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まつとし聞かば  作者: 夏野
第三幕 入りにし人の、跡ぞ戀しき
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二十一

 嘉兵衛との逢瀬おうせも三度目を迎えようとしていたとき、和泉にその関係を気づかれてしまった。


「俺の所為(せい)だ……俺が借金なんかしたから、お雪ちゃんは……」


「私が決めたことです。それに嘉兵衛様は優しい方だから、会うだけで薬をくれる。苦労しなくていい楽な道を選んだだけです」


「お雪ちゃんの弱さにつけこんでる男のどこが優しいんだ!」


 和泉の怒りは、嘉兵衛と己自身に対するものであり、切ない気持ちだけを雪に向けていた。


 彼がどれほどまでに気にかけてくれているのか、それを思えば雪は、身が裂けそうなほどの気持ちになる。


「今はいいけど、そのうち……」


 会うだけでいいと言った嘉兵衛の言葉に嘘はなかった。

 だが、次第に約束が変遷していくことも事実で、先に待ち受ける未来をさとれないほど、雪は初心(うぶ)ではない。


 だが、嘉兵衛がいなければ、もっと悲惨ひさんな思いをすることになる。

 天秤にかけるまでもなく選ぶべき道は決まっていたのに、躊躇(ためら)ってしまったのは、(まぶた)の裏に思い描く忘れられない存在がいるからだ。


「どうして辰巳は……」


 いなくなってしまったのか。

 雪の前だからか、和泉はその先の言葉を(つむ)ぐ前に奥歯を噛みしめた。


 辰巳が出ていかなければ、雪はこんなに辛い思いをしなかった。

 そう言いたいのは、和泉だけではなかった。

 恨み言をぶつけようにも、誰一人として知ることはできない辰巳の所在に、彼の生死さえも定かではないのだ。



 辰巳が姿を消してから、三度目の冬を迎えていた。


 変わらないのは、雪の想いと和泉の想い。

 すれ違い続ける糸を、無理矢理にでも片方が絡ませたとしたら……


 雪がやっと、和泉の想いを感じ取った、ある日の出来事である。


「静介、じっとしてなさい。めっ、よ」


「めっ!」


 昼時の弥勒(みろく)屋は繁盛していて、騒がしさに浮き足立ち、静介がうろうろと歩き出したので、雪は静介を膝の上に抱える。


 母に抱かれるのが心地よい静介は、雪に注意されれば大人しくなった。


「ちゃんとおっかさんの言うこと聞いて、偉いわね」


 弥勒屋の女将であるお松に褒められて、静介はうれしそうに笑った。


 お松や主人の卯吉などは、実の孫のように静介を常日頃から可愛がってくれている。

 しかし、時々漏らす「おとっつぁんにそっくりだね」という言葉には哀しみが混じっていた。


「あ、いじゅみ!」


 静介の声に、思わず雪はどきりとした。

 彼に触れられた感覚がまだ唇に残っていて、内心動揺せずにはいられない。


 雪が顔を向けられずにいれば、いつの間にやら座敷の正面に、和泉が座っている。


 この上なく気まずい雪とは反対に、和泉はいつも通りであった。

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