しかし、いくら喜びを感じやすい私たちとはいっても、死ぬその瞬間には喜びは感じません。意識のあるときに死に巻かれたとき。その瞬間は、どれだけ直前に喜びを感じていたとしても、喜びにはなりません」
でも、と。
一呼吸の間が空く。
「姉は、違ったようですね……」
「…………どういうこと?」
その人物は「少女」の横に座り込んだ。
「姉は、恋をしました。あなたに。
それは最高の喜びです。
そして最高の喜びを一人の人間に対して向けたとき、私たちはその人物を手放しません。普通なら結婚、今回の場合はあなたが食べてしまったことによって、姉はあなたを捕らえました」
「…………そうしたら、どうなるの?」
「…『私以外を、認めないで』――」
その人物の目を、「少女」の目が捕らえる。
「その想いが、人の体を変えます。他の人物に魅力を感じなくなったり、体内に取り入れることを拒絶したり。そうなると必然的にとらわれた人物は私たちのような存在から離れられなくなり、そのまま死ぬまで共にいることになる」
「…………」
その人物は思考する。「少女」の言葉を。
その存在以外を体内に取り入れることが出来なくなる。その人物にとっての食料は、他者だ。つまり――――
「………どうにか、できないの…?」
その「少女」は緩やかに首を横に振った。
そしてそのまま、ゆっくりとした仕草で視線を上に戻し、
「……私を、食べてくれますか?」
そう、ポツリと言った。
「……どうして?」
「………あなたが死ぬ事は、避けようのないことです。だけど、それが訪れるまでの時間、私の与えられる時間の間、考えてください。私の、姉のことを」
そういって、「少女」は『少女』そっくりの笑みを浮かべた。
その人物は、「少女」を食らった。
そして、考えた。
『少女』のことを。
あの日、この家で、あの『少女』から好きだといわれたとき、はたしてどうすればよかったのだろうか。
受け入れれば、良かったのだろうか。
それとも、拒絶すれば良かったのだろうか。
もしくは、何も言わずに『調理』してしまえばよかったのだろうか。
あるいは、殺してしまえばよかったのだろうか。
食らうのではなく、ただただ死を与えるだけの方法で――
永遠にも思えるほどの長い時間、
その人物は、考え続けた。
死が着々と迫ってくる感覚にとらわれたまま、
ずっと――――
やがて自分ひとりでは世界を認識することすらも出来なくなったそのとき、
その人物は、願った。
――― やりなおしたい。
――― もう一度、
――― もう一度あのひとに出会ったときは、
――― 今度は、ちゃんと答えるから、
――― だから、もう一度僕を、
――― 人食いに ―――
####
その人物が、
人食いが死んだ場所に、新しい人食いがやってきた。
春になると、人食いは延々と待ち続ける。かつて自分の命を賭けてまで思いをつげにやってきた、一人の『蝶』を。
二度と同じ間違いを繰り返さないために、
その人物は、人食いであり続ける。