二十七
辰巳はそっと、舞台に夢中になっている雪を盗み見た。
役者の一挙手一投足に目を離すまいと、雪のh瞳は輝いている。
雪はこの舞台に魅了された。
何となく浅草に行こうと言い出した辰巳であったが、雪の様子を見て、浅草行きを決めたことをよかったと安堵する。
舞台上では、敵方に捕らわれ鶴岡八幡宮へと連れられた静が、頼朝とその妻である北条政子と対面していた。
「日本一の白拍子の舞い、この目で拝みとうございまする」
政子は、白拍子たる静の舞いを所望した。
白拍子とは歌を詠みながら舞を披露する、主に平安時代に活躍した遊女である。
相手は愛する人を追い詰めた憎き敵といえども、捕らわれの静に拒否権はなかった。
静の舞いは、鶴岡八幡宮の舞殿で行われることになった。
水干に緋袴を穿き、烏帽子を被り帯刀した静の姿は、白拍子の衣装が忠実に再現されている。
まさに、男装の麗人であった。
はらり、ひらり。
静は敵前で舞った。
やがて、静に扮した役者の玲瓏な声が響き渡った。
「しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな」
これは静の意地と誇りだった。
静は頼朝の前で、義経を想う歌を口ずさんだのである。
聞くや頼朝は、今にも立ち上がらんばかりの勢いで怒りを露わにした。
そんな頼朝を制したのは、なんと政子であった。
「静、静と呼んでくれた貴方が懐かしい……この娘は敵前にもかかわらず、義経への想いを謡ったのでございますれば、その心意気を称えなくてなんとしましょうぞ」
本来なら頼朝を称えるべきが筋で、けれど静は義経への想いを見事に曝け出したのであった。
同じ女として、かつては自分も恋を実らせ、頼朝と結ばれた政子の心を打ったのである。
政子の取り成しで、静は再び舞い始める。
「吉野山 峰の白雪 踏み分けて 入りにし人の あとぞ戀しき」
吉野山で別れた貴方が戀しい……
静の泰然とした、芯のある立ち姿で幕を閉じた。
「よっ、静御前!」
芝居小屋は、拍手喝采で満ち溢れている。
鳴りやまぬ歓声の中で、雪は小さく「すごい……」と呟いた。
芝居小屋を出た後も、雪は興奮冷めやらぬといった感じで高揚していた。
「あんなに凛々しい方がいたなんて、ちっとも知らなかった。辰巳さんは、お芝居楽しかったですか?」
「ああ。書物で義経の話は読んだことがあるが、芝居で観るのとはわけが違う。まさか感動するとまでは思わなかった」
静を演じた役者の演技が凄まじかった。
敵前でも愛する人への想いを貫いた静の姿が美しかった。
と、役者と静御前に対する雪の賛辞は止まらない。
「お前がそんなに喋るなんて、芝居に来た甲斐があったな」
言われて雪は、はっとする。
雪は自分でも大人しいということを自覚している。
自分の意外な一面に驚くのと同時に、辰巳に変な風に思われていないか不安を覚えたが、辰巳の顔を見て、それが杞憂だったことに気づいた。
「すっかり静御前に夢中になってしまったみたいです」
「そりゃ、妬けるな」
静御前も、ましてや源義経さえ雪は知らなかった。
だが、芝居は雪のように知らない人が観ても物語がわかるようにできており、雪は芝居を観たことで、静御前に対する興味が沸いてしまった。
「また次も、第二部の開演が始まったら一緒に観よう」
先ほど観た演目には続きがあった。
全二部構成であり、二部では静と義経の、その後が描かれるそうだ。
二部の公演が始まるのは、およそ三ヶ月後である。
「もちろんです。辰巳さんと一緒に、静御前を見届けたい」
辰巳は静御前と義経の二人の結末についてを知っていた。
哀しく笑えば、雪は感づいてしまうかもしれない。
だから……いや、ただ雪の幼い少女のような笑顔が眩しくて、常に不愛想な辰巳は穏やかに笑ったのだった。




