三十二
誰かに愛されたかった。だけど、誰も愛してくれない。
わかっていたはずだった。
寂しかったから、辰巳を好きになってしまった。はじめはそうだったのかもしれない。
でも寂しいだけなら、一方的に好いていたとしても、不確かな関係を続けていればいい。
辰巳から去ろうと決心したのは、本気で愛してしまったからだ。
一口、また一口と杯を傾ける。
もう少しで手持ちの酒は、底をつきそうになっていた。
雪が予想していた通り、酒は嫌なことを忘れさせてはくれない。
ただ、気持ちは素直になれた。
自身を見つめ直せば、より滑稽に思えてしまった。
苦くて美味いとは感じられない酒も、身体を火照らせ、僅かではあるが良い気持ちにさせてくれる。
もう少しだけ……
すでに多量の酒を含んでいる雪はなお、求めていた。
杯に並々に注がれた酒は、余っている残りの量まで注ぎ足せば溢れてしまった。
がたん、と戸口が開く音で雪は後ろを振り返った。
「雪」
現れたのは、辰巳だった。
辰巳は二、三日程度を雪の家で過ごして、次に雪の元を訪れるのは早くても五日後だ。
今日の朝に帰ったばかりの辰巳が、夜にも訪れる。
珍しいことではあったが、雪は胸を高鳴らせるどころか冷静だった。
すぐに異変に気付いた辰巳は、目を見開いて雪を見る。
つかさず雪の元へ歩み寄った。
「飲み過ぎだ。そんなに飲んでもいいことなんかねぇよ」
辰巳は、雪の手から杯を取り上げる。
意外にも、雪は抵抗しなかった。
「私はおとっつあんとは違う」
弱々しくて、投げやりな言い方だった。
辰巳は雪の前に坐して、耳を傾ける。
「飲み過ぎないでって言っても、私の言うことは聞いてくれなかった……でも、私はちゃんと言うことは聞くの。お金を渡せば、おとっつあんは帰ってきてくれるから」
何も言わなければ、このままでいれば、辰巳との関係は続くのかもしれない。
でも、そんな虚しいことはしたくなかった。
雪が漏らした過去に、辰巳は言葉をかけることができないでいた。
「ずっと、辰巳さんのことを待っていた」
不確かな関係でも、雪は辰巳を信じていた。
辰巳の嘘を聞くまでは……
「雪、俺は……」
「いいの。何も言わないで」
これ以上、辰巳から辛い言葉を聞きたくなくて、彼を遮った。
「最後に、辰巳さんに会いたかった」
会ってしまえば決心は揺らぎそうになる。しかし、心では辰巳を求めていた。
「……どうして最後なんだ」
雪はどこかに行ってしまうと確信した辰巳は、同時に、喪失感に襲われた。
雪の心は離れてしまった。それは、自分の嘘の所為……
繋ぎとめようと抗う辰巳は、雪を抱き寄せた。
「俺はお前のおとっつあんじゃねぇよ。見返りなんていらねぇから、お前と、ずっと一緒にいたい」
「嘘……」
「嘘じゃねぇ」
「私はひとりぼっちに戻るだけ。……違う、最初からひとりぼっちだった」
辰巳の背中をぎゅっと強く抱きしめる雪の手は、それでも誰かを求めてしまう証左だった。
「俺が、お前の傍にいる」
優しい言葉に酔いしれるのも、今日が最後だ。
どうしようもなく辰巳のことが好きで、その気持ちだけは変わらない。




