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まつとし聞かば  作者: 夏野
第一幕 少女、雪中花の如く
9/202

「雪」


「……あ」


 雪は萎縮しながら頭を下げた。

 雪を呼び止めたのは長屋の住人おとよである。


 おとよは旦那と、雪と同じ歳の娘と三人で暮らしている。会うたびに難癖やら悪態をついてくるので、正直雪は苦手だった。


「りんから聞いたよ。あんた、家にも男を上げるようになったんだってね」


 りんはおとよの娘である。

 おとよのようにあからさまな態度は取らないが、普段は興味のないように目も合わせようとしないのだが、時折、雪の悪口を誰かと語らっては、笑っている。


「男の方なんて、上げていません」


「今だってあんたの家にいることはみんな知ってるんだから。隠したって無駄だよ」


 辰巳がいることが知られてしまった。

 もし番所に誰かが行っていたらと、雪の顔は青褪(あおざ)める。

 しかしそれは、杞憂きゆうに終わった。


「お前の男好きには困ったもんだよ。

 この長屋にはねぇ、りんだって住んでるんだ。悪影響ったらありゃしない」

 

 辰巳がどうというわけではなく、おとよの関心は雪にあるのだった。


(やめて。そんな大声で話したら、辰巳さんに聞こえちゃう……)


 戸口の向こう側には、辰巳がいる。

 いくら願ったところで、おとよの声は嫌でも聞こえているはずだ。


 そして雪は、辰巳が怪しい人物として番所に突き出されるようなことはなく、ただ自身の噂に拍車がかかっただけだとさとった。


「そんなに男が好きなら、女郎(じょろう)にでもなればいいんだ」


 おとよの言葉は、雪を傷つけるのに充分だった。

 言葉自体の意味と、辰巳に自身の噂を吹聴(ふいちょう)されたことで、雪は二重に苦しんでいた。


 怖くて、悔しくて、雪は言葉が出なかった。

 泣きそうになるのを(とど)めたのは、勢いよく開かれた戸口の音だった。


「…………」


 家の中にいるのは、辰巳をおいて他にはいない。

 つまり今、戸口を開けて雪の後ろにいるのは辰巳だ。


 おとよの言葉を聞いた辰巳は、きっとむべきもののように自分を見ているに違いない。

 雪はとても、後ろを振り返ることはできなかった。


 すると、視界に映るおとよの顔に恐怖が(にじ)んでいた。

 恐れをなしているのか、一歩、また一歩と後退(あとじさ)る。


 次いで雪は考える間もないまま、腕を引っ張られて家の中に引き込まれていく。

 おとよの姿は戸口にさえぎられた。


「ちっ、うるせぇばばあだ」


 つかまれた腕は離され、辰巳は部屋に引き返していく。

 雪はやっと、辰巳を見た。


「……聞いてしまったんですね」


 この人にだけは知られたくなかった。

 雪はそう、切実に思った。

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